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2007/12/26


旧上関番所 Kyuu-kaminoseki-bansho Kaminoseki Guard Station

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 山口県上関町長島に所在する「旧上関番所(きゅうかみのせきばんしょ)」は、江戸時代に藩の出先機関として、港の警備や見張り、積荷の検査などを行う役人の詰め所として利用されていた。
 藩政時代初期の数少ない行政機関の遺構として大変貴重で、かつては港の中にあったものを平成八(1996)年に現在の場所に移築、復元し当初の姿に蘇らせた。
 瀬戸内海西部には船の荷を検査する番所がいくつか設置されていて、現在の山口県においても、都に近い方から「上関」「中関」「下関」と番所が設置されていた。
 上関番所は桁行11・66m、梁間3・86mの本瓦葺きの木造入母屋造りで、四面に下屋を持つ建物である。県指定の有形文化財になっている。
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2007/11/9


佐原 伊能忠敬旧宅 Sawara InouTadataka-kyuutaku 

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 佐原の伊能忠敬旧宅(さわらのいのうただたかきゅうたく)は、千葉県香取市佐原にある建築物である。屋敷内の土蔵も含めて、国の史跡に指定されている。
 伊能忠敬は、隠居後五〇才を過ぎてから江戸に出て幕府天文方高橋至時の門に入り、西洋天文学・西洋数学・天文観測学・暦学等を学び、幕府の命令で五五~七一歳まで、一七年間全国各地を測量し、大日本沿海輿地全図を完成させた。
 旧宅は、伊能忠敬が三〇年余り過ごした言われる家で、商家造りの瓦葺き平屋建て、表の店舗と奥の母屋からなり、店舗は醸造業の倉庫を改造したもので、土間・帳場・居室・台所等が存在する。
 母屋は、寛政五(1793)年、忠敬が四八才の時に自身の設計により作ったものとされる。
 伊能忠敬旧宅は、五〇を過ぎてから新しい道を切り開いた努力家・忠敬の苦労と人柄が偲ばれる建築物である。
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津和野 森鴎外旧宅 Tuwano Moriougai-kyuutaku 

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 津和野の森鴎外旧宅(もりおうがいきゅうたく)は、島根県鹿足郡津和野町町田にある建築物である。国の史跡に指定されている。
 文久二(1862)年、森鴎外こと森林太郎はこの家で生まれ、明治五(1872)年に一〇歳で上京するまでここで過ごした。
 森鴎外は、明治から大正時代に活躍した文学者で、軍医総監陸軍省医務局長、帝室博物館総長兼図書頭などを務めながら、小説「舞姫」や「雁」といった作品を発表した。
 旧宅は、木造平屋建て、瓦葺きの簡素な造りで、四畳半の鴎外の勉強部屋や、藩医の家らしく調剤室も残っている。
 また、隣接して森鴎外記念館が開館しており、鴎外の生涯と功績を顕彰している。
 森鴎外旧宅は、文豪の少年時代を暮らしぶりが伺える史跡である。
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2007/10/18


旧本田家住宅 Kyuu-honda-ke-jyutaku 

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 「旧本田家住宅」は、長崎県下でも最古の農家住宅のひとつで、旧大村藩領古河村(現長崎市古河町)に遺存。建築年代は定かではないが、本田家は明和年間(1764〜1771年)にこの地に定住しているので、この住宅もその頃に建てられたと推定されている。
 本屋根は茅葺き。下屋は瓦葺きが普通だが、これは下屋も茅葺きである。4室あるうち、土間寄りの2室の間に仕切りを除いて1室とした、いわゆる三間取りの平面を持つ。土間の流しは「はしり」と呼ばれる、しゃがんだ姿勢で炊事を行う独特の形式である。
 旧本田家住宅は、昭和四六(1971)年に国の重要文化財に指定された。
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2007/10/12


善福院 Zenpuku-in Zenpukuin Temple

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 和歌山県海南市に所在する古刹。鎌倉時代の建保二(1214)年に栄西禅師により開創されたと言われる広福寺五ヶ院のひとつである。
 広福寺は古くは七堂伽藍を備えていたが、大旦那の加茂氏の没落に伴い荒廃。以後、真言宗に転宗し、伽藍を修復し、さらに江戸時代に入り紀州藩となってからは天台宗に改宗。明治時代までは広福寺は三ヶ院あったが現在は禅福院のみとなっている。
 乱石積基壇の上に立つ二重屋根、寄棟造りの釈迦堂は国宝に指定されている。本瓦葺寄棟造、平行垂木などは鎌倉時代後期の禅宗様式の典型的な建築として、鎌倉円覚寺舎利殿、山口巧山寺仏殿などとともに有名である。
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2007/8/22


遍照院 三重塔 Henjou-in Sanjuu-no-tou 

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 倉敷市西部の田園地帯に遍照院(へんじょういん)はある。真言宗の寺で寺伝によると、平安時代の寛和元(985)年、開山智空上人(ちくうしょうにん)によって創建されたと伝えられている。
 境内の三重塔は昭和の解体修理の際に発見された、応永二三(1416)年の再建墨書により室町時代前期の再建であったことが判明した。
 塔の高さは約二二・五mあり、屋根は重厚な趣の本瓦葺き。木の先端部、木鼻には室町風のシンプルな彫刻が施されている。垂木を二重にして間隔を密にした二軒繁垂木(ふたのきしげたるき)や庇の四隅に吊るされた風鐸(ふうたく)と呼ばれる鐘、屋根の勾配や反り具合など、随所に品格が感じられる美しい塔である。
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2007/8/20


真光寺 三重塔 Shinkou-ji Sanjuu-no-tou 

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 岡山県備前市にある高野山真言宗の寺院「真光寺(しんこうじ)」。真光寺は奈良時代の僧・行基(ぎょうき)によって建立されたといわれる。
 境内にある三重塔はその様式や絵様から、室町時代前半の建立とされている。また棟札によると邑久郡牛窓町の廃寺、蓮華頂寺(れんげちょうじ)にあったものを慶長一八(1613)年、当時の住職・勢恵聖人(せいえしょうにん)によって現在の場所に移されたという。
 国の重要文化財に指定された真光寺三重塔の高さは約一八・二四m。屋根は重々しい趣の本瓦葺きである。その四隅には立体的な鬼面の鬼瓦が飾られている。間斗束(けんとづか)に設けられた、蟇(かえる)が足を広げている様から名づけられた「蟇股(かえるまた)」には金剛界四仏を表す梵字が刻まれている。
 全体的な美しさを眺めるのも良いが、細部を見て回るのも一興である。
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2007/8/13


俵津文楽 Tawarazu-bunraku 

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 俵津文楽(たわらづぶんらく)は愛媛県指定無形民俗文化財に指定されている人形浄瑠璃である。嘉永五(1852)年伊井庄吾が大阪から人形数個を購入し、人形芝居を始めたのが発端とされている。
 約8キロの重さの人形を、頭と右手、左手、両足を3人がそれぞれ息を合わせて操る。
 三味線に合わせて太夫が老若男女様々な登場人物を演じ、さらにそれに合わせて人形遣いが人形を操り、生きた演技で感情を表現する。
 この文楽が公演されているのが、御殿風瓦葺き屋根の俵津文楽会館である。
 この会館には県指定有形民俗文化財「俵津文楽人形頭、衣裳道具一式」をはじめ、文楽に関する資料120点余りが、保存状態も良く、展示されている。普段触れることの少ない文楽の世界を味わうことができる。
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