NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/1


佐渡 たらい舟 Sado Tarai-bune Sado Tarai-bune (Tub Boat)

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 佐渡のたらい舟(たらいぶね)は、新潟県佐渡市に伝わる伝統的な漁船である。
 たらい舟は、日本の沿海で使われている船の中でも大変珍しい舟と言われている。
 小木半島に伝わるたらい舟は、昔の大事な嫁入り道具であり、岩礁と小さい入江が多い小木海岸では、小回りのきくたらい舟でのワカメ、サザエ漁が昔から行われていた。
 洗濯桶を改良したたらい舟が考案されたのは、明治時代初期の事で、現在でも漁に活躍している。
 また、小木港には観光用のたらい舟があり、実際に乗ったり漕いだりすることもできる。
 操作は、T字型のカイをまっすぐ立て、目標の一点を決めてカイの先で8の字を描くつもりで漕ぐ。
 佐渡のたらい舟は、地元特有の地形に合致した、実用的な伝統漁船である。
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2008/7/9


貝合わせ Kaiawase 

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 貝合わせ(かいあわせ)は、平安時代から伝わる遊びである。
 もともとは、平安時代に始まった「物あわせ」の一つで、珍しい貝を集めて出し合い、色合いや形の美しさ、珍しさを競ったり、その貝を題材にした歌を詠んでその優劣を競い合ったりした。
 一方、伊勢国二見産ハマグリを用いて源氏物語などの絵をかいたものを合わせる「貝覆い(かいおおい)」という神経衰弱に似た遊びがあったのだが、左右一対の殻に同じ絵を描き、その殻を合わせる所作が似ている事から後に混同されて、同じく貝合わせと呼ばれるようになったという。
 現在、最も古い品で、安土桃山の物が残っている。
 明治維新前までは、貝合せに用いる合せ貝を納める貝桶(かいおけ)が上流社会の嫁入り道具の一であったが、近代以降は遊ばれる事もなく、貝合わせの道具は博物館などで見られるぐらいとなった。
 貝合わせは、日本古来より伝わる、伝統の遊びである。
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2008/4/22


金沢桐工芸 Kanazawa-kirikougei Kanazawa Paulownia Woodwork

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 加賀百万石、昔からの華やかな気風を受け継ぐ石川県の金沢桐工芸。
 雪がもたらす良質の桐材と加賀三代藩主、前田利常(まえだとしつね)の美術工芸振興策により誕生した加賀蒔絵が合わさったものである。
 桐といえば白木の桐の箪笥として有名であるが、金沢の桐箪笥といえば表面を焼いて磨いた独特の焼肌をもち、その上に蒔絵が施されている。桐の軽さと独自の色合いが、他にない桐工芸を作り上げていったのである。
 さらに明治時代に入り加賀蒔絵の巨匠、大垣昌訓(おおがきしょうくん)が桐火鉢に蒔絵を施す技術を考案し、一気に金沢桐工芸は全国に知れわたる工芸品となった。
 石川県では桐火鉢は嫁入り道具の必需品となり、かつて桐火鉢は冬の暖房の主役として全国で愛用されていた。
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2008/3/4


薩摩つげ櫛 Satsuma-tsugegushi Satsuma Comb

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 薩摩つげ櫛(さつまつげぐし)は、素材に薩摩ツゲを利用して製作された櫛の総称である。
 鹿児島県の指宿地方は、その高温多雨な気候により、高品質なツゲの産地として知られている。
 非常に綿密で硬質であり、そうしたことから櫛の歯が折れにくいこと、また、黄楊とも書くように黄色味を帯びた表面と艶の美しさにより、珍重されている。
 その始まりは、江戸時代中期、木曽川の治水工事を終えて帰国した薩摩藩士たちが製作したことによるとされる。
 以降、櫛作りは下級藩士たちの内職として広まり、その品質の良さからも全国区の名品となっていくこととなる。
 同地方では女児が生まれると、黄楊の木を植えて育て、嫁入りの際には家具や櫛を作って持たせたという。
 淡い黄色地の表面は、椿油で手入れをする事によって年を重ねるごとに見事な光沢を放ち、また、櫛どおりも滑らかで頭皮にも優しく、静電気も起こらないなどの様々な特徴を持ち、近年においても高い人気を誇る逸品である。
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2007/12/26


雛人形 Hina-ningyou 

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 雛人形(ひなにんぎょう)の起源は、古くは「形代(かたしろ)」と言われる川や海に人の身代わりとして人形を流して幼子の無事な成長を祈るものといわれ、時代とともに現在の様な形に変化していった。
 形代は三月の上巳の節句に、草木などの簡素な素材の人形(ひとがた)で体を撫でることにより、身の汚れ(けがれ)や災いを移し代わらせてお祓いを行っていたものであるが、天正年間の頃、平安時代の宮中で行われていた「雛あそび」と言われる遊びごとと、この厄除けの習慣が結びついて、「雛祭り」へと変わっていったとされる。
 現在のような平安装束を模した雛人形は、江戸時代には武家の子女の大事な嫁入り道具の一つとなり、次第に華美で贅沢なものになっていった。
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2007/10/12


駿河雛具 Suruga-hinagu Suruga Hina Doll Fittings

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 駿河雛具は、静岡県にて造られるひなまつりの飾り物である。
 針箱、茶道具、箪笥、長持、挟箱など、江戸時代の武家の豪華な嫁入り道具を模したものが雛具である。小さいながら実物と同じ様に作られているのが特徴である。
 16世紀、今川氏が静岡を支配していた頃には、駿河雛具は生産されていた。
 江戸時代になると、久能山東照宮や浅間神社の造営等をきっかけに、全国から集まった職人達が静岡に定着し、高度な技術を応用して雛具作りが発達していった。
 また、木地、漆、蒔絵、金具等の工程を分業化することで、手工芸でありながら大量の製品を作ることができたのも、駿河雛具の大きな特色である。
 駿河雛具は、湿気が多く温暖な気候と、江戸や京都等の大消費地の中間にあるという立地が幸いして発展した、伝統工芸品である。
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2007/6/14


筒描藍染 Tsutsugaki-aizome Tsutsugaki Aizome (Tsutsugaki Indigo Blue Dyeing)

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 島根県の出雲・松江・米子を中心とする、ふるさと伝統工芸品に指定されている風呂敷。
 明治以前より藍染をする紺屋は各地にみられたが、明治40年頃から次第に化学染料(建染染料)が普及。昭和25年には、筒描藍染を行うオモテ紺屋(糸を染めるカセ紺屋に対する呼称)は出雲地方において、紺屋59軒の内、オモテ紺屋のみ4軒となった。
 現在は、筒描藍染技術保持者として島根県指定無形文化財に認定されている、長田紺屋1軒を残すのみとなった。
 オモテ紺屋が染めた筒描藍染は大正時代までは嫁入支度として、定紋を入れ藍染で染めあげた。風呂敷もそのひとつであった。
 何度も染を繰り返し完成する。図柄は、のりを塗って染まらないようにして、高瀬川でゆっくりと洗われる。
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