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2008/10/17


船橋 灯明台 Funabashi Toumyoudai 

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 灯明台(とうみょうだい)は、千葉県船橋市宮本にある意富比神社(おおひじんじゃ)境内に残る灯台である。
 当時は、灯明台周辺が東京湾沿岸であったため、往来する船舶に位置を知らせるための常夜灯があったが、慶応四(1868)年の戊辰戦争の際、戦災によって社殿とともに焼失。その後の明治一三(1880)年に、地元有志らの寄付によって同社境内にある標高27mほどの小高い丘に本格的な灯台として建てられた。
 肝心の光源には、石油ランプに錫製の反射鏡を組合わせた構造が用いられ、その光は11km先まで届く程だったという。
 木造瓦葺きの三階建てで、一階と二階が和風、三階は西洋式灯台の和洋折衷の造りとなっており、明治二八(1895)年に廃止されるまで、政府公認の私設灯台として活躍した。
 今はもう、灯台としての機能は果たしていないが、その歴史的価値から県の有形文化財にも指定され、建設から一二〇年以上を経た現在にあっても、文明開化の趣を垣間見せてくれている。
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北風原 羯鼓舞  Narai-hara Kakkomai 

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 北風原の羯鼓舞(かっこまい)は、千葉県鴨川市北風原(ならいはら)で伝承されている伝統芸能である。
 毎年七月の第四日曜日に、北風原地区の春日神社の例祭として、請雨山(しょううさん)の愛宕神社の獅子神楽と一年交代で奉納されており、どちらも愛宕神社境内で行なわれている。
 その起源は定かではないが、一説には室町時代の天文年間(1532~1554)、安房国主であった里見義実(さとみよしざね)の命により、雨乞いと豊作を祈念して始められたと伝えられている。
 雄獅子と雌獅子、中獅子からなる三匹の獅子が、腹につけた雅楽や能楽用の鼓である羯鼓を軽快な調子で打ちながら舞い踊られる、三匹獅子舞の形態をとっている。
 恵みの雨が降ることを天に託した、農民たちの切なる願いが込められたその舞いは、県の無形民俗文化財にも指定されており、今も保存会の人々により、脈々と受け継がれている。
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2008/10/15


野田 ばっぱか獅子舞 Noda Bappaka-shishimai 

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 ばっぱか獅子舞(ばっぱかししまい)は、千葉県野田市清水にある八幡神社で、毎年の七月二四日に奉納されている古式ゆかしい獅子舞である。
 元禄六(1693)年に、現在の埼玉県にあたる武蔵野国下間久里村から伝えられ、同年に大流行した疫病の厄除けとして村の氏神である清水村八幡神社に奉納されたことにより始まったとされる。
 古くは『子ササラ舞』と呼ばれていたが、舞手の腹につけた太鼓の音が「ばっぱかばっぱか」と聞こえるところから、現在の呼び名になったといわれている。
 昭和十(1935)年に一度途絶えるも、清水地方に伝わる五穀豊穣、厄除けの伝統的な儀式であるとして戦後に復活した。
 獅子舞と棒術、居合術の三つから成り立っており、昔からの形式を残す数少ない、貴重な獅子舞として千葉県の無形民俗文化財に指定され、今もその伝承を精力的に伝え続けている。
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下総三山の七年祭り Shimousamiyama-no-shichinen-maturi 

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 下総三山の七年祭り(しもうさみやまのしちねんまつり)とは、千葉県船橋市三山にある二宮神社で開催される例祭である。
 丑年と未年にあたる年、つまり数え年で七年に一度の催行のため、七年祭りの名で呼ばれることが多いが、正式には「二宮神社式年祭」という。
 五百五十年以上の歴史があるといわれ、千葉県の無形民俗文化財にも指定されており、九月に小祭が、一一月に大祭が行なわれる。
 大祭は船橋市、千葉市、八千代市、習志野市の九神社の神輿が二宮神社境内に参拝に訪れる大規模な祭礼で、主として安産祈願のお祭りである。
 その特色として、参加する各神社の神輿が、それぞれ父役や母役、子供役、産婆役などになって神事を進行するところにあり、二宮神社での昇殿参拝が安産御礼の祭りに当たり、その後に行なわれる磯出式が安産を祈願するお祭りだといわれている。
 毎年の開催というわけには行かないが、今も多くの人々が訪れる、下総地方を代表する寄合祭りとなっている。
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2008/10/9


千葉神社 Chiba-jinja 

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 千葉神社は、千葉県内最大の天神さまと称される神社である。
 千葉氏の祖、平良文により信仰された妙見菩薩の寺社が、平常長により祀られ、忠常の次男である覚算大僧正により整えられたのが始まりとされる。
 源頼朝からも保護を受け、願文、太刀などの奉納を受けている。江戸時代には徳川家康より永代二百石の寄進を受け、十万石の大名と同格の格式を与えられ、大いに栄えた。
 祭神は北辰妙見尊星王(ほくしんみょうけんそんしょうおう)。末社に座す千葉天神は千葉県下最大の天神さまとして、受験合格・学業成就を祈念する学生を中心に多くの参拝客を集めている。
 毎年八月に行われる例祭の妙見大祭には、縁起物の「ねがい鳥」「かない鳥」を求めて多くの人が訪れる。
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中山 法華経寺 Nakayama Hokekyoji 

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 中山法華経寺は、千葉県市川市中山に位置する日蓮宗大本山の寺社である。正式な山号は正中山。
 文応元(1260)年、日蓮の弟子・日常により開基された。文永元(1264)年、小松原法難の際に鬼子母神に救われた日蓮が感謝し、自ら彫刻し、本尊としたとされ、子育安産、病気平癒、五穀豊穣などのご利益があると云われている。
 境内の堂宇は鎌倉時代に建立されたが、後に火災等で焼失しており、現在の本堂は江戸時代中期に再建されたものである。
 祖師堂、五重塔、法華堂らは国の重要文化財に、寺宝の日蓮真筆は国宝に指定されている。
 春秋の彼岸法、お千部、子育大祭などの祭礼に多くの人が訪れている。
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2008/9/29


里見公園 Satomi-kouen 

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 里見公園は千葉県市川市の国府台(こうのだい)地区、江戸川に面した海抜20メートルの大地にある公園で、大きさは8.2ヘクタールもある。
 公園はかつて上杉氏と手を組み、この地を統治していた里見氏が敵対する北条氏と戦った合戦場として、有名な古戦場跡でもある。そのため、園内には里見諸将軍霊墓(さとみしょしょうぐんれいぼ)、羅漢の井(らかんのい)が建立されている。
 里見公園は多くの植物を楽しめる公園である。公園内には260本もの桜の木が植えられ、お花見の季節にはライトアップもされ花見の名所としても有名である、他に、梅林・モミジ林があり、西洋園では多くのバラが植えられている。
 昭和四四年には、東京の小岩から詩人の北原白秋(きたはらはくしゅう)の旧宅、紫烟草舎(しえんそうしゃ)が移設されている。
 近くには江戸時代から江戸川渡し舟であった矢切の渡しもあり、市民の憩いの場である。
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姥山貝塚 Ubayama-kaiduka 

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 姥山貝塚(うばやまかいづか)は千葉県山武郡にある縄文時代中期から後期のものといわれる貝塚である。また、国の指定史跡である。
 大正一五年に東京人類学会が行った発掘調査では、一連の住居跡から、子供1体、成人女性2体、成人男性2体の計5体の家族と思われる人骨が発見されたという。また、竪穴住居址の全容が平面的に捉えられたのは日本では初めての事であったとされる。この事が姥山貝塚を全国的に有名になったとされる。
 貝塚の大きさは東西約130メートル、南北120メートルの馬蹄型(C字型)と呼ばれる貝塚である。
 発掘された土器の多くは縄文時代中期から後期にかけてのものが多く、共同墓地と思われるものも発掘されているという。
 現在、姥山貝塚は姥山貝塚公園として市民の憩いの場所ともなっている。
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