NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/2/1


法起寺(世界遺産) Houki-ji Hokiji Temple

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 法起寺(ほうきじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の寺院。
 斑鳩の里には、世界遺産・法隆寺をはじめ法輪寺、中宮寺など、聖徳太子ゆかりの古代寺院が存在し、この地が早くから仏教文化の栄えた地であったことがわかる。この地は聖徳太子が法華経を講じた「岡本宮」の跡地と言われ、舒明(じょめい)天皇十(638)年、太子の遺言により、子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)が岡本宮を寺に改めたのが法起寺の始まりとされている。
 伽藍は、金堂と塔の位置が法隆寺と逆になった方式で、「法起寺式伽藍配置」と呼ばれる。なお、創建当時の建築で現存するものは三重塔のみ。現存する三重の塔の中ではわが国最古のものである。
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2007/1/25


西大寺観音院 Saidai-ji-kannon-in Saidaiji Temple and Kannon'in Temple

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 岡山県の東部を流れる吉井川に架かる永安橋の北に、西大寺観音院がある。千手観音をご本尊とする高野山真言宗別格本山として栄えてきた。
 起こりは今から約1200余年前。宝亀年間(770〜781年)、安隆上人が犀戴寺(さいたいじ)として建立し、承久三(1221)年に西大寺と改められたという。
 社伝の正安元年の焼失時の記載によると、本堂・常行堂・三重堂・鐘楼・経蔵・左右の回廊などが存在していたことが記されており、14世紀初頭にはすでに一定の伽藍を備えた大寺院であることがうかがえる。
 西大寺ではほかに、例年2月の第3土曜日の深夜に行われる「はだか祭り」が有名。吉井川で水垢離(みずごり)をとった裸の男たちが、神木(しんぎ)と称する棒を取り合う行事で、「日本三大奇祭」のひとつに数えられている。
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2007/1/8


雲辺寺 Unpenji Unpenji Temple

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 雲辺寺は、徳島県三好市池田町にある真言宗御室派の寺である。四国霊場66番札所で、ご本尊は千手観世音菩薩。
 雲辺寺山(標高927m)にあり、四国高野とも呼ばれている。境内は約40haの広さで、杉、ひのき、モミ、トガなどの古木に囲まれている。
 弘法大師が16歳の時、深遠な霊山の趣に心うたれて堂宇を建立したのがはじまりで、大同2(807)年、嵯峨天皇の勅を奉じて再び登山し、ご本尊を彫刻して仏舎利と毘盧遮那法印(仏法石)を山中に納め、霊場に定めた。
 その後、学問道場として盛んになったり、七堂伽藍が整備されたり、峰須賀家の祈願所にもなったが衰微し、現在は往時の面影はみられない。寺域はまさに雲上の世界。周囲の山々に霧がかかり、雰囲気も神々しい霊場である。
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薬王寺 Yakuouji Yakuoji Temple

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 医王山薬王寺は、徳島県海部郡日和佐町にある真言宗高野派の寺である。本尊は厄除薬師如来。
 薬王寺は、神亀3(726)年、行基菩薩が聖武天皇の勅願を受けてこの地に巡錫し、寺を建立した。弘仁6(815)年、平城上皇の勅命によって弘法大師が本尊薬師如来を刻み、開基する。四国霊場23番礼所であり、厄除根本御祈願所として知られている。
 寺号を無量寺院医王山としているのは、無限の生命を伝え、医の王であるという意味。また、寺名を薬王寺というのは、薬の王を表している。
 高野山真言宗の別格本山とされ、嵯峨天皇・淳和天皇は厄除の祈誓を願い、土御門上皇は嘉禄2年皇居として行在し、また後嵯峨天皇は寛元元年伽藍の再建をして仁助親王が落慶の法筵に入ったと伝えられている。
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