NIPPON Kichi - 日本吉

記事数12件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/3/11


古四王神社 Koshiou-jinjya 

Jp

 古四王神社(こしおうじんじゃ)は秋田県秋田市にある神社である。
 室町時代、元亀元(1570)年に領主である戸澤兵部が飛騨の名工・甚兵衛に作らせたものといわれている。
 豪快な組み合わせと、社殿の上部や軒の飾り、薄肉彫りの菊の向拝、手挟みの上にある蛙股、擬宝珠など優雅で美しい彫刻、そして釘が一切使われていないことが特徴である。
 神社の歴史はさらに古く、もともとは鰐田浦(あぎたのうら)の神が祀られていたが、阿部比羅夫(あべのひらふ)征夷大将軍が大遠征でこの地に赴いた折に、大彦命(おほひこのみこと)を合祀、越王(古四王)と称したといわれている。
 明治四一(1908)年、国の重要文化財に指定されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/2/27


蟇股(かえるまた) Kaeru-mata 

Jp

 蟇股(かえるまた)は、木造建築物などで、横に渡された梁など上からの加重を支える構造材の一種で、カエルが足を広げて踏ん張っているような形をしていることから、この名が付いたとされる。
 日本で独自に発達した、和様建築のみに見られる構造であり、元々は機能優先のものであったが、次第に装飾としての意匠も施されるようになった。
 平安時代に入ってからは、本来の構造材としてよりも装飾を施す目的で用いられるようになり、意匠材としての役割を果たすようになっていく。
 室町時代以降はその意匠も華美を極め、厚い板の表面に彫刻を施した「板蛙股」や内部をくりぬいて透かし彫りとした「本蛙股」など、現代にも残る国宝級の建物にも、そうした豪奢な意匠が数多く見受けられる。
 神社やお寺に赴く機会があるならば、豪華な伽藍だけではなく、そのほんの一部である蟇股に注目して巡ってみるのも面白いかもしれない。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/7


賀茂神社 Kamo-jinja Kamo Shrine in Sendai

Jp En

 仙台市泉区にある賀茂神社(かもじんじゃ)は、京都の本社と同じく下賀茂神社と上加茂神社の二社から形成されている。大鳥居から中の鳥居、玉垣内の二社の社殿すべてが朱塗りで、赤神様として親しまれている。
 社殿は七北田川が北に流れる台地に位置する。元禄八(1695)年、伊達藩四代藩主・伊達綱村が塩竃神社造営のとき、境内社だった糺の宮(ただすのみや)を現在地に移し、併せて上賀茂神社も建てられた。
 玉垣内には向かって右(東の宮)に下賀茂神社が、左(西の宮)には上賀茂神社が並び、南に面して建っている。神社に伝わる棟札によると、正式名は右が御祖神社(みおやじんじゃ)、左が別雷神社(わけいかづちじんじゃ)となる。また社殿の向拝(こうはい)にある蟇股(かえるまた)の彫刻は、下賀茂神社が雌鳥、上賀茂神社が雄鶏となっている。
 賀茂神社では初詣や、正月飾りを持ち寄り境内で焼き無病息災を祈る「どんと祭」の際、大きな賑わいをみせる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/20


真光寺 三重塔 Shinkou-ji Sanjuu-no-tou 

Jp

 岡山県備前市にある高野山真言宗の寺院「真光寺(しんこうじ)」。真光寺は奈良時代の僧・行基(ぎょうき)によって建立されたといわれる。
 境内にある三重塔はその様式や絵様から、室町時代前半の建立とされている。また棟札によると邑久郡牛窓町の廃寺、蓮華頂寺(れんげちょうじ)にあったものを慶長一八(1613)年、当時の住職・勢恵聖人(せいえしょうにん)によって現在の場所に移されたという。
 国の重要文化財に指定された真光寺三重塔の高さは約一八・二四m。屋根は重々しい趣の本瓦葺きである。その四隅には立体的な鬼面の鬼瓦が飾られている。間斗束(けんとづか)に設けられた、蟇(かえる)が足を広げている様から名づけられた「蟇股(かえるまた)」には金剛界四仏を表す梵字が刻まれている。
 全体的な美しさを眺めるのも良いが、細部を見て回るのも一興である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/7


弘前東照宮 Hirosaki-toushouguu 

Jp

 弘前東照宮(ひろさきとうしょうぐう)は、江戸時代初期に全国に作られた徳川家康を祀る東照宮の一つで、津軽藩二代藩主・津軽信枚(つがるのぶひら)が元和三(1617)年に日光東照宮に祀られている徳川家康を分霊。弘前城本丸に勧請し、寛永元(1624)年現在地に移した。
 他の地域にある東照宮と比べ早い時期に勧請できたのは、信枚の正室が家康の養女であり、親藩に準ずる家柄と認められたためであった。
 本殿は白木造りで、屋根の装飾である鬼板(おにいた)や屋根の両端部分を装飾する妻飾(つまかざり)、梁の上に置いた受け木である蟇股(かえるまた)には徳川家の家紋である葵紋が彫られている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/4/23


宗光寺山門 Soukoujisanmon 

Jp

 広島県三原市に、宗光寺という曹洞宗の寺がある。宗光寺は、もとは匡真寺(きょうしんじ)と言い、毛利元就が新高山城内に建立したもの。後に毛利元就の三男である小早川隆景が三原城へ移った際に、居城であった新高山城(現豊田郡本郷町)内の門を三原へ移し、「宗光寺」と称するようになったという。
 長い坂道になった参道を登ると、見上げるように威風堂々とした山門がある。脚門としては最大級の規模を持つ。蟇股(かえるまた)などの細部が、桃山時代を偲ばせる豪快で貴重な遺構となっている。昭和二八(1953)年には国の重要文化財に指定された。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




今高野山 Imakouyasan 

Jp

 広島県にある「今高野山(いまこうやさん)」は、 平安時代の弘仁十三(822)年、弘法大師・空海の開基と伝えられています。龍華寺をはじめとして大乗院、安楽院、一乗院址のほか、丹生神社、舞殿、庭池などがあり、ここ甲山の地の象徴となっている。
 今高野山の名は、和歌山にある高野山の守護神である丹生、高野両明神を勧請したところから、「新しい高野山」という意味で付けられたとか。
 総門は蟇股(かえるまた・梁や桁の上に置かれる、輪郭が山形をした部材)、頭貫(かしらぬき)に施された紋様の「絵様肘木(えようひじき)」「懸魚(けぎょ)」が見事で、県の重要文化財にも指定されている。
 今高野山は貴重な樹木が多く見られることでも有名。龍華寺のカラマツは県天然記念物だ。そのほか、杉の巨木群やシラカシ、イロハモミジなどが植生し、今高野山全域が緑地環境保全地域に指定されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/4/16


広島 西郷寺 Hiroshima Saigou-ji Saigoji Temple

Jp En

 室町時代の文和二(1353)年に遊行六代一鎮上人が建てた時宗の古刹。広島県尾道市に所在する。
 階段を登ると山門がある。板蟇股(かえるまた)や破風などに室町時代の様式が見られる、重厚な意匠だ。
 足利尊氏が文和二(1353)年に建立したとされる、古風で威風堂々とした本堂は国の重要文化財。舟肘木と寄棟造の端正な姿が美しい。内部は方三間の内陣の周囲を外陣がめぐる形式で、浄土教の特徴をよく表しており、時宗本堂最古の遺構として貴重である。この本堂は、堂内にある「鳴き龍天井」でも有名。手を叩くと天井に龍の鳴き声のような音が響くことからこう名づけられた。
 本尊の阿弥陀如来立像は足利尊氏の守本尊として持ち運びやすくするために、五体分離できる仏像となっている珍しいものである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数12件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter