NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/14


比木神社 Hiki-jinja Hiki Shrine

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 西暦660年、唐と新羅の連合軍によって滅ぼされた朝鮮の古代国家「百済」、その王族や武官の多くは日本に亡命したと言われている。
 その王族のひとりである福智王(ふくちおう)は、現在の高鍋町蚊口浦に流れ着き、木城町に住んだと伝わる。
 福知王が住んだ場所は火棄(ひき)と名づけられ、王の亡き後は火棄大明神として祀られた。仁寿二(852)年、火棄は「比木」と改められ、現在の比木神社へと至る。
 言葉こそ通じなかったが、福知王をはじめ、高い文化を持った百済の人々は、多くの住民達に崇められ、その地に神として祀られたとされる。
 福知王の比木神社と父・禎嘉王(ていかおう)が祀られている神門神社の間で、年に一度二人が対面する儀式が行われている。異国の地で王を守り続け、亡くなった百済の人々を慰める儀式でもある。
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2007/4/12


安国寺不動院 銅製梵鐘 Ankoku-ji Fudo-in Dosei-bonsyou The Copper Bell at Ankokuji Fudoin Temple

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 不動院鐘楼にあるこの梵鐘は、毛利・豊臣両氏に信頼の厚かった安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が朝鮮半島から持ち帰ったと伝えられる、高麗(こうらい)初期の名鐘である。
 上中下の三段の輪を造り、それを継ぎ合わせて造られている鐘で、胴の中帯のき部分に十一体の仏の坐像を、また駒の爪に蓮華の花びら模様を浮き彫りにするなど、珍しい技法が用いられている。
 この鐘は寛永十一(1634)年に白神社の神女伊勢が、廿日市の鋳物師山田次右衛門に鋳造させ、白神社に寄進したものであることが、胴の一部分に刻まれている。
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2007/1/12


天女橋 Tennyobasi Tennyobashi Bridge

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 天女橋は、沖縄・那覇市にある円覚寺総門前の円鑑池の中にある弁財天堂に架けられた、日本最古の石造りアーチ橋である。
 1502年、朝鮮から贈られた経典を収納する堂宇が建てられた。天女橋は、堂宇へ渡る橋としてその時架けられたものである。
 この橋長9.4m、幅3mの小さな橋の名前は、中之島に祀られていた水の女神「弁財天」に由来する。
 橋の形式は、石造の単拱橋で、橋の中央アーチ上部が高くなっていて、その前後をゆるい斜面にしている。中国南部地方に多い、駝背橋(らくだの背中に似た橋)の形式の特徴を持つ橋である。
 1972年、国指定重要文化財に指定される。
 天女橋は、歴史と落ち着きを感じさせてくれる橋である。
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