NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/9


井川メンパ Igawa-menpa Ikawa Menpa

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 井川メンパ(いがわめんぱ)は、静岡県静岡市井川に伝わる伝統工芸品である。
 メンパというのは、山仕事に愛用された弁当箱の事で、今でも山の必需品として多くのファンに支持されている。
 井川メンパの特徴は、天然漆の美しい光沢と、詰めた食べ物が冬暖かく夏は腐らない事で、メンパに詰められたご飯を食べれば、現代的な弁当箱にはない、ほのぼのとしたおいしさを味わう事が出来る。
 起源は定かではないが、鎌倉時代から作られていたと言われている。室町期に井川は金山で栄え、そのために水替えの杓や曲桶の需要があったため、曲物の技術が修練された。のちに農家の副業として販売されるようになったとされている。
 井川メンパは、全て国内産天然ひのき材、本漆仕上げで作られた、伝統の弁当箱である。
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2007/4/27


まんじゅう笠 Manjyu-gasa 

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 もともとは、日本全国で江戸時代以前から竹と筍の皮だけで作られていたが、その後一部に布地を使うようになり、高知県では明治・大正期にかけて最も多く生産された。
 県内では、芸西村(げいせいむら)の海岸地域の人々が副業として従事し、最盛期には約120軒で作られていた。
 江戸時代、坂本龍馬が脱藩する際に着用、顔を隠したことから「脱藩笠(だっぱんがさ)」とも呼ばれている。
 丸みを帯びた形状が美しく、日陰も大きい。風通りが大変良く涼しいという万能ぶりで、県内はもとより県外各地で販売された。
 昭和期に入り、需要は減少、現在では装飾用の民芸品として、1名の工芸士が生産しているだけとなっている。
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2007/2/7


江戸筆 Edo-fude 

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 江戸筆は、東京にて造られる伝統工芸品である。
 610年頃、高句麗の僧・曇徴(どんちょう)が紙、墨の製法を招来し、これが筆墨硯渡来の始まりとされる。
 以後、筆は京都を中心に広まったが、江戸時代(1600年代)に入って商人と寺子屋が急増し、江戸の筆需要は急増した。
 江戸筆職人は、供給元としてその技術を磨き、その後の大火や幾たびもの戦災で規模を縮小しつつも、伝統の技を守り続けてきた。
 江戸流の製造法「練りまぜ法」は、元禄期に細井広沢により確立された手法で、明治5年の学制発布と共に急速に広まった。
 関東大震災、第二次世界大戦の惨禍により、筆職人の多くは東京を離れたが、東京に残った筆職人は高級筆の製造に活路を見出し、技術技法の継承を図っている。
 江戸筆は、日本の書物や浮世絵を影で支えてきた、欠く事の出来ない実用工芸品である。
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2007/1/28


別府竹細工 Beppu-takezaiku Beppu Bamboo Basketry

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 別府竹細工は、大分県別府市にて作られる伝統工芸品である。
 歴史は古く、室町時代には記録にあらわれ、江戸時代には湯治客の増加による需要拡大で地場産業として盛んになった。
 温泉観光が発展した明治時代には、別府は「九州の浅草」として多くの湯治客が訪れる名所になり、竹細工は湯治客の滞在中の生活用具、土産として歓迎された。
 やがて、それまで農家の副業として作られていた竹細工の世界に専業者が現われるようになり、別府は竹細工の産地へと発展していったのである。
 使用される主な材料は、大分県産のマダケである。その他ハチク、クロチク、ゴマダケ、メダケ等の竹を用い、8種類の基礎技法を基本に製品を作っている。
 別府竹細工は、昔から変わることのない、竹本来の美しさを生かした伝統工芸品である。
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2007/1/25


大塔坪杓子・栗木細工 Ootoutsubo-shakushi・Kuriki-zaiku Chestnut Woodwork, Ototsubo Cooking Spoon

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 大塔村(現奈良県五條市大塔町)は、かつて大和地方特産の茶粥をすくう杓子を作る、木地師の村だった。吉野地方は広大な原生林に覆われ、原料となる栗の木に恵まれていたためである。
 大塔坪杓子は、栗の木を輪切り、コマ割りし、杓子形に荒仕上げした壷の部分の内側を彫り、柄の部分を削って作る。耐久性に富み、使い込むほどに木地色が飴色に輝き、味わいを増す。
原材料の栗の木は水に強く、耐久性に強いため、長く全国で愛されてきたが、戦後は金属製やプラスチック製の杓子の出現で木製杓子の需要はほとんどなくなり、今では作る職人も新子薫氏ただひとりになってしまった。しかし、女性誌で紹介されるなど、手作りの良さがわかる一部のファンの注目を集め、現在でも絶えることなくその技を守り抜いている。
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