NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/4/3


行田足袋 Gyoda-tabi 

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 江戸時代の明和2(1765)年の「木曽東海両道中懐宝図鑑」という本に、「忍のさし足袋名産なり」とあり、行田の足袋が名産品だったと記されている。 「さし足袋」とは刺子にした足袋のこと。
 行田は木綿の産地でもあり、近くに中山道が通っていたことで、旅行や作業用の足袋づくりが盛んになったと考えられている。
 明治時代になるとミシンが使われるようになると、足袋の生産量は増大し、更にミシンの動力化も進み、名実ともに行田の足袋は日本一となった。
 現在では、足袋を履く機会も少なくなってきたが、結婚式や七五三、成人式などの儀式の時、正装に和服を着る人など、需要が尽きることはない。
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2007/3/26


風呂敷 Furo-shiki 

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 風呂敷(ふろしき)は物を包み、持ち運んだり収納したりする為の正方形に近い形の布。
 一枚の布で様々の形状、大きさのものを包むことができるため広く普及していった。風呂敷自体、様々な大きさのものが作られ強度を上げるため刺子を施すなどもされ、サイズの大きいものは大風呂敷といい布団を包めるようなものもある。
 起源は定かではないが正倉院の所蔵物に風呂敷らしきものがある。 古くは衣包、平包(ひらつつみ)と呼ばれていた。それが風呂敷と呼ばれるようになったのは室町時代末期、大名が風呂に入る際に平包を広げその上で脱衣などして服を包んだ、あるいは足ふきにしたなどの説があるが定かではない。
 我が国に、布が存在してより「包みもの」の歴史が始まるが、それは最も単純な一枚の布であるため、現在の風呂敷に至るまで形、使用方法の変化はない。
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2006/12/15


こぎん刺し Kogin-zashi Koginzashi (Needlework)

Jp En

 着物まで制約されていた江戸時代の津軽の農民は、綿入れの着物を着ることができず、山野に自生するカラムシ(苧麻)や麻から作った着物を何枚も重ね着して寒さをしのいでいた。こぎん刺しは、農村の女性たちが保温と補強のために、麻の布地、特に弱りやすい肩、腰、袖口に染めない木綿糸で刺子を施したことから生まれた。厳しい北国の自然の中で生きてきた女性の知恵の産物である。
 その特徴は、藍染の麻地に白い木綿糸で織目に沿って手刺しするところにある。今日では、用途によって木綿地やウール地なども用いられており、色彩も時代を経て多彩さを増している。その素朴で美しい幾何学紋様は、一針一針丹念に刺し続ける北国の女性の繊細さと力強さとを象徴しているようだ。青森県の「伝統工品」にも指定されている。
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南部菱刺し Nanbu-hishizashi Nambu Diamond Embroidery

Jp En

 南部菱刺しは、青森県八戸を中心とした南部地方で古くからおこなわれてきた刺し子である。
 発祥は、古く今から200年前まで遡る。当時の農民は、麻や芋麻の着物しか着ることを許されず、木綿は糸として使うものと決められていた。そこで農村の女たちは知恵を働かせて、補強と保温のために麻に木綿糸を刺して北国の厳しい寒さを凌いできたのである。そして、この技術が今に受け継がれ、伝統工芸として花開いた。
 横長でひし形の美しい模様、そして模様の種類の多さに魅了され、明治・大正・昭和の時代の南部菱刺し衣裳収集家もいるという。また、今では手芸愛好家に人気を集め、南部刺しは一般の人々にも注目されている。
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