NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/2


人形岩 Sendai Ningyo-iwa 

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 人形岩は、鹿児島県の西方海岸にある遠近に名高い奇岩。シルエットが親子の人形そっくりなことからこの名がついた。高さ10m以上もある巨岩である。
 夕陽が東シナ海に落ちていくときの人形岩のシルエットはまさに絶景。この岩には、海辺で亡くなった母親が人形岩の父と子に会いにいくためにできたという伝説が残る。この伝説を聞くと、子どもを見下ろす父親の岩の姿が一層哀愁漂うものに見えてくるから不思議だ。
 この人形岩の北側の砂浜は、昔から夏は海水浴場として賑わい、最近では冬も北西の大きな波を生かしたボートセーリングのメッカとして人気である。
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2008/10/1


紀元杉 Kigensugi 

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 紀元杉は、屋久島のヤクスギランドから車で25分の林道沿いにあり、車で行ける屋久島杉としては最大の巨木。樹齢3000年とも言われ、縄文杉や弥生杉と並ぶ屋久杉三大杉のひとつである。
 樹高は19.5m、胸高周囲8.1m。ヤマグルマやヒノキなどの着生樹が多いのが特徴だ。樹冠は枯れているが、屋久杉特有の筋状のこぶや苔むした樹肌が老木としての存在感を表している。
 根元に立つと、台風や年間雨量8000~9000ミリという過酷な気象条件をものともしない偉大な生命力にただただ畏敬の念が湧くばかりである。
 平成九(1997)年には根張りを保護するために、木製デッキが整備された。
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坊津 Bouno-tsu 

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 坊津(ぼうのつ)は、鹿児島県薩摩半島の西南に位置する。かつて、中国や南方諸島との貿易の窓口として発展し、筑前の博多津(現福岡市)と伊勢安濃津(現三重県津市)と並ぶ「日本三津(さんしん)」のひとつと謳われていた。
 坊津の海岸線は海に迫る山岳が多く、総長52kmにも及ぶリアス式海岸となっている。沿岸は景勝が多く、風変わりな岩礁が点在。雄大で荒々しい風光は全国でも珍しく、訪れる人々は皆感嘆の声を上げる。
 坊津は風光明媚な景観もさることながら、大小の瀬が点在し、釣り場の多さでは九州屈指。特にイシダイ釣りのメッカとして釣り愛好者たちの人気を集めている。
 また、海は九州随一の透明度を誇り、色とりどりの熱帯魚が見られ、一年を通して県内外から多くのダイバーたちが訪れる。
 
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佐多岬 Sata-misaki 

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 佐多岬(さたみさき)は、九州本島最南端の岬。霧島屋久国立公園に含まれる。
 南端の断崖から50mほど沖にある大輪島には、日本最古の灯台のひとつである佐多岬灯台がある。この灯台は、明治四(1871)年にイギリス人の手により設計。太平洋戦争で焼失したが、昭和二五(1950)年に再建された。この灯台からの眺めは素晴らしく、西には開門岳、眼前には太平洋が大きく広がる。天気の良い日には種子島、屋久島なども望める。
 佐多岬には亜熱帯植物が生い茂り、特にソテツの群生が見事だ。「鹿児島県のソテツ自生地」として国の天然記念物にも指定されている。ほかにハマユウ、ビロウなどの白く可憐な花を見ることができる。
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さつま焼 Satsuma-yaki 

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 さつま焼は、鹿児島県に古くから伝わり、四百年の歴史を持つ伝統工芸品である。
 起こりは江戸時代に遡る。元禄・慶長の役の頃、当時の薩摩藩主・島津義弘が朝鮮から陶工を薩摩に連れ帰ったのが始まりだ。その陶工たちが研究を重ねて薩摩の土と向き合い生まれたのがさつま焼である。
 最大の特徴は、白土を使ったその白い焼き色。その高貴な風合いは白もんと呼ばれ、藩主のみに使用が許されたという。また、赤、青、緑、金彩で彩色する豪華で繊細な金襴手という高度な手法や、小刀で緻密な透かし彫りを行うのも特徴のひとつ。さつま焼には陶工たちのたゆまぬ努力の証、繊細で優雅な技が尽くされているのだ。
 慶応三(1867)年にはパリ万博に出展、大絶賛される「SATSUMA」の名を世界に轟かせた。平成十四年には経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されている。
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2008/9/26


箱崎八幡神社 Hakozaki-hachiman-jinja 

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 鹿児島県出水市(いずみし)にある箱崎(はこざき)八幡神社は、日本一の大鈴があることで知られ、主祭神は応神天皇である。
 その昔、島津家の始祖・島津忠久が、鎌倉より下向の途中、博多の沖で逆風により船が難破しそうになった。筥崎宮に請願したところ難を免れ、無事に山門院野田に着船できたことから、当社を勧請したと伝えられる。
 神門に吊り下がる鈴が、日本一の黄金色の大鈴で、高さは四メートル、直径三、四メートル、重さが五トンもある。青銅製で、表面は総金箔張りの豪華なものである。伊勢神宮御鎮座二千年・今上天皇御即位一〇年の記念事業として、平成一〇(1998)年に竣工された。「成せば成(鳴)る。大願成就の大鈴」という説明が掲示してある。
 出水市は、鶴の飛来地で知らているため、大鈴には鶴八羽が浮き彫りにされている。この地に飛来する鶴は、数や種類が多く、特別天然記念物に指定されている。
 また、この神社には、直径一.五ミリメートルの「日本一小さい鈴」も展示されている。
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2008/9/10


疱瘡踊り Housou-odori 

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 疱瘡(ほうそう)踊りは、鹿児島県南さつま市に伝わる郷土芸能である。県の無形民俗文化財に指定されている。藩政時代から踊り継がれてきた古い踊りである。
 治療方法が分からなかった時代、疱瘡やコレラなど、人力の及ばない病気はひたすら神仏に加護を求め、悪疫の終息を願うしかその術を知らなかった事から、これが疱瘡踊りの起源といわれている。
 天然痘が絶滅し、踊りも一時途絶えていたが、終戦後に復活し、今では毎年二月一一日に、地域の行事や花尾神社の大祭などで踊られている。
 踊りは、女性20名程度と歌い手3~4名で構成される、歌のリズムに合わせた静かなもので、踊り手・歌い手とも着物姿で、手には神様を守る力があるという御幣(シベ)を持って踊る。
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薩摩川内 女講 Satsuma-sendai Onna-kou 

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 薩摩川内女講(さつませんだいおんなこう)は、鹿児島県薩摩川内市東郷町山田上地区で江戸時代から伝わる伝承行事である。
 日ごろ農作業と家事で忙しい妻たちに感謝し、女装して嫁女(よめじょ)となった夫たちが一日間甲斐甲斐しく妻たちの世話をする。
 十月初旬、稲刈りも終わり農作業がひと段落したところで、その年の当番である座元(ぬしどん)が、家々を回り野菜などの具材を集める。鶏料理や田楽などを手料理し用意が整ったところで妻達を家に招き、給仕、晩酌、片づけなど全ての世話をする。
 その際の嫁女の格好は女性の着物にほおかむり、真っ白なおしろい、ピンクの頬紅をつけ、慎ましやかで、よく気が利く大和撫子だ。
 いつもと立場が逆になり、夫は妻の大変さを身をもって感じ、妻は料理にケチをつけたりと威張ってみせる。
 最後に嫁女は箒を持ちだして座敷を掃き始め宴会は終了する。
 いつもはたくましい九州男児達が捨て身で妻を楽しませる。みんなで笑いながら福を呼び、その年の豊作を喜びあう行事である。
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