NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/1


日本のふるさと遠野まつり Nihon-no-furusato-toono-matsuri Tono Festival

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 日本のふるさと遠野まつり(とおのまつり)は、毎年九月中旬頃に開催される岩手県遠野市の遠野郷八幡宮(とおのごうはちまんぐう)の例大祭だ。
 芸能の宝庫、東北地方に伝わる多種多様な郷土芸能を一同に見ることができる祭である。
 一日目は「しし踊り」や「南部ばやし」などの郷土芸能のパレードがところ狭しと練り歩き、神楽などの郷土芸能競演会が開催される。
 二日目は四〇〇年の歴史を持つ、遠野南部流鏑馬(とおのなんぶやぶさめ)が開催される。流鏑馬は、源氏方の武将であった南部家が奉納したのが始まりといわれており、約220メートルの馬場を勇壮に馬がかけていく様子に沢山の観光客が拍手を送る。
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2007/10/4


黒森山 Kuromoriyama Mt. Kuromori

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 黒森山(くろもりやま)は、岩手県盛岡市と紫波町の境界にそびえる標高837mの山である。
 黒森山は岩手県で12も有る名前であるが、中でも一番有名なのが朝島山、鬼ヶ瀬山と並び「大ヶ生三山」のひとつで、南部藩の金鉱の里として屈指のにぎわいをみせていた盛岡の黒森山とされる。
 山頂からは北に岩手山と盛岡市街地、さらに姫神山が見え、東には区界高原の山々から早池峰連峰が見える。西には秋田駒ケ岳から和賀岳などの奥羽山脈の山々、その手前には東根山や南昌山、箱ヶ森などの山々が北上平野を見守ってくれており、間近には朝島山を眺めることができる。
 山頂にはアカマツがあり、周辺には林道を建設しながら伐開後に植えられたカラマツが育っている。
 黒森山は、今は人の訪れることの少ない、静かな山である。
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2007/9/6


盛岡秋まつり Morioka-aki-matsuri Morioka Autumn Festival

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 盛岡秋まつりは、岩手県盛岡市にある盛岡八幡宮で、毎年の九月十四日からの三日間に渡って行われる同宮の例大祭である。十三日には前夜祭も行われている。
 祭りが行われる盛岡八幡宮は、この地を治めた南部家が城下町鎮護のために勧請した、同家の氏神様でもある。
 祭りの興りは宝永六(1709)年、南部藩二十万石の城下町二十三町が完成した折に、各町から一台ずつ山車を出して祝ったのが始まりとされており、この山車行列は今も執り行われ、盛岡市の指定無形文化財にもなっている。
 それら山車の全てが八幡宮からスタートする「八幡下り」や夜に行われる山車大絵巻パレード、八幡宮境内で行われる古式ゆかしい流鏑馬など、三百年間連綿と続く盛岡の秋の風物詩が、三日間にわたって繰り広げられる。
 祭りには欠かせない屋台も参道一杯に立ち並んでおり、南部独特の音頭を取って子供達が練り歩く様をヤキソバを食べながら眺めるのも乙なものである。
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2007/8/10


岩手 桜山神社 Iwate sakurayama-jinjya 

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 岩手県盛岡市内丸にある桜山神社。もともとは盛岡城の三の丸にあり、盛岡藩の総鎮守として篤く信仰された神社である。
 創建は江戸時代の寛延二(1749)年。盛岡藩の8代藩主・南部利視が初代藩主の没後百五十年にあたることから盛岡城内の淡路丸に勧請したのがはじまりだ。
 明治維新の際、明治四(1871)年に廃藩置県により盛岡城は廃城。それに伴い、桜山神社も遷座を余儀なくされ、妙泉寺山に場所を移したが、第二次世界大戦後、再建された盛岡城内に戻ってきた。
 現在祀られているのは初代藩主だけでなく、藩祖・光行、2代藩主・利重、11代藩主・利敬の4人。南部藩の守り神として今も盛岡を見守りつづけている。
 神宝の南北朝初期国長作とされる刀は国指定の重要文化財。毎年5月25〜27日には例大祭が行われ、武者行列やさんさ踊りが賑やかに執り行われる。
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2007/6/20


新羅神社 Sinra-jinja 

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 新羅神社(しんらじんじゃ)は、青森県八戸市長者にある神社である。祭神は、素戔嗚尊、新羅三郎義光。
 延宝六(1678)年、八戸南部二代目藩主直政により、領内の五穀豊饒・万人安穏・無病息災などの祈願所として三社堂・虚空蔵堂と称したのが創祀といわれる。
 文政一〇(1827)年、八代藩主信真により現在の社殿が造営された。本殿は入母屋造りで、向背柱廻りや正面扉などに華麗な彩色模様が施されている。
 明治二(1869)年、社号を三社堂から新羅神社に改めた。
 昭和五一(1976)年、長者山新羅神社と改称する。
 2月には、八戸地方に春を呼ぶ「えんぶり」の奉納舞、8月には八戸三社大祭が開催され、大祭中の8月2日には代々八戸南部藩に伝承されたといわれる加賀美流騎馬打毬が行われる。
 新羅神社は、長者山の名で地域住民から親しまれている社である。
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2007/6/19


浦河神社 Urakawa-jinja Urakawa Shrine

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 浦河神社(うらかわじんじゃ)は、北海道浦河郡浦河町にある神社である。祭神は、保食神、大物主命、市杵嶋姫命。
 寛文九(1669)年、松前藩の将が讃岐の金刀比羅宮から分霊を戴き、東蝦夷地鎮護神として現社務所付近に小祠を建立した。
 享和元(1801)年、同じ場所に海上安全や豊漁などを祈念し、山城国の稲荷大明神から分霊を戴き、小祠を建立した。
 文化四(1807)年、東蝦夷地駐屯の南部藩が安芸国厳島神社より分霊を戴き、小祠を建立した。
 天保一三(1842)年、石屋根の社殿を造営し、稲荷神社として3祠を1社に合祀した。
 昭和六(1931)年、浦河神社と改称する。
 浦河神社では、毎年1月2日には馬に乗って101段の石段を一気に駆け上がる伝統行事「騎馬参拝」が行われており、サラブレットの故郷・浦河の正月の風物詩として有名である。
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2007/6/12


江渡家住宅 Eto-ke-juutaku 

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 江渡家住宅(えとけじゅうたく)は、青森県三戸郡五戸町にある旧家である。国の重要文化財に指定されている。
 天明年間(1781~88)の建築といわれる大邸宅で、保存状態も良く、当時の原形をそのままとどめているのは貴重といわれている。
 桁行十二聞半、梁間六聞、八十五坪、寄せ棟造りの茅葺屋根で、四方せがい造りとして、北正面に玄関を付属させている。
 江渡家は、江戸時代に南部藩の代官所に仕えていた御給人と呼ばれる在郷士族で、農業を営みながら五戸代官所の下役を勤めた家柄である。
 住宅は江戸時代後期に飢餓救済事業として建策され建てられた家で、格式の高い武家屋敷の様式を備えている。
 江渡家住宅は、江戸の昔を偲ばせる、暖かみのある旧家である。
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2007/6/7


南部藩陣屋跡 Nanbuhan-jinya-ato The Old Jinya of the Nanbu Domain

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 南部藩陣屋跡(なんぶはんじんやあと)は、北海道函館市汐首町にある史跡である。
 寛政一一(1799)年、箱館の警備を命じられた南部藩の陣屋として建設された。
 文政四(1821)年、松前氏の復領後に1度廃止されたが、安政二(1855)年には、箱館市内の弁天岬等の警備を命じられた南部藩は、陣屋を再築。
 しかし明治元(1868)年、南部藩は旧幕府軍襲来の噂と政情不安から蝦夷地警備兵を撤退、陣屋は廃止され、火を放たれた。
 敷地は、当初16200平方mほどであったが、後に36000平方m以上まで拡大した。
 現在は、昭和二九(1954)年に岩手県南部会によって建てられた碑と石垣が残るのみとなっている。
 南部藩陣屋跡は、モロラン・長万部・砂原にも分屯された元陣屋であり、貴重な史跡である。
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