NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/23


土居太鼓祭 doi-taiko-matsuri 

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 土居太鼓祭(どいたいこまつり)は、愛媛県四国中央市土居町にて、毎年一〇月一三~一五日にかけて開催されている祭りである。土居町秋まつりとも言われている。
 上野太鼓祭りと土居町太鼓祭りからなる、家内安全と五穀豊穣を願う祭りで、重さ約2トンのもの太鼓台を100名以上の担き夫が担ぎあげる。
 太鼓台は、幅3m、高さ5m、長さ11mもあり、神輿や山車とは異なり、その中心に太鼓があるのが特徴である。瀬戸内沿岸を中心に西日本に多く見られ、太鼓に合わせて音頭をとって担ぐ。
 土居町太鼓祭りは一三日に各地区の太鼓台が地区を周り、一四日にふるさと広場での15台の太鼓台の寄せ担きが行われる。また一五日には上野太鼓祭りがあり四台の太鼓台の寄せ担き及びと太鼓台の喧嘩祭りが小学校の校庭で行われる。
 数十台の太鼓台が一斉に担ぎ上げられる様子は迫力があり、土居町内では約40台の大人太鼓と子供太鼓が町内のいたるところで、かきくらべを演じる。
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2008/10/9


龍光寺 Ryuukou-Ji 

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 龍光寺(りゅうこうじ)は、愛媛県宇和島市三間町戸雁にある真言宗御室派の寺である。本尊は、十一面観世音菩薩。四国八十八ヵ所霊場第41番札所となっている。山号を稲荷山護国院と言い「三間のおいなりさん」と呼ばれて親しまれてきた。
 大同二(807)年、弘法大師空海が三間平野で出会った稲を背負った白髪の老人が、五穀豊穣を司る神の化身と考え、稲荷大明神像を刻んで本尊としたのが開基である。明治初期に本堂を稲荷神社として、一段下に寺の本堂が建てられ、寺の本尊は十一面観世音菩薩となった。今でも、境内には本堂と稲荷神社が併存し、神仏混淆時代の名残りを色濃く残している。
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2008/9/29


青島盆踊り Aoshima-bon-odori 

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 愛媛県大洲市の青島盆踊り(あおしまぼんおどり)は、毎年八月一三・一四日に開催される大掛かりで華やかな伝統行事である。
 一三日には魚を供養する賑やかな踊りの大漁踊りが、一四日には死者の霊を慰めるため、赤穂四十七士の亡者踊りが披露される。討ち入りの衣装や、鎧兜などを身につけ舞う亡者踊りは哀愁を帯びた印象である。
 青島は一七世紀までは無人島であったが、島原の乱により頻繁に船が往来しはじめ、播磨(はりま)の漁師が立ち寄ったことをきっかけに、播州(ばんしゅう)からの移住者が増えた。それが青島の盆踊りが赤穂四十七士にまつわる由来とされる。現在は県指定の無形民俗文化財に指定されている。
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2008/9/9


三瓶秋祭り Mikame-aki-matsuri 

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 三瓶(みかめ)秋祭りのお練りは、愛媛県西予市三瓶町で毎年一〇月一四日から一六日頃に開催されている。
 安政六(1859)年に吉田から練りの道具を購入したのがはじまりで、現在のような行列の練りとなったのは、明治四(1871)年からとされている。
 一五日、朝立地区から練りが開始される。牛鬼を先頭に、200メートルにも及び、金幣、奴、相撲甚句、唐獅子、五ツ鹿、神興、四つ太鼓などの大行列となる。白昼夢のような、不思議な光景だ。
 牛鬼の胴部分は毎年作り替えられている。竹を張り、胴を形作る作業は、牛鬼の頭を購入した頃から150年近く住民によって継承されてきた。1カ月半かけて乾燥させた胴は、当日に頭と尾が取り付けられ、赤布で覆われる。道々の家を回り、夕方には地区の中心部広場で、大勢の観衆を前に「四つ太鼓」とのかち合わせを繰り広げ、迫力あるエキサイティングな様相となる。
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2008/9/2


石手寺 三重塔 Ishite-ji Sanjuu-no-tou 

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 四国霊場でも随一の寺宝、文化財を有する名刹と言われる石手寺(いしてじ)は、真言宗の寺院で、四国霊場の第五一番札所。神亀五(728)年に聖武天皇の勅願により創建されたと伝えられる。
 もともとは安養寺という名前だったが、寛平四(892)年、城主河野家の子息が左手が開かないと言い出し、安養寺の住職に祈祷を頼み左手が開いたとき、手から「衛門(えもん)三郎再来」と書かれた小石が転がり落ちたため、石手寺と改めたと言われている。
 境内にある三重塔は国の重要文化財に指定されている。この三重塔のつくりは三間三重と呼ばれる形式で、屋根は本瓦葺になっている。鎌倉時代に立てられた三重塔としては愛媛県内唯一のものである。石手寺の境内は曼荼羅に作られ、三重塔を中心に右回り、左回りしながらお参りをすれば自然と心が和み、温かい心が全身によみがえってくると言われている。
 立派な堂宇が立ち並び、道後温泉の東にあたることから境内は参拝の人が絶えない。
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2008/8/26


金山出石寺 Kin-zan-syusseki-ji 

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 愛媛県大洲市と八幡浜市の境にある、標高八一二mの出石山(いずしやま)。その山頂の自然林の霊気に覆われた場所に金山出石寺(きんざんしゅっせきじ)はある。寺全体が瀬戸内海国立公園に指定された名勝地でもあり、雲海から昇る朝日は参拝者に深い感銘を与えている。
 養老二(718)年、鹿を追って山に入り鹿を射ようとして迷い込んだ猟師作右衛門の前で、岩が二つに割れ千手観音菩薩と地蔵菩薩の像が現れたという。殺生を悔いた作右衛門はその後出家し、道教と名乗り一軒の草堂を建て、この仏像を本尊としたのが始まりと言われている。
 その後弘法大師がここを訪れた際に、寺の名前を金山出石寺と定めたといわれる。真言宗御室派(おむろは)別格本山として、一二〇〇年以上の歴史を伝える名刹である。
 現在、四国八十八カ所霊場番外札所になっている。
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高昌寺(楠木寺) Koushou-ji(Kusunoki-dera) 

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 七堂伽藍(しちどうがらん)が整った地方きっての名刹、高昌寺(こうしょうじ)は、室町時代嘉吉元(1441)年に創建された曹洞宗のお寺である。文政七(1824)年の本堂建立の際、材料に楠材を多く使ったことから伊予の「楠木寺(くすのきでら)」とも呼ばれている。
 釈迦入滅の日とされる三月一五日には毎年釈迦の法要「涅槃会(ねはんえ)」として「涅槃まつり」が行われる。二〇〇年の歴史を持つこの祭りでは美しい稚児(ちご)行列も行われ、内子の春の名物行事として知られている。
 平成一〇(1998)年に建立された、長さ一〇m、重さ二〇〇トンの、日本一巨大な石造涅槃仏にも参拝者が多く集まる。
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朝日文楽 Asahi-bunraku 

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 明治初期、朝立浦の井上伊助が、松ノ木の瘤や桐の木で、人形の頭や胴体を作り、一口浄瑠璃で人形を操ったことが朝日文楽の起こりとされている。
 その後、徳島県の平六座から本格的な頭、衣装、道具を購入し、財産家、地区住民の支援によって次第に整えられていった。
 人形は一体およそ20キロ。人形一体を3人で動かす。また眉や眼が動く仕掛けもあり、喜怒哀楽の表情や、見栄を切るときの表情に迫力をつけることもできる。
 明治四三(1910)年、大阪の道頓堀の朝日座を模して、朝立の埋立て地に芝居小屋「朝日座」が建てられ、その朝日座を中心に活躍したことから、朝日文楽と命名された。
 以来、戦争などによる盛衰や、高齢化などの問題はあったものの、郷土の誇りとして保存伝承するため、町をあげて努力している。
 昭和三九(1964)年に愛媛県指定の重要文化財にもなり、ますます注目されている。 
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