NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/4


薩摩つげ櫛 Satsuma-tsugegushi Satsuma Comb

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 薩摩つげ櫛(さつまつげぐし)は、素材に薩摩ツゲを利用して製作された櫛の総称である。
 鹿児島県の指宿地方は、その高温多雨な気候により、高品質なツゲの産地として知られている。
 非常に綿密で硬質であり、そうしたことから櫛の歯が折れにくいこと、また、黄楊とも書くように黄色味を帯びた表面と艶の美しさにより、珍重されている。
 その始まりは、江戸時代中期、木曽川の治水工事を終えて帰国した薩摩藩士たちが製作したことによるとされる。
 以降、櫛作りは下級藩士たちの内職として広まり、その品質の良さからも全国区の名品となっていくこととなる。
 同地方では女児が生まれると、黄楊の木を植えて育て、嫁入りの際には家具や櫛を作って持たせたという。
 淡い黄色地の表面は、椿油で手入れをする事によって年を重ねるごとに見事な光沢を放ち、また、櫛どおりも滑らかで頭皮にも優しく、静電気も起こらないなどの様々な特徴を持ち、近年においても高い人気を誇る逸品である。
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2007/11/22


櫛 Kushi 

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 櫛(くし)とは、頭髪をすいたり髪飾りとして挿したりする道具である。
 日本では6000年前の縄文時代、福井県の鳥浜貝塚から赤い漆塗りの櫛が出土している。遺跡からの出土は東日本に偏っており、当時は日用品ではなく、呪術的な意味があったと推測されている。
 平安時代から戦国時代までは女性の髪型が垂髪であり、また、髪を洗う事が少なかったので、髪の汚れを取り除く事を目的として、実用的に使用されていた。
 江戸時代になると女性の髪が結われるようになり、髪を整える目的で櫛がよく使われる従い、装飾が綺麗な物が増えた。
 その結果、髪飾りとしても普及し、貝やべっ甲でできた物や、鮮やかな彫刻・絵画を施した櫛が作られ、利用されるようになった。
 現代では、べっ甲・ツゲ・竹・象牙・合成樹脂等で作られている。
 櫛は、とりわけ女性にとっては、古くから日常欠くことのできない化粧用具のひとつである。
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2007/11/12


黄楊櫛 Tsuge-gushi Japanese Boxwood Combs

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 黄楊櫛(つげぐし)は、京都府にて今も作られている、髪をすく伝統的な女性の装飾品である。
 櫛の歴史は古く、一番古いものでは縄文時代まで遡る。また、黄楊で作られた櫛は万葉集にも詠まれており、櫛の中でも最上級品として歴史を重ねている。
 京都の黄楊櫛の生産は、平安時代から始まったとされている。
 黄楊の木は、材質が柔らかく地肌を傷つけず、櫛にとって理想的な性質を持っており、一般の櫛だけでなく、西陣織の綴織に使う櫛、京人形の結髪用の櫛など京都ならではの幅広い用途に使われている。
 また、静電気がほとんど起こらないため、枝毛や切れ毛になりにくく、頭皮への刺激も優しく、非常に高いヘアケア効果があるとされている。
 黄楊櫛は、健康的なだけでなく彫や蒔絵も美しい、いつの時代も女性を引き立てる装飾品である。
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2007/1/11


江戸鼈甲 Edobekkou Edo Bekko

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 江戸鼈甲(べっこう)は、眼鏡枠や、蒔絵、彫刻、象嵌が特徴の東京で作られる工芸品である。
 鼈甲細工の歴史は大変古く、正倉院宝物の中に琵琶の一部分としてタイマイの甲羅が使われている。江戸時代に張り合わせの技法が伝えられて、複雑な造形が出来るようになった。
 江戸鼈甲の材料は、数多い亀の中でも、特に甲羅の質が装身具や置物として利用できるタイマイの甲羅を使う。
 タイマイは赤道近くに生息し、大きいものは50〜60才で全長180センチ、体重200キロにもなる。また甲羅は必ず13枚で、黒くなっている部分を斑(ふ)というが、斑以外の透明な部分は約10%しかなく、特に珍重されている。
 江戸鼈甲は、貴重で気品に溢れる伝統工芸品である。
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2006/12/17


和泉櫛 Izumi-gushi Izumi Combs

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 貝塚市は日本最古の櫛産地と言われ、言い伝えによると、和泉櫛は欽明天皇(6世紀後半)のころ、偶然貝塚市に流れ着いた異国人が、8種類の器具を用いて、櫛の製法を教えたのが始まりであったとされている。
 江戸時代中期には貝塚市を中心に500人を超える櫛職人が存在したと言われている。
 櫛の材料になるのは「ツゲ」という木で、現在では一般的なプラスチックや、化学製品などと比べ、静電気を起こしにくいという特徴や、髪を傷めない良さがある。
国産の「薩摩つげ」を使うものが、最高級の部類である。
 櫛の歯一本一本を手でなめらかに仕上げる和泉櫛は、使い込むほどに馴染む質感と手触り、髪の通りの良さを持つ細工が見事である。
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なにわべっ甲 Naniwa-Bekkou Naniwa Tortoiseshell Work

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 今から1360年前、小野妹子が隋から長崎へ持ち帰った献上品に、べっ甲を使った美術品があり、正倉院には現存する日本最古のべっ甲が保存されている。べっ甲作りの技法が伝わったのは、江戸初期。
 元禄時代、高級遊女や大名夫人の装飾品として用いられ、やがて町人文化の開花とともに、簪、櫛等をはじめ身の回り品にベッ甲細工が盛んに使用された。以後、彫刻、蒔絵、金銀象嵌等の複雑な技法が発達した。
べっ甲とはタイマイという熱帯産のウミガメの甲羅を利用した加工工芸品。タイマイは体長1メートルに及ぶ大きなものもいる。タイマイの甲羅を糸のこなどで型打ち・型切りし、そのパネルを張り合わせ加工する。
 現在、べっ甲細工は大阪、東京、長崎が三大産地であり、大阪ではすかし彫り等の優れた彫刻技法がある。ブローチ等のアクセサリーを中心に製作されている。
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お六櫛 Orokugushi Oroku Combs

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 白木のミネバリを使った素朴で美しい櫛、「お六櫛」。信州に古くから伝わる伝統工芸品である。
 お六櫛の歴史は、江戸時代享保の頃に遡る。妻籠に住んでいた頭痛持ちの「お六」という娘がある日御嶽山に詣でたとき、「ミネバリの木で作った櫛で黒髪を梳けば、頭痛は治る。」とのお告げを聞いた。そこで朝夕その櫛で黒髪を梳いたところ不思議なことに病は全快したのだった。そこでお六は、この御利益を同病者にも分け与えようと願い「ミネバリの木」で作った櫛を売り始めた。すると中山道を行き交う旅人の間で評判となり木曽路・薮原宿の名産「お六櫛」として全国的に知られるようになったのである。
 原材料のミネバリは「斧折れ」カンバという俗称があるほど堅い木。 粘りがあって、梳き櫛の材料によく、その丈夫さからお六櫛は親子三代にわたって使えると言われるほどである。
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