NIPPON Kichi - 日本吉

記事数8件: 1~8 件表示          

2008/2/7


ラルフ・キゲル Ralph Kiggell Ralph Kiggell

Jp En

 ラルフ・キゲル、英国出身。1960年、ザンビア生まれ。その作品において、東アジアからの影響を強く受けている木版画作家である。
 子供の頃から日本の木版画に興味を持ち、ロンドンの大英博物館で定期的に開催される浮世絵の特別展で、葛飾北斎や喜多川歌麿などの作品に触れる。1990年、木版画の勉強のために来日。木版画家の吉田遠志が設立した東京の吉田版画アカデミーで、遠志の息子で吉田博の孫でもある吉田司のもとで学ぶ。後に京都精華大学、そして多摩美術大学で現代木版画の技術を学ぶ。
 日本の木版画は、手作りの天然の素材を用いてすべての制作過程を手作業で行う。その繊細さがキゲル氏にぴったりとくるようだ。「手から木へ」そして「木から紙へ」という一連の流れには有機的な関係がある。まさに今私たちが生きているデジタル時代において、木版画は現代の芸術表現の中で特別な力を持つ重要な媒体であるとキゲル氏は考えている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/6/18


岩野市兵衛(人間国宝) Iwano Ichibee Ichibee Iwano (Living National Treasure)

Jp En

 昭和八(1933)年、福井県今立町生まれ。越前奉書製造で有名な人間国宝、八代目岩野市兵衛の長男として生まれる。九代目の自身も平成十二(2000)年に人間国宝に認定され、親子二代での人間国宝受賞となった。
 先代の市兵衛氏の漉く奉書は、広く内外の版画家から支持されピカソも愛用していたという。
 職人気質は父譲り、毎日ひたすら紙漉きを続けて六十余年、ただただいい紙を、という一念で仕事をしてきた。氏の漉く紙は腰が強く、どうやっても裂くことができないくらい丈夫。画家の精密な筆先でも絵の具が滲むことはない。
 葛飾北斎の極薄の版画用紙を漉いたこともある。復刻版画はバレンを何百回もかける。それに耐える紙を漉くのは難しいが、「挑戦するときは職人の血が騒ぎますね」と氏は穏やかに笑う。根っからの職人魂は、父をも超えた。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/2/19


浮世絵 Ukiyo-e Ukiyoe

Jp En

 江戸時代の風俗を描いた絵画。「浮世」とは現在の世を指し、当時の日常、風景、人物を描いたものである。
 安土桃山時代に京都の庶民を描いたものが始まりとされる。その後江戸時代に入り一般に広まった。
 初期は肉筆と淡色の版画のみであったが、印刷技術や紙の質の向上により、多色刷りである「錦絵」が作られるようになり人気を博した。
 描かれる対象は美人画、役者絵、武者絵などの人物、名所絵などの風景、滑稽なものを描いた戯画など多岐に渡る。
 芸術性が高いが、当時のチラシやポスターにあたり、ごく日常的に扱われていたもので、明治時代に海外に輸出された焼物の包装紙として扱われ、それを見た多くの芸術家が影響を受けた。
 世界的にも有名であり、多くの人々を魅了している。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




棟方志功 Munakata Shikou 

Jp

 1903年、青森県生まれ。日本を代表する板画家である。
 少年時代にフィンセント・ファン・ゴッホの絵画に出会って感動し、「わだば、ゴッホになる」と芸術家を目指す。
 24年、東京へ上京し、苦労しながら絵の勉強を続けた。28年、初の帝展入賞。以後、木版画に目覚め、版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた。
 56年、ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展に「湧然する女者達々」などを出品し、日本人として版画部門で初の国際版画大賞を受賞する。
 他に、スイス・ルガノ国際版画展優秀賞、サンパウロ・ピエンナーレ版画部門最高賞、紺綬褒章、文化勲章などを受賞している。
 75年9月、20世紀の美術を代表する世界的巨匠として、惜しまれながら亡くなった。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/1/25


夢二生家 Yumeji-seika The Birthplace of Yumeji Takehisa

Jp En

 岡山県瀬戸内市にある「夢二郷土美術館分館」には、竹久夢二が16歳まで過ごした生家を保存、公開している。多感な幼少年時代を過ごした部屋や茅葺の屋根も生前そのままの姿で見ることができる。
 大正ロマンを代表する、漂泊と叙情の画家詩人竹久夢二は、明治17年、邑久町にあるこの家で生まれた。美しい山河に囲まれた恵まれた風土のこのふるさと、そしてこの生家こそ夢二芸術の原点と言える。
 ここには夢二の素描、版画などの作品も展示されており、窓の桟には嫁いだ姉を慕って落書きした跡も残っているという。入口には夢二の良き理解者であった有島生馬の筆による「竹久夢二ここに生る」の碑が立つ。隣には、夢二自らの設計によるアトリエを復元した、「夢二少年山荘」も併設しており、夢二ファンなら一度は訪れたいスポットである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/1/12


江戸押絵羽子板 Edoosiehagoita Edo Oshie Hagoita Battledores

Jp En

 羽子板は、古くは胡鬼板(こぎいた)とも呼ばれ、正月の羽根つき遊びや新年を迎える贈り物として用いられてきた。羽子板で邪気を羽根のけて、健やかな成長をお祝いする意味も込められている。
 羽子板に、中国から伝わった技法で厚紙に布を張り、綿を入れて立体感を持たせた押し絵が使われるようになったのは、江戸時代後期のことである。
 当時は町人文化が発達し、浮世絵も多く作られ、歌舞伎役者の舞台姿の似顔羽子板が大変人気をよんだ。年の瀬の「歳の市」には、数多くの贔屓役者の羽子板が並べられ、これを買い求める多くの客でごったがえしたという。
 今日の江戸押絵羽子板は、この押絵羽子板技法が受け継がれて来た物であり、美しい羽子板は初春の縁起物として、また高尚な贈り物として今なお喜ばれている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




木部弘 Hiroshi Kibe Hiroshi Kibe

Jp En

 1931年、東京都浅草橋生まれ。江戸からかみの伝統工芸士。
 からかみの歴史は、平安中期、中国産唐紙の模造から始まる。後に江戸にて、捺染摺りや刷毛引き、砂子振りの技法を多く用いた江戸からかみが生まれた。
 1650年、父の仕事を継ぐため、からかみの捺染加工の仕事に従事する。
 氏の作品の中で特に素晴らしいのが、色とりどりの花鳥、人物などの更沙模様を襖面一杯に貼り込んだからかみである。
 「この仕事は名人も下手もありません。ただ丁寧にやることと、使う人の気持ちになって仕事をすることが大切です。襖は一枚だけでなく何枚も並ぶので、一枚一枚が同じように仕上がり、しかも味があるように心がけています」とは、氏の言葉。
東京都伝統工芸士。1997年、葛飾区伝統工芸士に選定される。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/1/10


京版画 Kyohanga Kyoto Woodblock Printing

Jp En

 飛鳥時代から伝わる京都の版画は美術出版や書物の挿絵、染織の雛形本、扇や団扇など、各時代の様々な分野で活躍した。ほかの印刷法では表せない力強さ、奥深さ、工芸価値の高さは京版画特有のものである。
 京版画は、飛鳥時代に百済から経文木版として伝わった木版画に端を発する。仏像画の簡単な輪郭摺り用の版木がヒントとなり、江戸時代には浮世絵木版画として人々に流布。その独特の素材と手法は日本独自の芸術として世界を驚愕させ、「世界芸術の殿堂」入りを果たしたほどである。
 京版画は、京独自の歴史ある芸術と文化を背景に技法も発展し、受け継がれていった。顔料に胡粉(ごふん)や雲母(きら)を使うこと、手法に京ごのみを取り入れるなど、京都独特の趣と温かさを持ち、印刷技術が発達した現代でも、観賞用として広く人々に愛されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数8件: 1~8 件表示          
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter