NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/11


行灯 Andon 

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 行灯(あんどん)とは江戸時代に日本中に広く普及した照明器具である。
 元々は携帯用の灯りとして作られたが、提灯(ちょうちん)の普及とともに行灯は室内や店先に置かれる照明器具として利用されるようになった。
 風で明かりが消えないよう、木や竹、金属で作られた枠に、和紙で作られた火袋が張られている。中には火皿を乗せる台があり、火種には蝋燭が使われることもあったが、江戸時代には高価な品物であったため、菜種油や鰯(いわし)油が多く使われていたという。
 最も普及していた上部に持ち運び出来るように取っ手がある置行灯(おきあんどん)の他、屋号などが書かれてあり、店先に掛けられていた掛行灯(かけあんどん)、小堀遠州の発明ともいわれる行灯自体を回して光量の調節が出来る遠州行灯(えんしゅうあんどん)、枕元に置く有明行灯(ありあけあんどん)などが知られている。
 古き時代は明かりは貴重で大切なものであり、夜の生活は非常に質素なものであったという。
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2007/7/31


梅花祭 Baika-sai 

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 梅花祭(ばいかさい)は、古都京都にふさわしい、歴史と伝統のある北野天満宮の祭典。「梅花御供(ばいかのごく)」の神事、皇后陛下の御代拝が行われる。
 北野天満宮は天暦元(947)年、菅原道真公の御霊を鎮めるために創建された神社であるが、この祭りは御祭神道真公の祥月命日である二月二五日に行われるようになったのが始まりで、古くは「菜種御供(なたねのごく)」と呼ばれていた。
 ご祭神を「なだめる」という意味と菜種の語音が通じるということで菜種の花を供えていたものが、明治以降新暦の二月に行なわれるようになったことから梅の花を用いるようになり、次第に「梅花御供」と呼ばれるようになったという。今でも神職などは、冠に菜の花をつけてご奉仕を行う。
 当日は豊臣秀吉公が北野大茶湯を催したことに因んで「梅花祭野点大茶湯」が催され、花街から北野天満宮にゆかりの上七軒総出で執り行われる。野点茶席が設けられ、満開の梅の花とともに芸妓や女将が奉仕してくれるという優雅な催しである。
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2007/5/11


浦富海岸 Uradome-kaigan Uradome Beach

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 鳥取県の東端に15キロメートルに渡って伸びる浦富(うらどめ)海岸。「山陰の松島」と呼ばれるほどの日本海随一の自然景勝地である。「日本の渚百選」「平成にっぽん観光地百選」にも選ばれている。
 花崗岩が侵食されてできたリアス式海岸は変化に富み、奇岩、洞門、断崖絶壁が点在する。その美しさは島崎藤村が「松島は松島、浦富は浦富」と絶賛したほどである。中でも城原周辺は浦富海岸を代表する景勝地で、海中公園にも指定されている。
 透明度が高く澄みきった海としても有名で、25mの深さまで見通せると言われる。夏には海水浴やシュノーケリングを楽しむ人々で賑わう。
 北に点在する無人の島々「菜種五島」を探勝する遊覧船も人気を集めている。
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菜種五島 Natanegotou 

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 鳥取県の東端に、15キロメートルに渡って伸びる「浦富(うらどめ)」海岸がある。「山陰の松島」と呼ばれる山陰海岸随一の景勝地である。
 日本海岸の強い潮の流れが造り出した起伏の激しい奇岩・洞門、断崖絶壁が続く様は島崎藤村が「松島は松島、浦富は浦富」と絶賛したほどである。
 この浦富海岸の北に、無人の小さな岩の島々「菜種五島」が点在する。春には野生の菜の花が咲き乱れ、その素朴な眺めに心が癒される。
 その昔、沖行く船が難破し、集荷の菜種が島に漂着したため、菜の花の群生ができたとか。
 墨絵のような冬から春へ。その訪れを、黄色の花で告げてくれる島々である。
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