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北海道道南の日本海に面する上ノ国町には、「館(たて)」と呼ばれる中世の山城の跡が残る。
上ノ町に所在する「花沢館」「州崎館」「勝山館」の三館が、北海道遺産に指定された「上ノ国の中世の館」である。このうち最も規模の大きい勝山館跡は、昭和五四年から発掘調査が行われており、謎の多い北海道中世史の空白を埋める貴重な遺構だ。
勝山館は、松山藩の祖・武田信広が長禄三年(1457)年、アイヌ民族との戦いに勝利した後、居城として築城。発掘調査では、空壕、屋敷跡、食器などともに200人以上の和人とアイヌ民族が一緒に暮らしていた記録も出土され、和人とアイヌ民族の共生の証として注目を集めている。また、出土した陶磁器の45%が中国製だったことから、中国との交易を盛んに行っていたことが窺える。
上ノ国の中世の館は、歴史のミッシングリンクを埋めるロマン溢れる遺跡である。
上ノ町に所在する「花沢館」「州崎館」「勝山館」の三館が、北海道遺産に指定された「上ノ国の中世の館」である。このうち最も規模の大きい勝山館跡は、昭和五四年から発掘調査が行われており、謎の多い北海道中世史の空白を埋める貴重な遺構だ。
勝山館は、松山藩の祖・武田信広が長禄三年(1457)年、アイヌ民族との戦いに勝利した後、居城として築城。発掘調査では、空壕、屋敷跡、食器などともに200人以上の和人とアイヌ民族が一緒に暮らしていた記録も出土され、和人とアイヌ民族の共生の証として注目を集めている。また、出土した陶磁器の45%が中国製だったことから、中国との交易を盛んに行っていたことが窺える。
上ノ国の中世の館は、歴史のミッシングリンクを埋めるロマン溢れる遺跡である。
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