NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/28


大内塗 Oouchi-nuri Ouchi Lacquer Ware

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 大内塗(おおうちぬり)は、山口県山口市に伝わる工芸品で、国の伝統工芸品に指定されている。
 室町時代に、現在の山口県のあたりで力のあった大内氏が、朝鮮や明との貿易を進めるにあたって、重要な輸出品として奨励したのが始まりと言われている。
 渋い大内朱の地塗りの上に、黄緑色の彩漆で秋の草を描き、雲の形を描き入れ、家紋の大内菱を金箔で貼り付けた独特の文様が特徴とされる。
 主に、椀や盆、花器、大内人形などが作られており、中でも大内人形は、24代大内弘世が京を偲んで寂しがる夫人を慰めるために、京から呼び寄せた人形師に作らせたといわれ、その愛らしい表情の人形は夫婦円満を願う人々に喜ばれている。
 大内塗は、匠の技術を現在に受け継ぐ、高級感溢れる伝統工芸品である。
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2007/9/4


下川原焼土人形 Shita-kawarayaki-tsutiningyou Shitakawara Pottery Earthenware Dolls

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 弘前に下川原焼土人形(したかわらやきつちにんぎょう)が生まれたのは、文化七(1810)年、津軽藩九代藩主である寧親(やすちか)が、九州の筑前で陶磁器作りを学んだ下川原の高谷金蔵に玩具を作らせたのが始まりだと伝えられている。
 雪深い地域のため、暖房器具がない当時、冬の陶器作りは不可能だった。そのため陶工たちの仕事が空く冬の期間に土人形を作るようになった。
 この人形は、赤土と砂を混ぜ合わせた粘土を作り、型枠にはめて形を整え高温で数時間窯焼きする。色づけは鮮やかで、地塗りの白の上に黄・紫・赤の三色が映えるのが下川原焼土人形の特徴である。
 鳩笛や人形笛、土人形では干支もの、節句もの、武者人形、招き猫などが親しまれており、すべて手作りである。現在も当時と変わらない手法で受け継がれている。




 
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2007/5/11


はこた人形 Hakotaningyo Hakota Dolls

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 鳥取県倉吉市に古くから伝わる張子の人形。300年の歴史を持つ伝統工芸品だ。こけしに似た、手足のない円筒形の張子は全国的にも珍しく、山陰では倉吉でしか作られていない。
 起こりは江戸時代の天明年間(1781〜89)。備後(現在の広島県)から行商にやってきた備後屋治兵衛という商人が、この地の女の子たちの素朴さに感動して作ったのがこの「はこた人形」の発祥とされる。
 昭和初期の頃までは「はーこさん」と呼ばれて、幼い女の子の遊び道具として親しまれていた。怪我や病気をしないで無事に育つという願いを込めた縁起物でもある。
 今も続く備後屋六代目の手ほどきによる、絵付け体験もできる。
 自分だけの「はーこさん」。どんな表情になるのだろう。
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2007/2/1


高柴デコ屋敷 Takashiba-deko-yashiki Takashiba Deko House

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 高柴デコ屋敷は、福島県郡山市西田町高柴にある集落である。
 デコ屋敷とは、何代も続く、三春人形や三春駒を作る5軒の家の総称である。
 デコ屋敷の「デコ」というのは人形の別名「木偶(デク)」がなまったもので、人形屋敷という意味である。
 デコ屋敷には、福島を代表する伝統的キャラクターの赤べこ、三春駒をはじめ、天狗、ひょっとこ、狛犬など、魔よけや縁起物たちが所狭しと並んでいる。
 工房では、300年の伝統を受け継ぐ職人さんたちの熟練の技を見学することもできる。また、希望者は、絵つけを体験することもできる。
 高柴デコ屋敷は、福島の人形文化と伝統を今に伝える小さな集落であり、いつまでも大切にしたい場所である。
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2007/1/23


とやま土人形 Toyama-tuchiningyo Toyama Clay Dolls

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 江戸時代から継承されている伝統工芸品、「とやま土人形」。丸々とした形と表情が素朴で愛らしい。
 とやま土人形の歴史は、今から150年前、嘉永年間(1848〜54年)に始まる。富山十代藩主前田利保が、名古屋の陶工、広瀬秀信を呼び寄せて千歳御殿に窯を築いて千歳焼を作り、続いてその子安次郎が「天神臥牛」を献上したのがはじまりとされる。
 江戸時代末期以降、作風や形も発展し、縁起物や子どもの玩具として民衆に親しまれたという。
 当時、城下に土人形家は数軒あったが現在土人形師は広瀬家より技法を受け継いだ渡辺家の信秀氏ただひとりとなっている。
 富山市では、伝統の灯を守るために、「とやま土人形伝承会」を発足させ、市を上げて後継者の育成に取り組んでいるという。
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2007/1/18


三春張子 Miharuhariko Miharu Papier-Mache Craft

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 江戸時代、三春城主秋田家四代の秋田倩秀が文化に恵まれない領民のために、江戸や京都の芸術・文化に触れさせようと、江戸から人形師を招いてその技を習得させたのがはじめとされる。
 素朴さの中にも独特の色合いの華麗ささがあり、起源の一説に元禄年間の一頃、三春藩士の一人が帰農し土を原料に作られる仙台の堤(つつみ)人形の技法を取り入れ、和紙で張子の面や人形の製作を始めたとある。
 その後、独自の製法に磨きをかけ、現在も阿武隈山地の高柴(たかしば)デコ屋敷で数人の人形師によって製作されている。
 天狗、恵比須、大黒、お多福、ダルマ、舞人形・・代々受け継がれた木型に和紙を濡らして張り、自然乾燥して、彩色する。
 あでやかな色合いには、土の匂いを感じる力強さと幸せを願う夢が込められている。
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2007/1/12


江戸衣装着人形 Edoishouginingyou Edo Dress-up Dolls

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 江戸衣装着人形は、三月、五月、市松人形など、衣装を着せ付けできる人形を総称したものである。
 江戸衣裳着人形は五大将軍綱吉の頃に生まれた。
 京都で発祥した人形は、江戸文化の繁栄に伴い、幾多の名士の指導のもとに多くの職人が技術・技法を確立し、それぞれの雛人形、五月人形、市松人形、風俗人形などを作り、江戸衣裳着人形の伝統の基礎を築いた。
 桐の粉を固めた桐塑の生地に胡粉を塗り重ね、生き生きとした表情を創り、目玉はガラス、頭髪は人毛や絹糸を用い、衣裳は古いちりめん等を着せて自由に着せ替えができる。これが伝統的な日本の人形である。
 江戸時代から受け継がれた技法をもとに、現代感覚を生かした美しさ、可憐さが江戸衣裳着人形の特徴であると言える。
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南川行男 Yukio Minamikawa Yukio Minamikawa

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 1929年、東京都墨田区生まれ。江戸押絵羽子板の伝統工芸士。
 1945年、父の手ほどきで羽子板の製造に従事するようになる。その後、羽子板の製造だけでなく、三月・五月節句品などの製造も自分で始めるようになった。
 毎年その時代を反映する人を写した似顔羽子板を作り、世の中に送り出している。
 12月17〜19日に行われる浅草羽子板市で買われる羽子板を中心に、三月、五月の節句人形も作っている。
 「楽しみにしていただいているお客様のためにも、喜ばれる羽子板をつくり続けていこうと思っています」とのこと。
 東京歳之市羽子板商組合長。東京都雛人形工業協同組合副理事長。東京菖蒲会会長 。
 1997年、葛飾区伝統工芸士に選定される。
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