NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/20


富士宮秋祭り Fujinomiya-akimatsuri 

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 富士宮秋祭り(ふじのみやあきまつり)は、静岡県富士宮市宮町の浅間大社にて毎年一一月三日~五日に開催されている例祭である。
 浅間大社は、垂仁天皇三(紀元前27)年頃に富士山の神霊「浅間大神」を鎮めるため垂仁天皇自らが祀ったのが始まりとされる古社で、全国に1300社といわれる浅間神社の総本宮である。祭神は浅間大神、木花之佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)。
 富士宮秋祭りは、起源は不詳ながらかなり古くから行われていたと考えられている五穀豊穣を祝う秋祭りで、県の無形民俗文化財に指定されている。
 浅間大社氏子町内20区による山車の引き回しが行われ、三日の宮参りに始まり、四日の共同催事には大社周辺に全ての山車、屋台が集結し共同催事が行われる。
 山車・屋台をぶつけ合う競り合いは、必ず「両者甲乙つけがたく、引き分け」となり、地区の繁栄と友好を祈願する。
 富士宮秋祭りは、豊作に感謝する民衆の集う祭りである。
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2007/7/19


唐戸山神事相撲 Karatoyama-shinji-zumou Karato-yama Shinji Sumo

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 唐戸山神事相撲(からとやましんじずもう)は、石川県羽咋市の羽咋神社(はくいじんじゃ)で毎年九月二五日に行われる伝統行事である。
 日本最古の相撲としても知られており、その歴史は第十一代垂仁(すいにん)天皇の時代にまで遡ることになる。
 垂仁天皇が日本の歴史上初めて、野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹴速(たいまのけはや)に相撲をとらせたといわれており、その皇子である磐衝別命(いわつくのわけのみこと)が現在の羽咋市で若者たちを集めて武勇を養い、また力の長けた人を招いて相撲をとらせていたことから、皇子の命日である九月二五日に行われるようになったのが始まりといわれている。
 以来、約二千年もの長きに渡って連綿と継承され、神事が行われる日には北陸各地から力自慢の若者達が唐戸山に集まり、相撲をとって皇子の神霊をお慰めする。
 「水なし、塩なし、まったなし」の掛け声とともに二千年にわたって続けられてきた神事は、もはや神話の一部といっても過言ではないかもしれない。
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2007/5/18


岐阜 伊奈波神社 Gifu Inaba-jinja 

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 伊奈波神社(いなばじんじゃ)は、岐阜県に社を構える神社である。
景行天皇十四年、五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)の偉徳を偲び、武内宿禰が椿原に祀ったのが始まりとされる。主祭神の五十瓊敷入彦命は、垂仁天皇の第一皇子で、当地を始め広い地域を整備し、溝渠を作り、農耕の基礎を築いて人々の生活に安定をもたらした。そのことから、岐阜の総産土神、諸願成就の神として親しまれ崇敬されている。
 1539年に斎藤秀龍が、稲葉山を居城とするのにあたり、現社地に遷し奉った。その際、この地の物部神社と合祀された。
 1873年に県社になり、1939年一一月一日に国幣小社に昇格。境内は、壮大な楼門、拝殿、本殿等が建ち並ぶ厳かな雰囲気で、元旦や桜の時期には参拝客で賑わう。
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2007/3/15


富士山本宮浅間大社 Fujisan-honguu-sengen-taisha Fujisan Hongu Sengen Taisha Shrine

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 富士山本宮浅間大社は、静岡県富士宮市宮町にある神社である。祭神は、木花之佐久夜毘売命となっている。
 日本国内の1300余にのぼる浅間神社の総本宮であり、富士信仰の中心地である。富士山を神体山とし、山頂に奥宮がある。
 垂仁天皇3(紀元前27)年頃に富士山麓にて祀ったのが始まりと伝わる。
 元々の祭神は富士山の神霊である浅間大神であるが、いつの時代からか、神話に登場する木花之佐久夜毘売命と同一視されるようになった。
 現在は、木花之佐久夜毘売命を主祭神とし、夫神の天津日高日子番能邇邇芸命(あめにぎしくににぎしあまつひこほのににぎのみこと)、父神の大山津見命を配祀する。
 富士山本宮浅間大社は、富士山の八合目より上を所有し、歴代の武将にも崇め奉られた古式ゆかしい神社である。
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2007/3/9


垂仁天皇陵 Suinin-tennou-ryou Suinin Tenno-ryo, Emperor Suinin’s Tomb

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 垂仁天皇陵は、奈良県奈良市尼ケ辻西町にある、垂仁天皇の墓とされる場所である。
 垂仁天皇は、古事記・日本書紀に記される第11代天皇である。
 垂仁天皇陵は、正式名を菅原伏見東陵・宝来山古墳と言い、垂仁天皇の御陵とされている前方後円墳である。
 神仙の住む不老不死の蓬莱山に因み、今の地名は「ホウライ」に宝来の字を当てて、宝来山古墳、その北側の辺りを奈良市宝来町としている。
 垂仁天皇陵は、水濠に囲まれた墳丘が美しい、全長227メートルの墓稜である。
 濠の南東部に浮かぶ小島は、垂仁天皇の命で常世の国へ不老不死の果物を探しに行った田道間守の墓だという。
 垂仁天皇陵は、日本の神代の不思議と神秘を感じさせる、雰囲気ある場所である。
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2007/2/27


石上神宮 Isonokami-jinguu Isonokami Jingu Shrine

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 石上神宮(いそのかみじんぐう)は奈良県天理市に位置する神社である。別名を石上振神宮、石上布都御魂神社とも呼ばれた。
 崇神天皇の御世に、宮中にて拝されていた神剣布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)を物部氏の伊香色雄命(いかがしこおのみこと)が、当地に祀ったのを創建とされ、日本最古の神社とも言われる。
 垂仁天皇の御世には剣千本が奉納され、神剣・天羽羽斬(あめのはばきり)も収められて、大いに隆盛を誇ったが、鎌倉時代以降、衰微を辿る。
 明治七(1874)年の発掘でご神体の布都御魂剣が出土した跡に本殿を築き、今に至っている。
 本殿が無かった時代に作られた「禁足地」には、今も剣先状の石玉垣が残り、神代の時代を今に残している。
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橘寺 Tachibana-dera Tachibanadera Temple

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 橘寺は奈良県高市郡明日香村に位置する天台宗の寺院。正しくは「仏頭山上宮皇院菩提寺(ぶっとうざんじょうぐうおういんぼだいじ)」と称する。
 垂仁天皇の命により田道間守(たじまもり)が、常世の国から持ち帰った不老不死の果実である橘を植えたことから、橘寺の名が付いたとされる。
 開基は聖徳太子。元は用明天皇の離宮、橘宮であり、聖徳太子誕生の地。聖徳太子創建七ヶ寺の一つでもある。
 本尊は聖徳太子勝鬘経講讃像、聖徳太子三十五歳の像とされ、太子像では日本最古のもの。
 境内には背中合わせに善悪の二面を刻んだ「二面石」が安置され、奈良の奇石の一つとして知られる。
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