堀越城 Horikoshi-jo Horikoshi Castle
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弘前藩の基礎を築いた津軽為信(つがるためのぶ)が津軽統一の根拠地として利用し、大浦城から居城を移した文禄三(1594)年から、慶長十六(1611)年に二代藩主、津軽信枚(のぶひら)が現在の弘前城に移るまでの間、弘前藩の中心となった城。
昭和六十(1985)年11月に国史跡指定を受け、現在は、史跡公園として整備するために、平成十(1998)年から継続して発掘調査が行われ、建物の柱のあとや、青磁・白磁、漆器などが出土している。
現在は熊野神社の境内となり、国道7号が城を分断しており、神社の中に入り込むと、そこは主郭らしいつくりで土塁が積み上げられ、空堀の跡もよく残っており、古城という雰囲気が醸し出されている。
昭和六十(1985)年11月に国史跡指定を受け、現在は、史跡公園として整備するために、平成十(1998)年から継続して発掘調査が行われ、建物の柱のあとや、青磁・白磁、漆器などが出土している。
現在は熊野神社の境内となり、国道7号が城を分断しており、神社の中に入り込むと、そこは主郭らしいつくりで土塁が積み上げられ、空堀の跡もよく残っており、古城という雰囲気が醸し出されている。
- 住所
- 青森県弘前市大字下白銀町
- 名前
- 堀越城