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2007/7/27


中将実方朝臣の墓 Chuujou-sanekata-ason-no-haka The Grave of Fujiwara no Sanekata Ason

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 中将実方朝臣の墓(ちゅうじょうさねかたあそんのはか)は、宮城県名取市愛島塩手にある、藤原実方の墳墓である。
 藤原実方は、藤原一門のなかでも由緒ある家柄の生まれで、美貌と風流を兼ね備えた貴公子として知られ、源氏物語の光源氏のモデルともいわれている。また、中古三十六歌仙の一人とされる。
 長徳元(995)年、天皇の面前で三蹟の一人である藤原行成に乱暴を働いた。それが元で佐近衛忠将から陸奥守に左遷され、「歌枕見て参れ」との勅命で各地の名所旧跡を訪ね歩く事となった。
 長徳四(998)年、訪ね歩く途上、名取郡笠島道祖神の前で落馬し、亡くなったと伝えられる。
 後に西行・松尾芭蕉がこの地を尋ね、共に歌を詠んでおり、近くにはその歌碑も建っている。
 中将実方朝臣の墓は、平安の昔が偲ばれる、竹林の中に静かに建つ小さな墓である。
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2007/2/19


仏隆寺 Buturyuu-ji Butsuryuji Temple

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 仏隆寺は奈良県宇陀市に位置する真言宗室生寺派の寺院。室生寺の末寺であり、室生寺の南門とされる。
 嘉祥三(850)年に賢恵が開基したが、興福寺別当、修円の庵であったとも言われる。
 本尊の十一面観音菩薩立像は聖徳太子の作とされ、境内には賢恵の墓である珍しい方形造りの石室が残る。
 大和茶発祥の地であり、空海が中国から持ち帰った茶葉を、弟子の賢恵が栽培したことが始まりと言われる。寺には空海の唐から持ち帰った石臼が伝えられている。
 山門からの石段は「大和三名段」の一つであり、春は樹齢九百年の桜の大木が訪れるものを迎え入れ、秋には赤い彼岸花が参道を染め上げる。その様は絶景である。
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2007/2/14


華蔵寺 Kezou-ji Kezo Temple

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 愛知県幡豆郡吉良町にあるお寺。
 歴史は1600年、吉良義定(きらよしさだ)が吉良家の菩提寺として建立されたといわれる。金星山華蔵寺と称し真言宗であったとされる。
 本堂裏手には枯山水式の見事な庭園がある。吉良家代々の墓のなかには、忠臣蔵にでてくる、吉良上野介義央(きらこうずのすけよしひさ)の墓もある。
 本堂にある駿河国松陰寺の白陰に師事した、池大雅(いけのたいが)作の花鳥風月が描かれた44面の襖絵がある。普段は収蔵庫にあるが、正月には本堂で公開されている。
 吉良上野介義央自らが彩色したという木像は県指定の文化財にもなっている。
 毎年12月4日には吉良義央公毎歳忌が行なわれている。
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2007/2/12


大樹寺 Daijyu-ji 

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 大樹寺は、愛知県岡崎市にある浄土宗の寺院。徳川家の菩提寺であり、歴代当主の墓や位牌主の身長などが記されている歴代将軍(大樹公)の位牌が安置されている。
 1475年松平親忠が創建したといわれる。1535年清康(家康の祖父)が多宝搭(国の重要文化財指定)を建立。位牌などの墓は、家康が1602年に先祖8代の墓碑をたてたのが始まりとされている。
 過去の有名な話としては、1560年家康は、桶狭間の合戦で今川勢につき、相手方の織田信長に、奇襲され敗れたとき、命からがら逃げ帰ったのがこの寺だったという。先祖の墓の前で、自害しようとしたとき、この寺の住職であった登誉上人から止められ、思いとどまったということである。
 観光地としても有名で、1年を通じて賑わいを見せている。
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2007/2/7


護国寺 Gokoku-ji 

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 護国寺は、東京都文京区大塚にある真言宗・豊山派の大本山である。本尊は如意輪観音。
 護国寺は、天和元(1681)年、五代将軍綱吉の生母桂昌院の発願で、雑司ヶ谷御薬園に建立された。
 開山は亮賢。江戸三十三箇所観音霊場の第13番札所とされる。
 元禄七(1694)年、綱吉は桂昌院とともに護国寺に参詣し、以来桂昌院は30数度、綱吉は16度に及び護国寺を訪れている。
 護国寺は徳川家に所縁の深い寺であったが、明治になって三条実美がここに墓を建てると、以後顕官、軍人、実業家が競ってここに墓所を定めた。
 また、茶道の総本山としても有名である。
 護国寺は、近代日本との縁も深い、厳かな寺院である。
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2007/2/5


夷耶馬 Ebisu-yaba 

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 竹田川上流の西谷と東谷その中間の中山仙境あわせた地域一帯を夷谷といい、奇岩怪石のそそり立つ様に思わず目を奪われる耶馬溪式景観は一路一景に選定されている。
 夷村は、夷耶馬と呼ばれる中山仙境を中にして東夷、西夷に分かれ、それぞれに良く似た割石がある。東の方は霊仙寺の西上に、西の方は横岳の上にある。石の大きさはどちらも直径が約10メートル、どちらも30センチ程の割れ目が真ん中にある。この二つの割石は、兄弟割石と呼ばれ、不思議な云われがある。この割石のそばで猟をしていた人が突然いなくなったり、住処にしようと入った獣がいなくなったりしたという。割石には似たような洞窟が続いており人も獣も一度足を踏み入れたら出口がわからなくなると言われ、悲しい事に、割れ目に入って亡くなった人を弔うお墓が、今でも割石のそばにある。
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2007/2/1


吉田寺 Kichiden-ji Kichidenji Temple

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 吉田寺(きちでんじ)は、奈良県斑鳩町小吉田集落の北に位置し、俗に「ぽっくり寺」の異名を持つ。
 創始は、天智天皇の勅願で、天皇の妹・間人皇女(はしのひとのひめみこ)の御墓を建てたが、永延元(987)年に恵心僧都源信がこれと別に堂を建立し、寺を創建したとされる。
 「ぽっくり寺」の名前の由来は、恵心僧都が、母の臨終の際に除魔の祈願をしたところ、苦しむことなく往生したところから付けられたとされる。
 見どころは本尊の阿弥陀坐像。約4.85メートルもあり、木造では県下最大、国の重要文化財にも指定されている。この像の前で祈祷すれば、天寿をまっとうできるとの信仰が古くから残る。また、奈良県下でも保存数が少ない多宝塔は、寛正四(1463)年建築の重要文化財である。
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2007/1/25


太宰府天満宮 Dazaifu-tenmanguu Daizaifu Tenmangu Shrine

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 大宰府天満宮は、福岡県太宰府市宰府にある、菅原道真を祀っていることで有名な神社である。国宝「翰苑 巻第三十」を所持。
 道真は藤原氏の陰謀によってこの地に流され、903年に死去した。その遺骸を都まで送る途中、牛車が動かなかったのを道真の遺志として、そこに墓が作られた。
 道真の没後、京では疫病や異常気象などが続いたため「道真の祟り」と恐れられた。これを鎮めるために道真の墓所の上に社殿を建立したのが、太宰府天満宮の始まりである。
 後に、道真が生前優れた学者であったことから学問の神として信仰されるようになった。
 現在も参拝客が多く、学問の神様としてあがめられている。太宰府天満宮・北野天満宮、そして防府市の防府天満宮を合わせて「三天神」とよばれる。
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