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氏郷まつり(うじさとまつり)は、三重県松阪市にて「松阪開府の祖」と市民が親しむ蒲生氏郷公をたたえ、毎年一一月三日に行われる祭りである。
文武に通じ、経世にすぐれ、歌を詠み、茶道の腕前は千利休七哲のひとりとして高名であったという戦国屈指の名将・蒲生氏郷(がもううじさと)。天正一二(1584)年、松ヶ島城主となった氏郷公は、わずか三年で松坂城を築城、町を「松坂」と命名し、楽市楽座、街道の整備を進め、斬新で画期的な政策を打ち出し松坂発展の基礎を敷いたといわれている。
祭り当日の朝、まず松阪城跡天守閣跡に建つ松阪開府の碑にて、祭りの無事を祈る碑前祭(ひぜんさい)が執り行われる。その後、市民参加の勇ましい武者行列が行われ、馬に乗った歴代・松阪城主が武者を連れ町をねり歩く。氏郷の出身地である商店街では、滋賀県日野町の日野鉄砲隊による古式砲術が披露される。日野では氏郷の指揮の下、火縄銃が製造されていたという歴史が残されているといわれている。
文武に通じ、経世にすぐれ、歌を詠み、茶道の腕前は千利休七哲のひとりとして高名であったという戦国屈指の名将・蒲生氏郷(がもううじさと)。天正一二(1584)年、松ヶ島城主となった氏郷公は、わずか三年で松坂城を築城、町を「松坂」と命名し、楽市楽座、街道の整備を進め、斬新で画期的な政策を打ち出し松坂発展の基礎を敷いたといわれている。
祭り当日の朝、まず松阪城跡天守閣跡に建つ松阪開府の碑にて、祭りの無事を祈る碑前祭(ひぜんさい)が執り行われる。その後、市民参加の勇ましい武者行列が行われ、馬に乗った歴代・松阪城主が武者を連れ町をねり歩く。氏郷の出身地である商店街では、滋賀県日野町の日野鉄砲隊による古式砲術が披露される。日野では氏郷の指揮の下、火縄銃が製造されていたという歴史が残されているといわれている。
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