NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/25


注連飾り(東北地方) Shimekazari(Touhoku-Chihou ) Shimekazari (Tohoku region)

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 注連飾り(しめかざり)とは、神社などに用いられている神域と外界とを隔てるための注連縄(しめなわ)がもとになっているといわれている。
 新年を迎えるにあたり玄関先などに吊るされ、外部から災いや厄が家の中に入るのを防ぐ魔除け・結界として、また新年に向け不老長寿や五穀豊穣などの様々な願いを込めて飾られてきた。
 東北地方の注連飾りには、紙垂(しで)や、橙(だいだい)などと一緒に、餅・昆布・松葉・魚などの食べ物を飾る風習が多く残されているという。
 昆布には「よろこんぶ」などのめでたい意味、魚は一家の無病息災を祈るほか、家格や大漁を誇示する意味などが込めれていることもあったという。
 このように食べ物を飾りつけることで、旧年中の豊作への感謝と、また新年も実り多き年であるよう、五穀豊穣を願う気持ちが込められているのかもしれない。
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2008/1/8


山王 日枝神社 Sanno-Hiejinja Sanno Hie Shrine

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 東京都永田町にある日枝神社は、文明一〇年(1478)、太田道灌公が江戸城を築城するにあたり、鎮護の神として日吉社を勧請したのに始まるとされている。
  その後、徳川家康公が江戸に移封され、江戸城を居城とするに至って『城内鎮守の社』として、また市民からは『江戸の産神』として崇敬されることとなる。
 当初は江戸城敷地内にあり、一般参拝は出来なかったが、 二代将軍秀忠公の江戸城改築にあたり、江戸城外に遷座され、庶民の参拝が可能となった。
 毎年六月に行われる山王祭は、三代将軍家光公以来、歴代の将軍が上覧拝礼する『天下祭り』として、神田明神の神田祭、富岡八幡宮深川八幡祭りとともに江戸三大祭の筆頭として長く親しまれている。
 威勢の良い下町の江戸っ子の中には、『山王祭はお上品過ぎるねぇ』といわれる方もいるが、もし時間があるのなら、江戸の祭りをはしごしてみるのも一興かもしれない。
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函館 湯倉神社 Hakodate Yukura-Jinja Yukura Shrine

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 函館の湯倉神社(ゆくらじんじゃ)は、北海道函館市湯川町にある神社である。祭神は大己貴神、少彦名神。
 元和三(1617)年、創祀されたと伝えられる。
 承応二(1653)年、松前藩主・松前氏広の嗣子で、後に第9代藩主となる高広が幼時の時、重い病を患ったという。
 母・清涼院は霊夢に信託を得て、境内地に湧出する温泉に入浴させてみた所、高広は全癒した。
 翌年、松前氏は報賽として社殿を造営し、黄金の薬師像・唐金造りの鰐口(わにぐち)などを神社に奉納したとされる。
 湯の川温泉発祥の地とされる神社であり、社殿東側の脇にある「湯川温泉発祥の地碑」には、温泉の歴史が書かれている。
境内は見事なイチョウの大木や多くの緑に守られており、静謐で神聖な雰囲気が漂う。
 湯倉神社は、温泉街の守神とも言える地域に根ざした社である。
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2007/7/30


青森 最勝院 Aomori Saishou-in 

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 最勝院(さいしょういん)は、正式には、金剛山光明寺最勝院(こんごうさんこうみょうじさいしょういん)と呼び、仏教教典「金光明最勝王経」に由来した名前で、五穀豊穣、国家安泰等の願いが込められている。
 本州最北の国指定重要文化財・五重塔があり、現在、金剛山最勝院の所属であるが、昔は連光山大圓寺の所属であった。
 津軽為信が津軽統一の際に戦死した将士らを、敵味方区別なく供養するために、大圓寺第六世の京海が建築した。
 当時の大圓寺の本堂が、現在、護摩堂と名前を変え、明和九(1772)年に奉納された本尊、牛頭天王(ごずてんのう)尊がそのまま残っている。
 塔自体が、高台にあり、総高は31・2メートルあるため、非常に安定感に富んだ美しい形を楽しむことができる。
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紙風船上げ Kami-fuusen-age 

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 紙風船とは言っても、これは子供が手の平に乗せて遊ぶ風船ではない。直径が1m以上、長さが8m以上にもなるという巨大な紙風船である。
 願い事や錦絵の書かれたその風船に、タンポと呼ばれる石油を染み込ませた布玉を固定して火をつけ、熱気球にしてしまったものが、西木町の「紙風船上げ(かみふうせんあげ)」である。
 毎年旧暦一月一五日、新暦の二月一〇日の夜に行われる年中行事で、武者絵や美人画が描かれ灯火をつけた巨大な紙風船が、ふわりふわりと冬の夜空へあがってゆく様は、美しくもどこかほっとさせられる光景である。
 起源や由来を記された歴史的資料はないが、江戸時代に鉱山技術の指導に来た平賀源内が教えたという話が伝えられている。以前は「五穀豊穣」や「無病息災」を祈願したが、現在では「家内安全」や「商売繁盛」などが祈願される、願いが込められた紙風船である。
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椙本神社 春の大祭 Sugimoto-jinja Haru-no-taisai 

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 いの町の椙本神社(すぎもとじんじゃ)は、1200年という長い歴史があると伝えられている。地元では「伊野の大黒様」と呼ばれ親しまれており、商売繁盛・家内安全・縁結びに御利益があるとされている。
 土佐古来三大祭りの一つとなっている春の大祭では、名野川神楽、獅子舞等の奉納が行われるが、大黒様の舞の後、大黒様といっしょに「わっはっはっ」と大声で笑うと福を得ることが出来ると言われており、境内は福々しい笑い声に包まれる。神楽の後「幸福への御縁」のお札をいただくことができるが、参拝客が殺到するという。
 また、神社内で手作りされている、笹に井草を細かく編んだ小さな俵や小判形の短冊などを結び付けた「古式福俵」も、「大黒様の福を家に持ち帰る」という意味が込められ、大変人気がある。
 椙本神社の春の大祭は毎年旧暦の1月22日に行なわれているが、現在の暦にすると1月から3月の間で毎年変わることになる。
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2007/7/26


はねこ踊り Haneko-odori 

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 宮城県石巻市桃生町で、四年に一度開催される寺崎八幡神社例大祭。その祭で、豊作の感謝を込めて奉納されるのが、はねこ踊りだ。
 この地域では、宝暦、天明、天保の時代に飢饉に見舞われ、村人達はそれでも豊作を願って神社に踊りを奉納していた。
 そんな中、ようやく大豊作の年を迎えることができ、百姓たちは今までの踊りにさらに飛び上がらんばかりの喜びを加え、踊りまわったのが始まりとされている。
 はねことはこの地方の方言で「跳ねる人」という意味を持ち、踊りの中にも豊作の喜びを表現した跳ねる様子を見ることが出来る。
 また、踊りの身振りの中には田植えや刈り取りを伺わせるような動作も盛り込まれており、飢饉に苛まれていた村人達の切なる願いが垣間見られるようである。
 そして、そんな状況を乗り越え、ようやく大豊作を迎えられた喜びを表す跳ねる動作。
 両手に扇を手にして練り歩くこの踊りには、当時の農民達の希望と喜びが凝縮されている。
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2007/7/25


おけら詣り Okera-mairi Okera-Mairi (New Year Visit to Okera)

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 おけら詣りは、京都府京都市の八坂神社で毎年大晦日から正月の朝にかけて行われている新年を祝う行事だ。
 八坂神社で正月に焚かれる神火を持ち帰り、その火で雑煮を作ると、その年一年間の無病息災が叶うという故事に習ったもの。
 「おけら」とはキク科の多年草で、その根は古来から漢方の胃腸薬や、火の中にくべて魔除けなどに用いられてきた。そういったことが転じて、このおけら詣りが始まった。
 大晦日、本殿で除夜式が行われた後、神職の手により神火が五基のおけら灯ろうに灯される。灯ろうには願い事が書かれた「おけら木」もくべられており、様々な願いをまとった神火を、竹の皮をよって作られた縄の先に移し、その種火を持ち帰るのだ。
 参拝者達が種火が消えないように縄をくるくると回しながら家路につくその光景もまた、この詣りの名物といえるだろう。
 そこには、火というものに対する日本人の古来からの信仰観念が色濃く息付いている。
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