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2008/7/9


貝合わせ Kaiawase 

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 貝合わせ(かいあわせ)は、平安時代から伝わる遊びである。
 もともとは、平安時代に始まった「物あわせ」の一つで、珍しい貝を集めて出し合い、色合いや形の美しさ、珍しさを競ったり、その貝を題材にした歌を詠んでその優劣を競い合ったりした。
 一方、伊勢国二見産ハマグリを用いて源氏物語などの絵をかいたものを合わせる「貝覆い(かいおおい)」という神経衰弱に似た遊びがあったのだが、左右一対の殻に同じ絵を描き、その殻を合わせる所作が似ている事から後に混同されて、同じく貝合わせと呼ばれるようになったという。
 現在、最も古い品で、安土桃山の物が残っている。
 明治維新前までは、貝合せに用いる合せ貝を納める貝桶(かいおけ)が上流社会の嫁入り道具の一であったが、近代以降は遊ばれる事もなく、貝合わせの道具は博物館などで見られるぐらいとなった。
 貝合わせは、日本古来より伝わる、伝統の遊びである。
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2008/1/17


青貝塗 Aogai-nuri 

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 青貝塗(あおがいぬり)は、国の伝統的工芸品に指定されている「高岡漆器」の代表的な技法の一つ。
 アワビなどの貝を刀、針といった道具を用いて三角形や菱形の細片を作り、これを組み合わせて山水花鳥を表現する技法で、江戸時代初期に当時の越中富山藩主が京都より漆器職人を招いたことに始まるという。
 約〇・三ミリ厚の貝を貼り付ける一般的な螺鈿(らでん)に対し、青貝塗は約〇・一ミリ厚の薄い貝を貼り付けるため、下地の黒い漆が透けて貝が青く見えることから、こう呼ばれるようになった。
 青貝塗の作業は分業化されており、木地師、青貝師、塗師(ぬし)がそれぞれ連携を取りながら製品に仕上げていく。木地師が木で箱や器などを作り、青貝師が貝を貼り付け、塗師が下塗りと上塗りを行う。製品はお盆や文箱、コンパクトな箱など実用品が多い。
 漆器は使えば使うほど味が出て、時と共に深い愛着がわいてくるもの。だからこそ、普段の暮らしの中で使って欲しいと、青貝塗の職人たちは願ってやまない。
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勇助塗 Yuusuke-nuri 

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 勇助塗(ゆうすけぬり)は、国の伝統的工芸品に指定されている「高岡漆器」の技法の一つで、現在は富山県高岡市内の塗職人三代目・細野萩月が継承している。
 その名が示すように、江戸時代末期に初代勇助が、唐物(からもの)として珍重されていた当時の中国・明朝の漆器を研究して新しい技法を生み出したことに始まる。
 主に朱色や栗色を基調とした中国風の意匠に花鳥、山水、人物などの絵柄を描き、要所に「青貝入り箔絵(はくえ)」や「玉石入り錆絵(さびえ)」の飾りを施すのが特徴で、繊細さと優美さを兼ね備えた作品は、昔も今も高い評価を得ている。
 製作工程は多様で、漆を塗る前に漆器を堅牢なものにするための下準備、漆塗り、磨き、加飾、仕上げなど二〇にも及ぶ。
 これらの作業のすべてを一人で手がけ、化学染料などは一切使わずに、徹底して漆にこだわって作品は生み出される。長い伝統に培われた高岡漆器の代表と呼ばれるのもうなずける。
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2007/11/22


漆芸 Shitsu-gei 

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 漆芸(しつげい)とは、うるしを使用して作られた漆器や、それに装飾を加えたりした工芸品、及びその技術の事である。
 現在の漆の技法は中国から伝えられたとされるが、それ以前の、6000年も前の縄文遺跡から、漆を使った工芸品が出土している。
 漆技法は、主に4種類存在する。
 蒔絵(まきえ)は、蒔絵筆によって漆で模様を描き、その漆が乾かないうちに金粉や銀粉をまき、研ぎ出しや磨きを行う。
 沈金(ちんきん)は、沈金刀で漆の表面を線刻し、彫り跡に金箔や銀箔をすり込んで文様を作る。
 螺鈿(らでん)は、アワビや夜光貝の貝殻を薄く研磨した物を漆の表面にはめ込む。
 拭き漆(ふきうるし)は、顔料を加えていない漆を木地に塗ってはふき取る作業を何度も繰り返し、木目を鮮やかに見せる。
 漆芸は、日本独自の進化を遂げた伝統的工芸技術である。
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櫛 Kushi 

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 櫛(くし)とは、頭髪をすいたり髪飾りとして挿したりする道具である。
 日本では6000年前の縄文時代、福井県の鳥浜貝塚から赤い漆塗りの櫛が出土している。遺跡からの出土は東日本に偏っており、当時は日用品ではなく、呪術的な意味があったと推測されている。
 平安時代から戦国時代までは女性の髪型が垂髪であり、また、髪を洗う事が少なかったので、髪の汚れを取り除く事を目的として、実用的に使用されていた。
 江戸時代になると女性の髪が結われるようになり、髪を整える目的で櫛がよく使われる従い、装飾が綺麗な物が増えた。
 その結果、髪飾りとしても普及し、貝やべっ甲でできた物や、鮮やかな彫刻・絵画を施した櫛が作られ、利用されるようになった。
 現代では、べっ甲・ツゲ・竹・象牙・合成樹脂等で作られている。
 櫛は、とりわけ女性にとっては、古くから日常欠くことのできない化粧用具のひとつである。
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2007/11/5


立て干し網 Tate-boshi-ami 

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 立て干し網(たてほしあみ)は、愛媛県御荘町に明治中期頃から伝わる漁法のひとつである。晩春の干潮の汐差が最も大きい日に、湾に延長約700メートルの網を立て、潮が引いた際に取り残された魚を手づかみや手網で獲る。
 この昔ながらの「立て干し網」を由来とし、毎年五月の連休頃の大潮の日に、多くの参加者を募り「立て干し網大会」を開催している。年々、参加者の増加にともない、ハマチ・マダイ・アジなどが合計約2万尾、アサリが約2トンほども放流され、それらを網と軍手、アサリを掘る道具などで捕っていく。
 普段、魚や貝などに触れる機会が減った現代、自然と直に触れ合える数少ない貴重な体験ができるとして、多くの観光客や家族連れで賑わう。全国一のスケールをもった初夏の風物詩である。
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2007/10/31


燕鎚起銅器 Tsubametsuikidouki 

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 燕鎚起銅器(つばめついきどうき)は、新潟県燕市の伝承技術として知られ、金・銀・銅・錫などの素材を鎚(つち)で打ち起こす金属工芸品である。
 江戸時代中期、地元の弥彦山から銅が産出されていた。そこへ仙台から職人がやってきて製造技術を伝えたといわれ、やかん類が生産されていた。これが現在の燕市が鎚起銅器を中心とした、スプーンやフォークなどの食器類、日用品が特産となったはじまりである。
 鎚起銅器は、一枚の銅板から大小さまざまな鎚や鏨(たがね)を用いて形成し、銅器を熱したあとゆっくり冷やす焼鈍(しょうどん)という方法を繰り返し、打ち延ばし・打ち縮めという鍛金の技術を駆使して作品を仕上げていく。
 さらに、表面には彫金で装飾を施し、打出・片方を斜めに彫って線を描く片切彫(かたきりぼり)・彫り上げたくぼみに金・銀・貝など他の材料をはめ込む象嵌(ぞうがん)などの技術が用いられる。
 燕鎚起銅器は、殺菌作用があり熱伝導率が高く、丈夫であるため長年愛用できる逸品である。
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2007/10/26


納沙布岬 Nosappu-misaki Cape Nosappu

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 納沙布(のさっぷ)岬は、北海道本島再東端の岬。根室半島の先端、北緯43度22分、東経145度49分に位置する。
 海に広がる根室海峡の向こうには、貝殻島や水晶島、国後島などの北方領土の島々が手の届きそうな位置に浮かぶ。
 また納沙布岬は、「流氷岬」と呼ばれるように流氷が見られる岬としても有名。冬にはダイナミックで幻想的な景観が楽しめる。 
 元旦には北海道一早く初日の出を拝める場所として、「納沙布岬初日詣」が行われる。
 岬の先端には明治五年に建てられた道内最古の灯台が立つ。また、周辺は北方領土への思いを込めて造られた望郷の岬公園になっており、巨大なアーチの下に強風でも消えないトーチが焚かれている。公園内には北方四島をイメージしたモニュメント「四島のかけ橋」や望郷の家、北方館などの施設がある。納沙布岬は、四季折々、訪れる人々に様々な感慨を与えている。
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