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2008/7/25


徳島 大麻比古神社 Tokushima Ooasahiko-jinja 

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 大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)は徳島県鳴門市の大麻山(おおあさやま)の山麓に鎮座する神社である。古来より阿波の国でも格式の高い一宮として栄えてきた。
 神社の起源は阿波の国を治めていた天富命(あめのとみのみこと)が先祖の天太玉命(あめのふとだまのみこと)、大麻比古神を守護神として祀ったのがはじまりと伝えられている。天太玉命は第一代神武天皇の時代(紀元前585年ごろ)、阿波国で麻の播殖と開拓に努めた。
 神社周辺は県指定自然公園に指定されており美しい樹木に包まれている。参道の長さは1キロにも及び、境内には樹齢1000年を超える楠の御神木がそびえている。本殿は重厚な雰囲気を漂わせて、この社が由緒ある神社であることを物語っている。
 毎年正月の初詣には三が日で20万人以上の人々が参拝に訪れる地元でも有名な神社である。
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2008/7/22


銚子ケ滝 Choushi-ga-taki 

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 銚子ケ滝(ちょうしがたき)は福島県郡山市熱海町の安達太良(あだたら)山麓に位置する大瀑布である。高さ約48メートル、幅約27メートル。滝の水流は最初は幅が細く、二段目からは柔らかくふくらんだ、末広がりの様子で落下する。この姿が小さなつぎ口を持つ銚子に似ており、銚子ケ滝といわれるようになった。
 銚子ケ滝は豊かな水流を誇っており、滝壷の近くには灌漑用水や養魚場がある。
 周囲は深い自然に囲まれており、散策や森林浴に訪れる観光客が多い。駐車場やハイキングコースが整備されている。五月から六月には大きく薄いヴェールのような弁をつけたオダマキが花を咲かせ、初夏の野草を楽しむ事ができる。
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2008/7/7


茅ヶ岳 Kayaga-take 

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 茅ヶ岳(かやがたけ)は、山梨県北杜市と甲斐市にまたがる標高1704mの山で、奥秩父山系に属し、同山地の南西部に位置する古い塊状火山である。
 山は内陸的気候のために雨が少なく、乾燥した赤粘土質のため、ススキを主としたカヤが全山麓を覆っていることからその名がついたといわれている。
 北側にある標高1764mの金ヶ岳と茅ヶ岳の二つの峰がある山で、非常に広い裾野を持っており、南麓からのその山容が八ヶ岳に似ていることから「にせ八つ」という呼び名もある山だ。
 山梨百名山にも選ばれている山で、登山道も整備され、季節を選べば比較的登りやすい山であることから登山愛好家の人気も高い。
 頂上からの奥秩父の山塊や、甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山などの南アルプスの山々、そして雄峰富士山の大パノラマを求めて、毎年多くの人々が訪れる山となっている。
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2008/7/4


伊勢山上 Isesanjou 

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 伊勢山上(いせさんじょう)は、三重県松阪市にある標高380mの山麓丘陵である。
 大宝元(701)年、修験道の祖といわれる役行者こと役小角(えんのおづの)が、自らこの地で千日修行を行い、開山したとされており、砂礫岩により構成された山麓が、長年の侵食風化等によって自然風化し、巨大な露岩が奇岩や怪岩、岩窟となって連なり、まさしく霊山としての雰囲気をかもし出している。
 霊山では女人禁制の場所が今でも数多くあるが、この山は古くから開放されてきた数少ない山であり、だれでもそうした岩場に挑みながら登る楽しさを味わうことができる。
 油こぼしや鞍掛岩、小尻返しなどの難所も多いが、迂回路もちゃんと用意されており、細心の注意を払って登れば同山の最高点である「大天井」にたどり着くことも可能だ。
 まさに行場にふさわしい場所ではあるが、ヤブカンゾウやイヌホオズキ、オオバギボウシなども自生しており、厳しさと優しさの両方が同居する山である。
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2008/7/2


菖蒲池 Shoubuike 

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 菖蒲池(しょうぶいけ)は、山梨県の雄峰櫛形山(くしがたやま)の山麓一帯に広がる県民の森にある湖だ。
 同じく県民の森内にある南伊奈ケ湖の南に位置する0・4haほどの小さな人造湖で、標高およそ900mの高地にある。
 南北伊奈ヶ湖と立沼、桜池とともに「櫛形五湖」の一角を成している。
 その名のとおりアヤメの群生があることで知られ、二万株ともいわれるアヤメが、五月下旬から六月中旬の季節にカキツバタの群生と共に見ることができる。
 湖畔には湖を一周でき、南北伊奈ヶ湖にも通じている遊歩道や公園、アスレチック施設が整備されており、山梨県民の憩いの場所として親しまれている。
 また、南北伊奈ヶ湖と共に白鳥が飛来する湖であり、周囲は櫛形山への登山道である「中尾根登山道」と「北尾根登山道」の基点となっており、一年を通じて訪れる人の多い場所である。
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2008/6/26


日和佐城(渭津城) Hiwasa-jou(Inotsu-jou) 

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 日和佐城(ひわさじょう)、別名、渭津城(いのつじょう)は徳島県の日和佐湾に突き出ている半島の先端の標高65メートルの丘に設けられた城である。
 築城は天正時代の初め頃、この地の豪族、日和佐肥前守が阿波制覇をもくろむ土佐の長宗我部勢に対する防御のために築かれたとされている。東方は絶壁となり、北方の山麓は日和佐川が流れ、西方は入江に接し、三方を海川の水面に囲まれた要害の地としては最適のものであった。しかし、城に関しての文献はほとんどなく、地形を匠に利用した城という以外は、その規模も形状もあまり判明していない。また、過去には石垣の跡が点在していたというが、現在は見当たらない。
 現在、城跡には観光のために作られた三層から成る白亜の模擬天守閣が設けられており、頂上からは日和佐湾を一望できる。そのため、訪れる観光客も多い。
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2008/6/20


金石城 Kaneishi-jou 

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 金石城(かねいしじょう)は長崎県対馬市に建つ城である。
 享禄年間(1528~1531)この地を治めていた宗将盛(そうまさもり)が清水山の山麓に建てたのが金石城である。建てられた当時は金石館と呼ばれていた。当時、諸大名が争って豪華絢爛な城造りをしていたのとは対照的に、天守閣を持たない質素な城作りであった。
 寛文五(1665)年、二一代当主の宗義真(そうよしざね)により大手櫓門(おおてやぐらもん)などが作られ、城としての風格を持つようになり金石城と呼ばれるようになった。
 文化一〇(1813)年、大手櫓門は火事で焼失したが、幕府から多額の貸与を得て再建された。明治以後も大手櫓門のみが残されていたが、大正時代になると解体されてしまった。
 その後、平成二(1990)年に大手櫓門は、資料に基づき復元されるに至った。現在、当時の威風を残す城壁や庭園の池とともに、かつての金石城を偲ばしてくれている。平成七(1995)年に国史跡に指定されている。
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2008/6/5


蓼科山 Tateshina-yama 

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 蓼科山(たてしなやま)は、長野県茅野市~北佐久郡立科町にまたがる、標高2530mの山である。日本百名山のひとつとされる。
 八ヶ岳火山列の最北端に位置する独立峰であり、美しい曲線を描く姿から諏訪富士(すわふじ)とも呼ばれている。
 丸く突き出たその山容は美しく、初心者にも容易に登れる山として登山客が多く訪れる。
 山頂部は、直径100mほどの円形の中に岩石が累々と積み重なる溶岩丘になっており、視界をさえぎるものがなく、360度のパノラマが広がっている。
 古くから女ノ神山と呼ばれ、詩などに読まれ親しまれ、蓼科山から流れ出る水をたたえる女神湖は、蓼科牧場とともに山麓のオアシスとなっている。
 蓼科山は、高くて優雅な容貌を持つ名山である。
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