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2007/7/31


登米能 Toyoma-nou Toyoma-Noh

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 登米能(とよまのう)は、宮城県登米町で、伊達一門の流れを汲む能として230年に渡り、その伝統が受け継がれている能楽だ。
 元来、能楽は武家の式楽として重視され、仙台藩においても手厚い庇護と奨励を受けてきた。登米能も仙台伊達藩の能楽である金春大倉流の流れをくむものであるが、歴代の藩主達も能を重んじた影響もあって、登米伊達家では公の儀式の時に演じられる式楽として、武士階級の間に定着し、継承されていくこととなる。
 その後、明治維新の廃藩により能を受け継いできた武士達が帰農した結果、登米の庶民達にも浸透し、今に至っている。
 仙台領内の各地の能楽が廃絶衰微した中で、登米の能楽だけは伝統的な能と狂言を現代に継承する大変貴重な存在として、宮城県の民俗文化財にも指定されている。
 毎年六月の新緑薪能(しんりょくまきのう)と九月に行われるとよま秋まつりの宵祭りに上演される。
 かがり火の中で演じられる登米能は、華麗なる舞と共に見るものを幽玄の世界へといざなう。
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樫崎法印神楽 Kashizaki-houin-kagura Kashizaki Hoin Kagura

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 樫崎法印神楽(かしざきほういんかぐら)は、宮城県桃生町(ものうちょう)に伝わる伝統芸能であり、日本の神楽において、希少な民俗芸能文化として、県の無形民族文化財にも指定されている。
 口伝によれば、宝暦年間(1751~1763)から現在の鹿島神社で演じられてきたものだと伝えられ、古事記や日本書紀の神話を素材とした演目を太鼓奏者と笛奏者の2名だけで奏楽し、舞われる。
 法印とは、修験者や神官のことを表し、神楽はもともと修験の行法の一つであったが、その芸術性が里の人たちの希少な娯楽として定着し、神社の祭礼には欠かせないものとなっていく。幕末以降になると、見るだけでは飽き足らなくなった若者達が真似て踊るようになり、娯楽の少ないこともあって、演劇的要素の強い法院神楽が急速に広まり、今にいたることとなる。
 いわゆる女形である姫舞を得意とする神楽であるが、神話に登場する女神達の舞は、今も我々の眼を楽しませてくれている。
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薬莱神社三輪流神楽 Yakurai-jinja-miwa-ryuu-kagura Yakurai Jinja Miwaryu Kagura

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 薬莱神社三輪流神楽(やくらいじんじゃみわりゅうかぐら)は、宮城県加美町の古社、薬莱神社に古くから伝わる伝統芸能である。
 修験者たちが行ってきた法印系の神楽で、源となる三輪流は推古天皇の時代のものといわれるほどの歴史を持つ。
 奥州探題以来、この地に構えた大崎氏など社人たちで舞われていたが、現在は氏子の有志の手で行われ、同神社宮司である大宮家で管理されている。
 天和三(1683)年には仙台藩四代藩主伊達綱村の命を受け、伊達氏の氏神である亀岡八幡神社に神楽を伝授、その後、監竈神社にも奉納を命じられ、派生を生み出している。
 宮城県内において類似の神楽は存在せず、貴重な文化遺産であることから昭和五三(1978)年に県指定無形民俗文化財となり、以降、薬莱神社三輪流神楽を正式名称とすることとなった。
 現在は春の春季大祭と秋の新嘗祭で舞われ、薬莱を中心とする固有の信仰を今に伝えている。
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大瓜神楽 Oori-kagura Ori Kagura

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 大瓜神楽(おおりかぐら)は、宮城県黒川郡大衡村大瓜の貴船神社にて行われている神事である。村の文化財に指定されている。
 嘉吉三(1443)年7月、柏木より勧請されたのが貴船神社の創祠とされる。
 明治一〇(1877)年頃、岩手県より南部神楽師を招き、石川喜左衛門他8名が神楽を伝授され、大瓜神楽が発足した。
 大正時代末期に火災に遭い、神楽面以外の道具全てが焼失したが、2年後には地元有志の寄付金により再発足した。
 貴船神社の例祭日は旧暦の9月19日で、子ども神輿と共に大瓜神楽が奉納される。
 神楽は、南部神楽の流れをくみ、神舞物、軍記物、道化者の三種が舞われている。
 大瓜神楽は、地元に密着した、厳かな神事である。
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榊流永代神楽 Sakaki-ryuu-eidai-kagura Eidai Kagura in the Sakaki Style

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 榊流永代神楽(さかいりゅうえいだいかぐら)は、現在の宮城県仙台市宮城野区に鎮座する青麻神社(あおそじんじゃ)に伝わる榊流青麻神楽が、宮城県大亀地区に移入、派生した伝統芸能である。
 永代神楽として大亀地区に伝わったのは弘化五(1848)年といわれ、以後、現在まで毎年四月の第三日曜日に、大亀神社とも称される鹿島天足別神社(かしまあまたりわけじんじゃ)で、奉納されている。
 言葉や詞を用いないのが特徴の神楽で、そのすべてを動作で表現する京都流の優雅な舞としても知られており、衣冠装束に面をつけ、大太鼓と小太鼓、七孔の笛のみのシンプルな奏楽で、ヤマタノオロチ退治のほか、海幸彦と山幸彦の舞など、古事記を主とした神話を題材とした十四の舞が受け継がれている。
 他地区の人は踊ることは出来ない、という伝統を守り続け、二百年に渡る今もなお、大亀地区二三世帯だけに受け継がれる、まさに秘伝の舞である。
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田林神楽 Tabayashi-kagura Tabayashi Kagura

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 宮城県丸森町に存在した丸森城。
 その、今は亡き城の本丸跡にある田林愛宕神社に伝わる伝統芸能が、田林神楽(たばやしかぐら)である。
 現在の島根県にあたる出雲国でいち早く始まったとされる十二神楽が伝えられたものとされており、演目や演舞の方法なども、典型的な十二神楽である。
 舞いは、舞台の清めと神の降臨のために、素面で榊や太刀などの採物をもって舞う採物舞(とりものまい)と、神話などを題材として面をつけ、舞踊劇風に舞う神楽能の二つに分けられる。
 演目は猿田彦から始まり、「猿田彦」や「うずめ」、「田の神」など、須佐之男命の「出雲切り」までの十二座の神々の功績を称える舞が行われ、国や自然の平穏と作物の豊穣を祈り、災厄を払って幸福を祈願する神楽として舞われる。
 日本を創りし神々の演舞は、荘厳さと優美さが混在した古来の信仰を今に伝えている。
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廿一田植踊 Nijuu-ichi-taue-odori 

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 廿一田植踊(にじゅういちたうえおどり)は、宮城県気仙沼市にて毎年元旦の早朝に行われる民俗芸能である。県の民俗文化財に指定されている。
 1830年代頃に起きた天保の大凶作の際、一人の若者が黒川方面で習得した田植踊りを広めたのが始まりだといわれるが、岩手県気仙地方から伝わり江戸時代から踊っていたとする説もあり、定かではない。
 廿一という名前は、地域に神社が21社あった事に由来しているという。
 毎年元旦の早朝に八雲神社と古峰神社で豊作祈願の舞いを奉納した後、地区の農家を門付して回る。
 22個の演目がある本踊りは「ハーヤンドーヤーハイ」の威勢の良いかけ声から始まり、手に太鼓を持ち演奏しながら踊る。
 太鼓を叩くテンポは速く、動作はひとつひとつ大きく、力強い。そのたくましい鼓舞が、豊作を祈る心を表しているようである。
 廿一田植踊は、古来の芸風を継承保持する伝統芸能である。
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ずいき祭 Zuiki-matsuri Zuiki (Taro Stalk) Festival

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 ずいき祭(ずいきまつり)は、京都市上京区の北野天満宮にて、毎年10月1日~4日に行われている祭りである。
 名称は、サトイモの茎「ずいき」で御輿の屋根をふく事から付けられたという、祭礼期間中御旅所に奉安される「ずいき御輿」に由来する。
 その歴史は古く、平安中期に始まったとされ、ずいき御輿を中心とした氏子の祭りは、室町時代には行われていた。
 1日の本社から御旅所へ神輿巡行が行われる神幸祭と、4日の御旅所から本社へ神輿還幸が行われる還幸祭では、御鳳輦や稚児など王朝装束姿の氏子約150人余の優雅な大行列が、市中を練り歩く。
 期間中には、着御祭、献茶祭、甲御供奉饌などのさまざまな行事が開催される。
 ずいき祭は、五穀豊穣に感謝する、1000年以上の歴史をもつ京都の代表的な秋祭りである。
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