NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/12/25


EIZO FORIS.HD Eizou Forisu.eichidi EIZO FORIS. HD

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 磨き上げられたシンプルなデザインと、クオリティの高さが人気のカラー液晶テレビEIZO FORIS(フォリス)の新ラインが登場した。
 1台でテレビとPCモニターを兼ね、映像においては、垂直720ライン以上の解像度を保持、なおかつアスペクト比率が16対9である高解像度でありながら、従来のFORIS開発で培った、目にやさしい映像を継承する。
 音響面では、人間の生活の基底をなすピタゴラスの定理(3対4対5)に則り、低音部、高音部共に効果的で優れたクオリティを発揮することに成功した。
 側面には、日本発の製品であるという誇りの意識と共に、高貴とされる伝統色・弁柄(べんがら)の鮮やかな朱色を配す。
 デスクトップというパーソナルなたたずまいと共に、テレビとPCが最先端で融合進化した、新しい情報ターミナルの誕生である。
 
■デザインディレクター
 川崎和男
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2007/12/14


ベンガラ Bengara Bengara

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 ベンガラとは、酸化第二鉄からなる無機赤色顔料の一つであり、人類が使用した歴史上最古の顔料としても知られている。
 漢字では弁柄と書き、紅殻やインド赤、ヴェネツィアンレッドなどとも呼ばれる。
 日本には中国から朝鮮半島を経て、沖縄に伝わったとされ、インドのベンガル地方産のものを輸入していたため、ベンガラと名付けられたという。
 酸化鉄系では最も生産量が多い顔料であるが、化学的には鉄の赤錆と成分的に同じであるため、現在では合成のものが多く、天然に産するものとしては、日本では岡山県高梁市成羽町が、国内唯一の生産地となっている。
 古代には尊い色として珍重され、日本では沖縄の首里城の赤がベンガラの色として有名である。また、着色力や隠蔽力共に優れており、耐熱性や耐水性もあることから、木造建築における防腐の役目も負っていた。
 他の赤色系顔料に比べ鮮明さに欠く印象はあるが、その華やかさは時代を超えて、人々の心を魅了し続けている。
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2007/9/5


紅型 Bin-gata Bingata

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 紅型(びんがた)は、沖縄を代表する伝統的な染織技法の一つである。
 起源は十六世紀ごろとされており、当時の琉球王国では王族や貴族の衣装として染められていた。そのため、染屋は首里城の周りに置かれ篤く庇護されていたという。
 「紅」は色全般を示す言葉でとして、「型」は型絵染めの型紙を表す言葉として用いられ、型紙を使って様々な色で染め上げたもの全般を紅型と読んでいた。
 紅型には二つの手法があり、型染めは型を用いて文様を染めあげるもので、筒引きは文様を描くのに必要な糊を円柱状の筒にいれ、その先からところてんのように搾り出しながら文様を描く手法だ。
 これら細心の手作業により生み出される色合いは当時の王侯貴族たちを魅了して止まず、特にフクギと呼ばれる植物から取れる黄色は、王族のみ使用がゆるされるほどだった。
 現在では用途も広がり、着物のみならず帯や各種装飾品などにも活用されており、友禅に並ぶ日本の代表的な染物として、南国の情緒を楽しませてくれている。
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2007/6/13


宮崎漆器 Miyazaki-shikki Miyazaki Lacquer Ware

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 宮崎県で作られている漆器で、県の伝統工芸品に指定されている。
 沖縄で室町時代から始まったとされる、琉球塗りがその源流である。首里城門などにも琉球塗りの技術を見ることができる。
 太平洋戦争末期、沖縄から宮崎県に移住してきた琉球漆器の技術者達を中心に、雇用など地域に貢献する形で制作をはじめ、宮崎漆器として成り立つようになり、現在にいたる。
 宮崎県は高温多湿であり漆の乾燥に適し、下地となる漆の塗布は非常に重要な作業であり、これによって堅牢なものになる。
 さらに中塗り、上塗りと漆を塗り、色漆を塗っていく。朱塗りの色が冴えているのも、宮崎漆器の特徴の一つだ。
 装飾には堆錦という漆と顔料を混合したものを、金槌でたたき、ゴム状にしたものを、柄にあわせ切り、製品に貼り付けるいう独特の絵付け方法を行い完成となる。
 盆、茶托、菓子皿や文箱などが作られ、県の内外で愛用されている。
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2007/3/9


勝連城跡 Katsuren-gusuku-ato Katsuren Gusuku Ruins

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 勝連城跡(かつれんぐすくあと)は、沖縄県うるま市勝連にある城跡である。
 国指定史跡であり、標高約68〜98メートル、東西南北の長さ約140×85メートルほど。
 勝連城跡は、12〜13世紀ごろに築かれた勝連按司(かつれんあじ)の城である。
 築城者は不明だが、最後に修築したのは最後の城主、阿麻和利(あまわり)と言われる。
 首里王府は、阿麻和利を抑える為に中城城に護佐丸を配置した。
 1458年、阿麻和利は護佐丸を倒した後、首里城を攻めて大敗し、最後は王府軍に滅ぼされた。
 城跡が丘の上にあり、麓から眺めるグスクはまさに天空の城壁のようであり、今にも飛び立ちそうな雰囲気を作り出している。
 現在は勝連城跡公園として、数多くの人々が訪れる景勝地となっている。
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園比屋武御嶽石門(世界遺産) Sono-hyan-utaki-ishimon Sonohyan Utaki Ishi-mon Gate (World Heritage Site)

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 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)は、沖縄県那覇市首里真和志町にある石造建築物である。
 1519年、琉球王の尚真によって創建された。築造者は西塘とされる。
 石門は、守礼門と首里城歓会門の中間にある。石門と周辺の森を総称して園比屋武御嶽という。
 御嶽は村落共同体ごとにある聖域で、古代よりここを中心に農耕儀式、漁労、狩猟儀式など神に関わる祭や行事が行われてきた場所である。
 琉球王国時代は国王の拝所であり、国王が首里城を出て各地に巡行する祭に安全を祈願したり、聞声大君の即位式の際にお参りする、重要な場所であった。
 太平洋戦争の沖縄戦で破壊されたが、1957年に復元された。
 2000年、ユネスコの世界遺産に登録された。
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2007/1/11


琉球王朝絵巻行列 Ryuukyuu-ouchou-emaki-gyouretu The Ryukyu Kingdom Royal Procession

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 琉球王朝絵巻行列は、那覇市で行われる県民参加型のお祭、首里城祭のメインイベントである。
 琉球王朝絵巻は、中国皇帝使者・冊封使が琉球に訪れた時の行列を再現したものである。
 那覇市中心部の国際通りで、国王、王妃、明・清の使者(冊封使)、伝統芸能団体を加えた1300人が、艶やかな衣装をまとい、路地楽や古典音楽を奏でながら厳かに行進する。
 イベント性を持たせるために、芸能行列を加えるなどのアレンジを施している。全て県民からの公募で選出されており、祭の期間中、首里城内では伝統芸能披露のステージが催される。
 琉球王朝絵巻は、壮大で華麗なる行列であり、まるで琉球王朝時代にタイムスリップしたかのような異空間を感じさせてくれる、歴史と幻想のお祭りである。
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2006/12/11


琉球王国 Ryukyu-Okoku Ryukyu Kingdom

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 沖縄はかつて「琉球王国」という独立国家だったことをご存知だろうか。琉球王国は今から約600年前、1429年に現在の浦添市に誕生した。中国をはじめとしてアジア諸国との海外交易で15〜16世紀に経済的繁栄を遂げ、王宮や寺院の造営、道路や橋梁の建設において高度な建築文化を発達させたのである。また、薩摩藩の支配下に置かれた17〜18世紀には組踊りや紅型、琉球漆器などの独特な芸能・文化を興隆させた。1879年に王国は幕を閉じたが、各歴史的建造物により、今でもその当時の繁栄ぶりと独自の文化を偲ぶことができる。
 特に世界遺産に登録されている「首里城」には随所に中国や日本の建築文化の影響が見られる。正殿や南殿、北殿はその代表的な例である。その他王陵、園比屋武御岳石門、識名園などが2000年に世界遺産に登録された。
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