中の茶屋 Nakano-chaya
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丸山(寄合町)の遊女屋「中の筑後屋」が、江戸時代中期に茶屋を設けていたところ、当時長崎に居た唐人が千歳窩(せんざいわ)と名付け、この名に因んで別名を「千代の宿」とも呼ばれた。
花月楼と共に丸山最好の茶屋として、長崎ばかりでなく他郷の人々にも知られ、内外の文人墨客が好んで遊び親しみ、長崎奉行の市中巡検の際にはその休憩所にあてられることもあったという。また、幕末期にできた俚謡(りよう) 長崎ぶらぶら節には、「遊びに行くなら花月か中の茶屋」と読み込まれている。
江戸時代中期に築かれた庭園として、市内寺院のものを除けば、数少ない遺跡の一つであり、昭和51年に長崎市の史跡に指定された。
花月楼と共に丸山最好の茶屋として、長崎ばかりでなく他郷の人々にも知られ、内外の文人墨客が好んで遊び親しみ、長崎奉行の市中巡検の際にはその休憩所にあてられることもあったという。また、幕末期にできた俚謡(りよう) 長崎ぶらぶら節には、「遊びに行くなら花月か中の茶屋」と読み込まれている。
江戸時代中期に築かれた庭園として、市内寺院のものを除けば、数少ない遺跡の一つであり、昭和51年に長崎市の史跡に指定された。
- 住所
- 850-0836 長崎市中小島1-4-2
- 名前
- 中の茶屋