藤橋城 Fujihashi-jo
|
もとは、南北朝時代に南朝側の新田義貞が、北朝側の土岐氏に対抗する為に築城したといわれる「杉原砦」があった場所にある。
もともとこの付近には多数の山城があり、美濃から越前、近江に抜ける戦略上重要な地であったので、南朝側勢力の砦があったようであるが廃城時期は不明である。
「杉原砦」は歴史の陰に隠れてしまっていたが、1989年に旧藤橋村がこの地に直径9・2mのドームスクリーンを備えた西美濃プラネタリウムを建設して、1階は外見を天守閣風にし「藤橋城」と名付けた。こうして今は藤橋城として知られるようになっている。
もともとこの付近には多数の山城があり、美濃から越前、近江に抜ける戦略上重要な地であったので、南朝側勢力の砦があったようであるが廃城時期は不明である。
「杉原砦」は歴史の陰に隠れてしまっていたが、1989年に旧藤橋村がこの地に直径9・2mのドームスクリーンを備えた西美濃プラネタリウムを建設して、1階は外見を天守閣風にし「藤橋城」と名付けた。こうして今は藤橋城として知られるようになっている。
- 住所
- 501-0802 岐阜県揖斐郡揖斐川町鶴見332-1
- 名前
- 藤橋城