NIPPON Kichi - 日本吉

2006/12/20

小樽運河 Otaru-unga Otaru Canal

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 小樽は文化年間(1804年〜1818年)からニシン漁で栄え、明治に入って北海道の要港となった。
 明治29年、増加する船や貨物をさばくため、運河造成の計画がスタート。紆余曲折の末、小樽運河はようやく大正12年9月に誕生。当時、ハシケは400を数え、活気のある掛け声が、運河のあちこちに響き渡った。
 昭和に入り、隣接した札幌が著しく成長。それに伴い小樽は衰えていく。昭和30年代にはハシケも100程度となり、昭和41年、小樽臨港線道路が新設され、運河の埋め立て計画が論じられた。
 埋め立てるか保存か、16年にわたる議論の末、南側の半分を埋め立て散策路として生まれ変わった。
 それを機に、石造りの倉庫なども博物館やお店に生まれ変わり、ガス灯照らす運河はロマン溢れる小樽の貴重な観光資源として、街の影を水面に映している。

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小樽運河




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