NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/12/11


秋川歌舞伎 Akigawa-kabuki 

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 秋川歌舞伎(あきがわかぶき)は二宮歌舞伎(にのみやかぶき)と呼ばれていた農村歌舞伎が、時代の流れと共に改称されたものである。
 二宮歌舞伎は、二宮神社にて神楽と説教節と車人形を伝承していた古谷家が明治に入って始めたとされる。その後、古谷家と栗原家のニ座に別れたという。
 新派栗原家、市川増三郎一座が、学校五日制が導入された後の郊外活動の一環として、地元の子ども達に伝統芸能を伝承するために、秋川歌舞伎「あきるの座」を発足したとされる。歌舞伎の指導には、故・市川増三郎氏が当たったという。
 現在ではニ〇〇人近い保存会員と座員を持つ団体に成長した一座は、毎年数回の公演を行い、次世代へと引き継がれているという。
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2007/11/5


肥土山農村歌舞伎 Hitoyama-nouson-kabuki Farmers’ Kabuki in Hitoyama

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 肥土山農村歌舞伎(ひとやまのうそんかぶき)は約三〇〇年ほど前から続く、小豆島(しょうどしま)の農村歌舞伎である。
 昔、小豆島の肥土山村の農民は水不足による干害に苦しめられていた。当時の肥土山村庄屋・太田伊左右衛門典徳(おおたいざうえもんてんとく)は、三年の歳月と私財を投げ打ち灌漑用の池を構築、肥土山村に水路を築いた。初めて肥土山離宮八幡神社の側の溝に水が流れてきた時、人々は歓喜し、喜びの祝典として仮小屋を建て、芝居一座を呼び芝居を上演した。これが肥土山農村歌舞伎の始まりである。
 当時、小豆島は関西方面からの往来が頻繁に行われていたことから、上方芸能もいち早く伝わり、芝居は大切な娯楽となった。そのため小豆島の農村歌舞伎は、幕末・明治・大正・昭和にかけて隆盛を博してきた。
 現在でも、肥土山農村歌舞伎と池田町の中山農村歌舞伎の二ケ所で上演され続けている。
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2007/10/15


四国村 Shikoku-mura Shikoku Minka Museum

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 香川県高松市北東部にある屋島(やしま)といえば、劣勢の平家が新たに本拠地を構えた地であり、名将・源義経との間に壮絶な源平合戦が繰り広げられた地である。
 四国村(しこくむら)は、この屋島山麓に四国各地の歴史ある建物、民家を移築・復元した野外博物館である。
 四国各地から集められた伝統的家屋や市指定、県指定の文化財である農村歌舞伎舞台、旧丸亀藩斥候番所、米蔵であった旧丸亀藩御用蔵などを、ゆっくりと散策することができる。
 また、南の山の斜面に建てられている美術館「四国ギャラリー」には多数の美術品が展示され、バルコニーからは「水景庭園」も楽しめるようになっている。
 特に、農村歌舞伎舞台は、現代ではなかなかお目にかかることが出来ない貴重な保存建物である。
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2007/8/17


播州歌舞伎 Banshuu-kabuki 

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 播州歌舞伎は、江戸時代の元禄年間(1688〜1704年)に、兵庫県加西市北条の高室地域ではじまった高室歌舞伎の流れを組む、千三百年の歴史を持つ「農村歌舞伎」である。
 高室座は昭和十二年頃に廃れたが、現在では兵庫県多可郡中町に本拠を置く嵐獅山一座がその伝統を受け継いでいる。
 播州歌舞伎の魅力はなんと言っても、練りに練ったオーバーアクション。斬られて死ぬ場面でも、ちょっとやそっとでは死なない。「播州歌舞伎は泥臭いもの。観客と役者がわあわあと楽しむ。それが大衆演劇だ」と、播州歌舞伎の継承者、中村和歌若氏は語る。
 現在では、「播州歌舞伎」は嵐獅山一座のブランド名となり、全国にもその名が知られている。昭和四八年には、東京の国立劇場にも出演した。
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2007/8/16


上三原田の歌舞伎舞台 Kamimiharada-no-kabukibutai The Kabuki Theater in Kamimiharada

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 上三原田の歌舞伎舞台は、群馬県渋川市赤城町にある特殊な機構を持つ建築物である。国指定重要有形民族文化財に指定されている。
 文政二(1819)年、大工の永井長治郎が上方に修行に行き、帰郷後に赤城山天竜寺内に建築したと伝えられている。明治一五(1882)年、現在地に移築された。
 この舞台での歌舞伎公演は途中何度か中断されたが、地元伝承委員会による舞台操作技術の伝承と古典芸能部による地芝居の復活により、現在でも農村歌舞伎が公演されている。
 ガンドウ機構・遠見機構・柱立廻式回転機構・セリヒキ機構という、全国に例を見ない特殊な機構を持っている舞台装置である。また、人力で行われる操作技術も文化財である。
 歌舞伎公演の時には、舞台を動かすのに息の合った80人以上の大人の力が必要となる。
 上三原田の歌舞伎舞台は、現役で公演を鑑賞することができる、珍しい機構を持つ舞台建築物である。
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2007/7/12


檜枝岐歌舞伎 Hinoemata-kabuki 

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 江戸時代中期から 200年以上もの歴史をもつ農民芸能で、かつて村人たちが 伊勢参りなどにでかけた際に歌舞伎を見て、見よう見まねで始めたのが 起源だと言われる。
 村の鎮守の前に舞台を作り、村の神に奉納する形で歌舞伎を演じるのである。なおこの地芝居(じしばい・地方で行われる芝居の意)は県の重要無形文化財に指定され、また舞台は国の重要有形民俗文化財に指定されている。
 年三回上演される奉納歌舞伎のうち八月の大祭の時は、季節も良く大勢の観光客でにぎわう。歌舞伎座で見る歌舞伎とは違い泥臭さはあるが、それはあくまで素人集団の演じる農村歌舞伎の流れで上演されているからであり、歌舞伎ファンにとってはその素朴さがかえって魅力となっている。
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2007/2/21


国見田舎歌舞伎 Kunimi-Inaka-kabuki 

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 国見田舎歌舞伎(くにみいなかかぶき)は、大分県東国東郡国見町にて行われる伝統芸能である。
 国見田舎歌舞伎は、毎年11月の第2土・日曜日に開催される、国見町最大のイベント「ちょるちょる祭り」にて行われる。
 「ちょるちょる」というのはこの地域の「・・・している」という方言で、つまり「祭りをしている」という意味になる。
 国見の田舎歌舞伎は、江戸時代以降200年間の伝統を誇る田舎芝居であり、庶民の娯楽として行われ続けた農村歌舞伎である。
 地芸芝居とも言われ、これまでに何回かの衰退を繰り返しながらも継承されてきた。一時は途絶えた事もあるが、近年復活した。
 国見田舎歌舞伎は、素朴ながら本格的な伝統行事であり、娯楽の少なかった時代の、庶民のハレの日を今に伝える民間芸能である。
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