NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/30


緑青色(ロクショウイロ) Rokushou-iro 

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 緑青色(ろくしょういろ)とは、色彩の種類の一つで、日本に昔から伝わる伝統色である。
 仏教伝来とともに中国から伝わった顔料で、孔雀石の粉末に水を加えて強く研ぎ、上層に浮き上がる細かい粒子を白緑、中層にたまる粒子を中緑、下層にたまるものを緑青と言う。
 岩絵具の顔料であり、昔から日本画の緑色として欠かせないものであった。
 また、古代から人工的に銅や青銅を酸化させて、表面にできる緑色の錆から採取する製法も存在する。成分はいずれも、炭酸銅と水銀化銅の混合物である。
 古来、絵画の緑色絵の具の代表的なもので、彫刻や建築などの塗装などにも広く用いられてきた。
 落ち着いた感じのする、日本に古来より伝わるくすんだ青緑である。
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2008/7/16


貞山運河 Teizan-unga Teizan Canal

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 貞山運河(ていざんうんが)は、仙台湾沿いにある運河のことをいう。総延長約四六、四キロメートルの全国一長い運河で、旧北上川河口から阿武隈川河口までを結んでいる。
 仙台藩主伊達政宗は慶長二(1597)年、松島湾と阿武隈川を結ぶ運河の建設を命じた。政宗亡き後も複数の運河が計画され、その後明治一七(1884)年まで建設が続いた。貞山掘とも呼ばれ、伊達政宗公の謚(おくりな)である「瑞巌寺殿貞山禅利大居士」(ずいがんじでんていざんぜんりだいこじ)からその名がついた。
 この時代の物資輸送は舟運が中心だった。当時の内務卿大久保利通は、東北六県の長官に意見を求め、宮城・岩手間の米輸送に欠かせなかった北上川に着目し、北上川と阿武隈川を結んで東北の輸送手段を造ろうと考えた。
 現在の運河は、農業用水路や漁港の一部として利用されるほか、釣りの名所としても知られる。また、七北田川から名取川にかけての運河沿いには、美しい松林が続く海岸公園があり、サイクリングロードなどが整備されている。
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2008/7/11


青花 Aobana Aobana

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 青花(あおばな)は、日本に伝わる染料のひとつである。
 下絵を描く染料で、露草、螢草などと呼ばれる多年草の花の液汁を和紙にしみ込ませた物で、露草の青い花の汁から得ることからこの名がある。
 友禅模様の下絵などを描くために使用する物で、青花紙、藍紙などともいう。
 青花を少しちぎって皿に入れ、水を注ぐと青インキのような液体が現れるが、これで描いた物は水洗いするときれいに消えるので、その特性を利用して、下絵描き用に使われる。
 露草の花の色の変わりやすさは古くから知られており、「世の中の人の心はつゆくさの移ろいやすき色にぞありける」と、歌にも詠まれている。
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2008/2/22


千草色(チグサイロ) Chigusa-iro Chigusa Color

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 千草色(ちぐさいろ)は、夏に小さな青い花を咲かせる露草の花弁から搾り取った汁で染めた色で、その花の名から千草色と呼ばれている。緑がかった明るいうす青色をしている。
 露草のことを千草というのは、露草の別名月草(つきくさ)に由来し、その名が訛ったといわれている。
 千草の花は夏の間に野原や道端でもよく見られる花で、朝にきれいに開花し、午後にはしぼむ、日本の夏に風情を添える可憐な花である。その絞り汁の青は、褪せやすく水に遭うと消えてしまうため、友禅染の下絵にも使われる。
 京都の丁稚などが身に着けたお仕着せの着物は、藍でごく浅く染められた浅葱色をしていたが、日常的に着古して色褪せた布にまたごく薄く藍染めを重ねていった色を「千草色」と呼ぶようになった。藍は薄く染めると緑がかった色がでるので、露草の絞り汁で染めたものと通ずるものがあったのだろう。
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2008/2/21


露草(ツユクサ) Tsuyukusa 

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 露草(つゆくさ)は世界中に分布し、日本でも道端でも見られるなど、日常的に馴染みのある植物である。
 可憐な花を咲かせ、日本では古くから親しまれ、歌にもよく詠まれる花である。
 また花を搾った汁は、染料としても使われ、源氏物語「野分」には露草で文様を染める様子が描かれている。
 露草はもともと、月草(つきくさ)と呼ばれており、万葉集には「月草」が九首に詠われて、俳句では秋の季語となっている。朝顔の花のように、朝に咲いた可憐な花は昼にはしぼんでしまうことから、儚さの象徴として詠まれることが多い。
 青い色素は非常に褪せやすく、容易に水で流れ落ちるため、友禅染などの染物の下絵を描くときに利用される。
 暑い季節、朝露にしっとり濡れた青い花が心に残る植物である。
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2008/2/7


水の平焼 Mizunodaira-yaki 

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 熊本県天草地方で焼かれる陶磁器類をまとめて、天草陶磁器(あまくさとうじき)と呼ぶ。平成一五(2003)年に国の伝統的工芸品に指定された際、新たに名付けられた呼び名で、水の平焼(みずのだいらやき)はこれらを代表する陶器の一つ。
 水の平焼は、江戸時代末期の明和二(1765)年、山仁田窯を受け継いだ岡部常兵衛によって創業され、地名にちなんで命名された。三代目弥四郎が内国勧業博覧会に出品し受賞すると、水の平焼は一躍その名を全国にとどろかせることになる。五代目源四郎が釉薬(ゆうやく)を研究し、独特の海鼠色(なまこいろ)を完成させたことにより、ほかには真似のできないオリジナリティあふれる陶器として、その地位を確立した。
 代表的な青色や赤色の絵模様を描き出すため、土を掘って粘土を作り、釉薬の原料となる稲藁を焼くなど、先代が築き上げてきた技法を今も大切に守り続けている。
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2008/1/22


群青色(グンジョウイロ) Gunjou-iro Gunjyou Color

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 青の集まりという意味を持つ群青色(ぐんじょういろ)は、中国から入った顔料の名に由来しており、青色や紺色とは違ってやや紫味を含んでいる。紺青(こんじょう)とも呼ばれる深く濃い青色のことである。
 天然の群青で最上のものは「瑠璃(るり)」から作られたと言われる。瑠璃は英名をラピス・ラズリといい、当時はとても稀少な鉱石であったという。瑠璃以外では藍銅鉱のアズライト粉末が原料に使われている。
 群青色は日本画の鮮やかな青色を表すためには欠かせない色とされており、桃山時代の豪華な障壁画などにも多く見られる。また、江戸時代の屏風絵や反物などにもその濃厚な青色が惜しみなく使われている。
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2008/1/17


青貝塗 Aogai-nuri 

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 青貝塗(あおがいぬり)は、国の伝統的工芸品に指定されている「高岡漆器」の代表的な技法の一つ。
 アワビなどの貝を刀、針といった道具を用いて三角形や菱形の細片を作り、これを組み合わせて山水花鳥を表現する技法で、江戸時代初期に当時の越中富山藩主が京都より漆器職人を招いたことに始まるという。
 約〇・三ミリ厚の貝を貼り付ける一般的な螺鈿(らでん)に対し、青貝塗は約〇・一ミリ厚の薄い貝を貼り付けるため、下地の黒い漆が透けて貝が青く見えることから、こう呼ばれるようになった。
 青貝塗の作業は分業化されており、木地師、青貝師、塗師(ぬし)がそれぞれ連携を取りながら製品に仕上げていく。木地師が木で箱や器などを作り、青貝師が貝を貼り付け、塗師が下塗りと上塗りを行う。製品はお盆や文箱、コンパクトな箱など実用品が多い。
 漆器は使えば使うほど味が出て、時と共に深い愛着がわいてくるもの。だからこそ、普段の暮らしの中で使って欲しいと、青貝塗の職人たちは願ってやまない。
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