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初代藩主前田利家は、政治の理念を日蓮宗・法華経の中道精神に求め、藩を守る祈願所として妙立寺を建立。天正一三(1583)年のことである。その後、寛永二十(1643)年に、加賀三代藩主前田利常が現在の地へ移築・建立した。
利常の頃は既に徳川幕府の基礎固めが整い、諸大名は幕府の隠密の動きに敏感になっていた。利常は隠密を欺くため鼻毛を伸ばしてバカを装った。が、その一方では産業を育て、芸能文化を勧め、いざという時の兵舎代わりとして寺院を移築、建立した。その中心が妙立寺であった。
一見、二階建てのようであるが実は四階七層建て。隠し通路、隠し部屋、隠し階段、どんでん返し、逃げ穴、二枚戸、落とし穴として機能する賽銭箱、など、いたるところに仕掛け・からくりがある。別名、忍者寺、と呼ばれる由縁である。
利常の頃は既に徳川幕府の基礎固めが整い、諸大名は幕府の隠密の動きに敏感になっていた。利常は隠密を欺くため鼻毛を伸ばしてバカを装った。が、その一方では産業を育て、芸能文化を勧め、いざという時の兵舎代わりとして寺院を移築、建立した。その中心が妙立寺であった。
一見、二階建てのようであるが実は四階七層建て。隠し通路、隠し部屋、隠し階段、どんでん返し、逃げ穴、二枚戸、落とし穴として機能する賽銭箱、など、いたるところに仕掛け・からくりがある。別名、忍者寺、と呼ばれる由縁である。
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