NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/11


細川紙 Hosokawa-shi 

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 細川紙(ほそかわし)は、古来より貴族や武家などで用いられる高級な奉書紙(ほうしょかみ)が、現在に受け継がれている漉き紙である。
 原料は椿のみであることや伝統的な製法と製紙用具によること、古来より伝承されている細川紙の色沢や地合などの特質を保持することなどが厳密に求められており、故にそうした製作技術は昭和五三(1978)年に国の重要無形文化財に指定されている。
 漉き紙の起源は古く、およそ千三百年前、当時の武蔵国に渡来した高句麗人により伝えられたといわれている。
 現在は埼玉県のほぼ中央にある小川町で盛んに漉かれている細川紙だが、本来は紀州高野山麓の細川村で漉かれていた奉書紙が、江戸時代初期に江戸にも程近い小川周辺に伝わったといわれており、紙の名前もそのまま、細川の名を受け継いでいる。
 紙の地合がしまっていて、毛羽立ちが生じにくく、きわめて強靭なその紙面は、紙にも品を求める多くの通人たちに今も愛されている逸品である。
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2007/4/13


加賀竿 Kaga-zao Kaga Fishing Rod

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 石川県加賀市には、「加賀竿」という伝統工芸品がある。江戸時代から技術を伝承してきた高級釣竿だ。
 江戸時代、浅野川の清流では、武士に対し、「釣り」を「健康増進」を目的として奨励していた。鮎釣りは武士にのみ許された特権であり、その竿さばきは剣術にも通じるところがあるなど、隠れた武芸の鍛錬の場でもあった。
 鮎釣りには堅牢な釣り竿が求められ、元禄の頃から竿師が登場するようになったという。やがて漆塗りや加飾が施されるようになり、現在の加賀竿の原型が形成された。
 加賀竿は2年生の竹を高熱加工して強靭さを加え、漆を数回から十数回に渡り塗り重ねる。質実剛健を旨とするため、華美な装飾を避け、黒呂色(くろろいろ)を基調とする。
 しなやかで腰の強い竹の加賀竿は本物志向の人々の支持を集め、最高級の釣竿として今も根強い人気を持つ。
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2006/12/22


奥出雲玉鋼工芸品 Okuizumo-tamahagane-kougeihin Oku-Izumi Tama-steel handicraft

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 島根県奥出雲地方の製鉄で栄えた町の美術工芸品。
 室町時代から始った製鉄作りの地は「古事記」に伝わる八岐の大蛇退治伝説の地である。宝剣の草薙剣が大蛇の尾から現れたという伝説があるように、古くから製鉄技術が発達し、優れた鋼の産地であった。
 明治中期まで、奥出雲を中心として産出される鉄は日本の需要の70%を満たしていた。しかし、鉄の需要が広まり、手間のかからない製鉄技術が一般化し、玉鋼技術は昭和40年代に日本から消えた。
 日本で唯一、鳥上木炭鉄工場の「日保刀たたら」が残った。玉鋼や和鉄は、古来の製錬法(鉄穴流し)によって、砂鉄を原料とした「たたら」で製造される。この玉鋼は粘着性の大きさが特徴で、十分な打ち返しや鍛錬が可能であるため強靭で地刃の美しい刃物を生む。
 現在もなお手作りで製作されているもので、和鉄工芸品の新作にも意欲的に取り組むなど伝統の保存と生産研究を続けている。
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石州和紙 Sekisyuu-washi Sekisyuu Japanese Paper

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 島根県の西部石見地方一帯で、伝統工芸品として今でも作られている、手漉きの和紙。その歴史は1300年と言われる。
 原料には地元で栽培される良質な楮(こうぞ)の木など、植物の靭皮(じんぴ)繊維を使う。
 かつて大阪商人は、石州半紙を帳簿に使っていた。帳簿は商人の命の次に大事なもので、火災のときには、帳簿を井戸に放り込んで避難する。石州半紙でできた帳簿は、微細、強靭に作られているため、顧客情報を失うことはなかったと言う。
 石州和紙が完成するまでの工程は、原材料の調達から、加工、紙漉きまで10工程以上もの作業、すべて手作業で行われ、職人として高度な技術を必要とする。
 重要無形文化財にも指定されている。
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2006/12/19


内山紙 Uchiyama-gami Uchiyama Paper

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 長野県の北部にある内山では、昔から和紙漉きの技術が発達してきた。「内山紙」と呼ばれるその和紙は、特に障子紙として厚く丈夫で色焼けしにくいと、大変人気がある。
 内山和紙の起源は不明だが、寛文元年(1611年)に高井郡内山村(現木島平村内山)の萩原喜右衛門が美濃で技術を習得し、この地に紙漉きを伝えたと言われている。以来、地元で産出される楮(こうぞ)を蒸して皮を剥いだ後、雪の上に広げ日光で晒す「雪晒し」など、独特の技術を作り上げてきた。
 原料である楮(こうぞ)は繊維が太く長くて強靭なので、特に障子紙や表具用紙、美術紙、奉書紙などに適している。雪国の伝統を今に伝える内山紙の現在の生産中心地は、飯山市瑞穂地区。90余人の職人たちが、400年の伝統の技を守り続けている。



 
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