羽村の堰 Hamura-no-seki
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多摩川にかかり、東京の羽村市から新宿区にまで生活用水を運ぶ玉川上水。その玉川上水の出発点となるのが、羽村の堰(はむらのせき)である。
江戸時代の生活用水不足から新しい水道を作る必要に迫られ、承応二(1653)年、庄右衛門(しょうえもん)と清右衛門(せいえもん)の玉川兄弟によって玉川上水の工事が始まる。その際、多摩川を堰き止め、水を導き入れる役割を果たす堰として建設されたものだ。
固定堰と、堰止めを解除できる投渡堰(なげわたしぜき)の二つで構成されており、現在もこの二つの仕組みを利用している。
周辺は整備され、江戸時代に上水の管理を行っていた陣屋の門が移築されるなど、周辺住民の憩いの場所にもなっている。
また、堰周辺から玉川上水べりにおよそ五百本の桜の木が植えられ、シーズンともなれば多くの人が繰り出し、咲き誇る桜と水の流れの調和を楽しんでいる。
江戸時代からの水の歴史とその偉業を今に伝えながら、堰は今も水と共に人々の心を潤している。
江戸時代の生活用水不足から新しい水道を作る必要に迫られ、承応二(1653)年、庄右衛門(しょうえもん)と清右衛門(せいえもん)の玉川兄弟によって玉川上水の工事が始まる。その際、多摩川を堰き止め、水を導き入れる役割を果たす堰として建設されたものだ。
固定堰と、堰止めを解除できる投渡堰(なげわたしぜき)の二つで構成されており、現在もこの二つの仕組みを利用している。
周辺は整備され、江戸時代に上水の管理を行っていた陣屋の門が移築されるなど、周辺住民の憩いの場所にもなっている。
また、堰周辺から玉川上水べりにおよそ五百本の桜の木が植えられ、シーズンともなれば多くの人が繰り出し、咲き誇る桜と水の流れの調和を楽しんでいる。
江戸時代からの水の歴史とその偉業を今に伝えながら、堰は今も水と共に人々の心を潤している。
- 住所
- 205-0024 東京都羽村市玉川1
- 名前
- 羽村の堰