NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/8


灘のけんか祭り Nada-no-kenka-matsuri 

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 「灘のけんか祭り」とは、兵庫県姫路市白浜町の松原八幡神社で行われる秋季例祭の俗称。11世紀には、この例祭の原点となる祭礼が始まっていたとされる。
 神輿をぶつけ合い、絢爛豪華な屋台を練り合わせ、華やかさと勇壮さで他に類を見ない「灘のけんか祭り」。全国の「けんか祭り」の中でも最大規模の祭りである。
 祭礼は宵宮(夜宮)と本宮(昼宮)に分かれ、まず前夜祭に当たる10月14日の宵宮で幕を開ける。各村の氏子たちがそれぞれの村の屋台を担ぎ上げて松原八幡神社に赴き練り合わせをし、お祭り気分を盛り上げる。祭り本番の翌15日には、屋台と共に3基の神輿を担いでお旅山の麓の練り場に向かい、ここでけんか祭りの名にふさわしい壮絶なぶつけ合いを行う。その後、練り場に次々と6台の屋台が進み、色とりどりのシデ棒が波打つ中、勇壮豪奢な練りを見せ、祭りはクライマックスを迎える。
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2007/9/14


日向国一之宮都農神社夏祭り Hyuuga-no-kuni-ichinomiya-tsuno-jinja-natsu-matsuri The Summer Grand Festival of Tsuno Shrine

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 宮崎県児湯郡都農町の都農神社(つのじんじゃ)で行われる、日向国一之宮都農神社夏祭り(ひゅうがのくにいちのみやつのじんじゃなつまつり)は毎年八月一日と二日に行われる。
 「チョーサイナ ソラヤレ」の威勢のいい掛け声とともに神輿、太鼓台が町内を練り歩く。特に響き渡る太鼓の音が臨場感を盛り上げ、見る者も思わず祭りの中に引き込まれてしまう。
 故郷を後にした若者たちも、この日ばかりは祭りに参加するために大勢戻ってくると言われるほど、地元の人々が大切にしているまつりである。。
 神輿は作り、大きさ、装飾など、日本でも有数の立派なものであるり、その重量は300キロにも達する程である。この神輿を先頭に、太鼓台4台と子供太鼓台2台が所狭しと続いていく。
 翌日には祭りのクライマックスでもある、神輿を神社に奉納する「お宮入り」と、勇ましさを競う「ケンカ太鼓」が凄まじい迫力の中で催される。
 見るものも参加するものも、惹きこまれる夏祭りである。
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2007/9/13


細島港まつり Hoso-shima-minato-matsuri Hososhima Harbor Festival

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 細島港まつり(ほそしまみなとまつり)は、毎年七月下旬の金・土・日曜日、細島商業港周辺で行われる細島八幡宮の夏祭りである。
 明治二二(1889)年に全国で町村制が敷かれ、細島は宮崎、都城、延岡、油津とともに町となった。このことを記念し、交流の深い関西からこの祭りをもってきたといわれている。
 太鼓台をぶつけ合う男の祭りとして知られ、関西のだんじりと同じく喧嘩祭りとして勇壮な姿をみせる。祭りの夜、二台の太鼓台の激しいぶつかり合いにより、盛り上がりは最高潮に達する。
 細島八幡宮のご神体をのせた神輿が、はためく極彩色の大漁旗に守られ海上を駆け巡る神輿海上渡御(みこしかいじょうとぎょ)も行われ、航海安全と大漁を祈願する祭として大きな賑わいを見せる三日間である。
 
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2007/7/24


伊万里トンテントン Imari-tontenton Imari Tontenton Festival

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 伊万里トンテントン(いまりとんてんとん)は、佐賀県伊万里市の伊萬里神社にて毎年10月22日夜から24日にかけて行われている祭りである。
 伊萬里神社の御神幸祭であり、伊万里供日(いまりくんち)とも呼ばれ、日本三大喧嘩祭りのひとつにも数えられる。
 期間中、伊万里の街は、トンテントンの太鼓の音で祭り一色に染まり、市内の数ヶ所で合戦絵巻を繰り広げる。
 おごそかに神幸する白神輿・赤神輿の後にそろいの法被にねじり鉢巻姿の若者たちによって担ぎ出される荒神輿と団車が、トン・テン・トンと打ち鳴らす太鼓を合図に、双方激突し組み合う壮烈な喧嘩祭りは、全国でも類を見ない。
 祭りのクライマックスに行われる「川落し合戦」では、双方組合ったまま、川に落ち陸に早く引き上げられた方が勝ちとなる。
 伊万里トンテントンは、勇壮で壮観な、伝統の祭りである。
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2007/7/19


久礼八幡宮大祭 Kure-hachimanguu-taisai The Grand Festival of Kure Hachimangu Shrine

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 久礼八幡宮大祭(くれはちまんぐうたいさい)は、高知県高岡郡中土佐町の久礼八幡宮にて毎年9月に行われる秋の大祭である。高知県の三大祭りにも数えられる。
 通称・御神穀さん(おみこくさん)と呼ばれ、太鼓と太鼓をぶつけ合って競う「けんか太鼓」など、漁師町らしい勇壮な祭りである。
 起源は戦国時代までさかのぼり、飢饉に五穀豊穣を願って祈願したところ、豊作を迎えた事から、そのお礼祭りとして始まったとされている。
 頭屋と呼ばれる祭りの主役を中心に進められる祭事様式や、大祭中に「御神穀様」「御神幸」などの祭事が行われ、新穀で酒、もちをつくり、神に供える。
 初日の夕方からは境内に露店が軒を並べ、夜には花火大会も開催される。
 久礼八幡宮大祭は、地元に密着し、親しまれている大祭である。
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飯坂けんか祭り Iizaka-kenka-matsuri Iizaka Kenka Festival

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 飯坂(いいざか)けんか祭りは、福島県福島市にある八幡神社の祭礼で、大阪・岸和田の「地車(だんじり)」、秋田・角館(かくのだて)の「飾山(おやま)ばやし」とともに「日本三大けんか祭り」のひとつに数えられている。
 毎年10月1日から3日まで開催されるこの祭りのハイライトは、2日の宮入り。午後7時半の花火を合図に、鮮やかな提灯に彩られた6台の太鼓屋台が、御旅所(おやすみどころ)を出発。勇ましい太鼓の音と掛け声とともに、町を練り歩く。神輿が境内に入り乱れると、神輿の宮入りを阻止しようと、屋台が激しくぶつかり合う様は迫力満点だ。絶え間なく乱打される太鼓の音と夜空を焦がす提灯の灯りが、祭りをさらに盛り上げる。
 飯坂けんか祭りは、300余年の歴史を持つ、勇壮・豪快な祭りである。
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2007/6/28


滋賀 左義長まつり Shiga Sagichou-matsuri 

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 左義長(さぎちょう)まつりとは、毎年三月中旬の土・日曜に日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)で行われる火祭のこと。
 藁(わら)束を高さ3m程の三角錐に組んで山車の胴体とし、その上に青竹を組み、赤紙を中心として様々な飾りを付けたものを左義長という。その中心にはその年の干支にちなんだ造り物を付け、頭の上には「火のぼり」という御弊が付けられる。
 土曜の午後、高さ6mにもなる左義長10数基が神社を出発。揃いの踊り半纏を着て赤い下駄を履き、化粧をした若者たちが拍子木を持ち、「チョウヤレ!」の掛け声も勇ましく町内を渡御する。
 翌日曜日の午後には、朝から各町内を練り歩いた左義長が、互いにぶつかり合う勇壮な「けんか」が繰り広げられ、夜になると神社の境内で順次奉火されて祭りは終わる。
 元々は鎮護国家、五穀豊穣を祈る祭りとして旧正月に行なわれていたものが、豊臣秀次の八幡城築城を機に、氏神八幡宮の祭礼として定着し、三月に行われるようになったと云われている。
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2007/6/27


武井の島 Mui-no-shima 

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 武井の島(むいのしま)は、北海道函館市浜町の戸井漁港の沖合に浮かぶ島である。
 ムイとはアイヌ語でオオバンヒザラガイの事で、昔、ここでムイとアワビが喧嘩をして、島より西側はアワビの国で東側がムイの国と定めたという伝説が存在する。
 西側には鮫穴という洞窟があり、タコとサメが喧嘩してタコが負けて去っていったという伝説も残っている。
 島は、高さ57m、周囲720mあり、カモメ、カモなど海鳥の生息地として知られている。
 慶応二(1867)年頃、強風にあおられて遭難しかかっていた船が、武井の島付近に来た時に突然風が止み、乗員全員が無事であった、と言う事件があった。
 島にはそれを感謝して乗員が造った小さな祠があり、弁天が祀られている。
 島の対岸にある武井の島展望台は、島を上から眺めることのできる絶好の場所であり、毎年多くの観光客が訪れている。
 武井の島は、その景観からこの地区の象徴となっている島である。
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