志波城跡 Shiwa-jyou-ato
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志波(しわ)城跡は、岩手県盛岡市下太田方八丁ほかに所在する、平安時代初期に造営された城柵(じょうさく)遺跡だ。
城柵とは、奈良時代から平安時代にかけて、当時蝦夷(えみし)と呼ばれた東北地方の人々を朝廷が統治するために設置された行政府のこと。
志波城は、延暦二二(803)年に坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)により造営。当時は陸奥国最北端・最大級の城柵だったという。しかし、造営の10年後には雫石川の氾濫により、その役割を徳丹城に移した。
昭和五九年の史跡指定を受け、盛岡市では志波城の復元整備を進めており、門や築地塀、魯は当時の技術に倣って復元、志波城古代公園として一般に公開している。
城柵とは、奈良時代から平安時代にかけて、当時蝦夷(えみし)と呼ばれた東北地方の人々を朝廷が統治するために設置された行政府のこと。
志波城は、延暦二二(803)年に坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)により造営。当時は陸奥国最北端・最大級の城柵だったという。しかし、造営の10年後には雫石川の氾濫により、その役割を徳丹城に移した。
昭和五九年の史跡指定を受け、盛岡市では志波城の復元整備を進めており、門や築地塀、魯は当時の技術に倣って復元、志波城古代公園として一般に公開している。
- 住所
- 020-0855 岩手県盛岡市上鹿妻五兵衛新田48−1
- 名前
- 志波城跡