寛永寺 五重塔 Kanei-ji Gojuu-no-tou
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東京都台東区の上野公園に寛永寺の五重塔がある。
寛永一六(1639)年の建立。上野東照宮の建物の一部であったが、明治の神仏分離によって寛永寺の所属となった。
寛永寺の創立者は徳川家光、初代住職は天海、本尊は薬師如来である。日光山、比叡山をも管轄する天台宗の本山として近世には強大な権勢を誇った。
境内は現在の上野公園のほぼ全域を占め、墓地には徳川将軍家の祈祷所・菩提寺であり、徳川歴代将軍一五人のうち六人が眠る。
しかし慶応四(1868)年の上野戦争で主要な伽藍は焼失されてしまう。
五重塔は、旧本坊表門や清水観音堂などのいくつかの建物とともに焼失せずに残った。
構造は三間五重塔、五重銅瓦葺からなり、全層が和風造りである。高さは地上から一番上の宝珠まで、36・36メートル。一層の中央、心柱をかこんで、東西南北に薬師、阿弥陀、弥勒、釈迦の四方四仏を安置している。
明治四四(1911)年、国指定重要文化財となった。
寛永一六(1639)年の建立。上野東照宮の建物の一部であったが、明治の神仏分離によって寛永寺の所属となった。
寛永寺の創立者は徳川家光、初代住職は天海、本尊は薬師如来である。日光山、比叡山をも管轄する天台宗の本山として近世には強大な権勢を誇った。
境内は現在の上野公園のほぼ全域を占め、墓地には徳川将軍家の祈祷所・菩提寺であり、徳川歴代将軍一五人のうち六人が眠る。
しかし慶応四(1868)年の上野戦争で主要な伽藍は焼失されてしまう。
五重塔は、旧本坊表門や清水観音堂などのいくつかの建物とともに焼失せずに残った。
構造は三間五重塔、五重銅瓦葺からなり、全層が和風造りである。高さは地上から一番上の宝珠まで、36・36メートル。一層の中央、心柱をかこんで、東西南北に薬師、阿弥陀、弥勒、釈迦の四方四仏を安置している。
明治四四(1911)年、国指定重要文化財となった。
- 住所
- 110-0007 東京都台東区上野公園18-20 上野公園内
- 名前
- 寛永寺五重塔
- 電話
- 03-3828-5171