NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/25


三次人形 Miyoshi-ningyou 

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 三次人形(みよしにんぎょう)は、広島県三次市三次町に伝わる民芸品である。県の伝統工芸品に指定されている。
 寛永一〇(1633)年頃、三次藩主・浅野長治(あさのながはる)が江戸浅草の人形師・森喜三郎(もりきさぶろう)をつれ帰り、歴史上の勇者や伝説上の人物の土人形を作らせ、家臣が一子をもうける度に、祝いとしてこの土人形を贈ったのが始まりとされている。
 にかわを塗る事によって艶やかな光沢があり、別名「光人形」と呼ばれている。特に顔に関しては、磨きだし手法によってその光沢を出している。
 普通、人形は六頭身が多い中で、八頭身の容姿端麗な人形としても有名で、その姿は群を抜いて美しいといわれている。
 三次人形は、現在でも約80種類が造られている、初節句や結婚式の引き出物として大切にされている、歴史ある人形である。
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2008/1/8


山王 日枝神社 Sanno-Hiejinja Sanno Hie Shrine

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 東京都永田町にある日枝神社は、文明一〇年(1478)、太田道灌公が江戸城を築城するにあたり、鎮護の神として日吉社を勧請したのに始まるとされている。
  その後、徳川家康公が江戸に移封され、江戸城を居城とするに至って『城内鎮守の社』として、また市民からは『江戸の産神』として崇敬されることとなる。
 当初は江戸城敷地内にあり、一般参拝は出来なかったが、 二代将軍秀忠公の江戸城改築にあたり、江戸城外に遷座され、庶民の参拝が可能となった。
 毎年六月に行われる山王祭は、三代将軍家光公以来、歴代の将軍が上覧拝礼する『天下祭り』として、神田明神の神田祭、富岡八幡宮深川八幡祭りとともに江戸三大祭の筆頭として長く親しまれている。
 威勢の良い下町の江戸っ子の中には、『山王祭はお上品過ぎるねぇ』といわれる方もいるが、もし時間があるのなら、江戸の祭りをはしごしてみるのも一興かもしれない。
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2007/11/15


吉田啓子 Yoshida Keiko Keiko Yoshida

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 浅草・鷲(おおとり)神社の酉の市のみで販売される縁起物の宝船熊手の製造販売「よし田」(台東区千束)大女将。大正一〇(1921)年生まれ。日本職人名工会認定者。
 「よし田」は現在、昔ながらの手法で宝船熊手を作り続けている唯一の店で、吉田啓子(よしだけいこ)さんは江戸時代から伝わる代々の技法を受け継ぐ職人である。鳶職であった夫が始めた宝船熊手の製造を内職のつもりで手伝ったことが職人となるきっかけ。夫が亡くなって以降は、「よし田」の女将として製造販売を取り仕切ってきた。
 「よし田」の宝船熊手は竹と紙という天然素材だけを使ったもので、竹割り、下絵の型抜き、色つけ、面相(顔描き)、外塗り、刺し込みなどすべて手仕事で行われている。この技法は、現在の女将で長女の吉田京子さんが受け継いでいる。
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宝船熊手 Takarabune-kumade Takarabune-kumade (Treasure Ship Rakes)

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 毎年一一月に催される酉の市。その発祥の地とされる浅草・鷲(おおとり)神社の酉の市だけで販売される縁起物が宝船熊手だ。製造販売している店は現在、浅草「よし田」のみ。サイズは二寸から一尺三寸まであり、酉の市が終わった日から一年かけて作られる。
 型で切り抜いた紙に線を描き、絵の具で彩色。面相(顔描き)をすませた人形を宝船に刺し込み、全体のバランスを整えれば完成。特に難しいのが表情を描き分けなければいけない面相だ。この手描きの手法は江戸時代から代々受け継がれてきたもの。現在は「よし田」大女将の吉田啓子さん、長女の京子さんが継承している。
 七福神や財宝、鯛などが鮮やかに彩られ、注連縄の先端を船の舳先に似せて熊手全体が宝船に見立てられているのが特徴。全体に赤い色を使っていることから「赤物」と呼ばれている。鷲神社の酉の市で最も人気の高い縁起物のひとつである。
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2007/6/12


七五三 Shichigosan 

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 三歳、五歳、七歳に行う子供の成長を祝い、一一月一五日に氏神様に参拝する年中行事で、元々は関東で行われていた行事だが、現在は全国で行っている。
 現在は満年齢で行う場合が多いが、本来は数え年で祝っていた。
 かつて乳幼児の死亡率が高かった時代には、七歳になって社会に出ることが認められたとされた。
 三歳で髪ののばし始める「髪置き」、五歳の男の子がはじめて袴をつける「袴着」、七歳の女の子が帯をつかいはじめる「帯解き」の三つのお祝いを行った。
 また、一五日は何事をするにも吉とされており、一一月一五日は、収穫の感謝と共に子供の成長を感謝を行った。
 七五三は、千歳飴を食べて祝う。千歳飴は長寿を願う飴で、細く長い形状をしており、白や赤などの縁起が良い色で着色されている。江戸時代に、浅草の飴屋「七兵衛」が売り出したとされている。
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2007/4/26


針供養 Hari-kuyou 

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 針供養(はりくよう)は折れた針を神社に納めて供養する行事であり、関東では2月8日、関西では12月8日に行なわれることが多い。
 豆腐、こんにゃく、餅などの柔らかいものに古針を刺し、普段硬いものを刺している針を休ませる。
 紙に包み奉納したり、海に流すなど地方により異なる風習を持つ場合もある。
 針の供養と自身の裁縫の上達を願ったのが始まりとされ、当日は針仕事を謹み、柔らかい煮物を食べて手を休める、という女性の休日でもあった。
 和歌山の淡島神社、浅草の淡島社で行なわれるものが有名であり、当日は裁縫や女性の神である婆利才女(はりさいじょ)が祭られ、全国から集まった針を労わり、供養が行なわれる。
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縁起物 熊手 Engimono Kumade 

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 熊手は、鷲が獲物をわしづかみすることになぞらえ、その爪を模し作られたとされる。「福徳をかき集める、鷲づかむ」という意味が込められている、縁起物の代表である。
 「酉の市」の日には、おかめや招福の縁起物を飾った「縁起熊手」を売る露店が立ち並び、市を開催する寺社からは小さな竹熊手に稲穂や札をつけた「熊手守り」が授与される。福を「掃き込む、かきこむ」との洒落にことよせ、「かっこめ」とも呼ばれている。
 熊手は熊手商と「買った(勝った)」、「まけた(負けた)」と気っ風の良いやり取りを楽しんで買うものとされ、商談が成立すると威勢よく手締めが打たれる。また年々大きくしてゆくものとされており、大小様々なものが売られている。
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2007/4/11


長沼の駒形大仏 Naganuma-no-Komagata-Daibutsu Komagata Great Buddha in Naganuma

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 長沼の駒形大仏は千葉市稲毛区長沼町に位置する大仏である。
 元禄十六(1703)年、近隣の長沼新田を開拓した江戸の薬種問屋、野田源内を願主として、近郷六十ヶ村から浄財を募り、建立された。作者は江戸浅草三間町の鋳物師、橋本伊左衛門藤原重広。
 高さ約2・4メートル。腹前で定印を結ぶ阿弥陀如来坐像であり、頭部は割込型鋳造、体部は別鋳したものを接合して造られている。
 背面に寄進者の一覧が刻まれていて、松戸、印旛沼などの地名から広い地域での信仰を集めていたことがうかがえる。
 御成街道を行き交う人馬の安全と疾病の退散を祈願してつくられたこの大仏は、現在も長沼街道へと優しげな視線を向け、人々を見守っている。
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