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2008/9/26


真壁石灯篭 Makabe-ishidourou 

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 真壁石灯籠(まかべいしどうろう)は、茨城県真壁地方の筑波、加波、足尾の三山から取れる良質の花崗岩である「真壁石」を用いて製作された灯篭である。
 同地方では古来より花崗岩の持つ硬く、丈夫で美しい特性を利用して生活用具を加工していた。室町時代には仏石作りで名を馳せ、江戸時代に入ると庶民文化の興隆によってその利用範囲も大きく広がっていき、今に続くこととなる。
 真壁石灯籠としては、真壁町内の寺院に文政七(1824)年の銘がある灯篭があり、これが最古のものだといわれている。その造りは精巧かつ優美なもので、柔らかさを持つ彫刻を特徴としている。
 醸し出す重量感は庭に落ち着きを与え、更に年月を重ねるごとに表面は苔むし、よりいっそうの趣と優雅さを纏う。そうした美しさは通人たちに愛され、真壁石の伝統を今に伝えると共に、後人たちによる新しい感覚を加えながら、歴史ある様式美は今も進化していっている。
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2008/9/12


雪村うちわ Sesson-uchiwa 

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 雪村(せっそん)うちわは、古来より茨城県常陸太田市で作られてきた、伝統的な工芸品である。室町時代の天正年間(1573~1592)、常陸太田の耕山寺の禅僧であった雪村がはじめたものと伝えられている。
 内輪の骨には地元産の真竹を使用し、幅2cmの竹を四十本に裂いて作る。表面の紙には西ノ内和紙が用いられている。
 また、雪村は画家としての才能もあった人物で、うちわの表面には馬や茄子、かかしや水戸八景などが水墨画で描かれていた。
 現在でもそうした図柄は雪村ゆかりのものとして表面に描かれており、出来上がるまでの三三の工程全てを手作りするなど、人の温かみ溢れるうちわによりいっそうの趣を加えている。
 水戸徳川家二代藩主である水戸黄門こと徳川光圀も愛用し、製作を奨励したといわれるそのうちわは、今も人々の傍らで涼を提供し続けている。
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2008/8/21


古河提灯竿もみまつり Koga-Chouchinsaomomi-matsuri 

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 栃木県野木町・野木神社には建仁年間(1201~1204年)にはじまったといわれる「七郷めぐり(しちごうめぐり)」という神事が伝わる。その神事に付随した祭りに由来するのが、関東の奇祭として知られる「古河提灯竿もみまつり」である。
 「七郷めぐり」とは野木神社の末社を一行が順次訪ねる神事で、一行の御帰社(おかえり)を参拝客が提灯を手に出迎えるという。参拝客達が寒さをしのぐために始めたのが提灯竿もみまつりで、それを元に始まったのが「古河提灯竿もみまつり」で、「お帰り」とも呼ばれている。
 各団体が用意した二〇m近い長さの竹竿の先には、蝋燭の火を灯した提灯が吊るされている。約二〇人の若者たちが竹竿を支えながら互いにぶつけ合い、提灯を消し合う。簡単に消されないよう竿にも工夫が凝らされ、夜空に火花を散らしながら激しくぶつけ合うという、活気溢れる神事である。
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真壁 石燈籠 Makabe Ishidourou 

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 真壁の石燈籠(まかべのいしどうろう)は、茨城県桜川市真壁町に伝わる伝統工芸品である。
 元々この地方は、質の良い花崗岩(かこうがん)が採れることから、古くから石を生活用具として加工、利用してきた。
 室町時代末期に真壁町長岡地域一帯で始められた仏石作りが、現在の石燈籠造りの起源となったと言われている。
 江戸時代中期の宝永年間(1704~1710)前後から、常夜燈として石燈籠が地域の寺社に奉納された。
 高白度の色調を持つ真壁石燈籠は、堅牢さに加えて繊細優雅な彫刻に優れ、重量感に溢れている。
 苔がつく事により一段とその持ち味が生かされ、日本庭園等に一層の優雅さと趣を醸し出す。
 真壁の石燈籠は、優美な表情を見せる、伝統の石燈籠である。
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2008/8/19


祭頭祭 Saitou-sai 

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 茨城県鹿嶋市宮中の鹿島神宮は全国の鹿島神社の総本社である。創建は紀元前六六〇とされており、非常に長い歴史があり、神社で一年間に行われる行事も多い。その中でも三月の祭頭祭(さいとうさい)は規模の大きい、春を告げる祭典としても知られている。
 祭頭祭の歴史も古く、奈良時代に戦と命の運を祈りながら出発した防人達の鹿島からの出発「鹿島立ち」にちなんでいるという。五穀豊穣・天下泰平を祈る記念祭の一種ともいわれ、この祭りが終わると本格的な農作業が始まる。
 祭衣に色鮮やかな五色襷(ごしきたすき)という衣装を身につけた人々が囃子唄を歌いながら、六尺ほどの樫棒を組んでは解き、解いては組みながら神宮本殿までの道を練り歩く。途中踊りなども披露され、その行列は一〇〇〇人以上もの大行列になるという。
 祭頭祭は、国の選択無形民俗文化財にもなっている勇ましく華やかな祭りである。
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2008/8/8


水戸黄門まつり Mitokoumon-matsuri 

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 江戸時代の初め、水戸藩主であった徳川光圀は、水戸黄門という異称でも広く知られている。
 「水戸黄門まつり」は、昭和初期から行われていた商店会主催の夏と秋の祭りがもとになり、昭和三六(1961)年に水戸市の夏の祭りとして行われるようになった。
 同年の映画『水戸黄門、助さん、格さん 大暴れ』の撮影が水戸市であった時に、主演の月形龍之介が黄門の旅姿で市役所を訪れたことが祭りのきっかけになったという。
 水戸黄門まつりは毎年八月の第一土曜・日曜に開催され、初日には前夜祭として千波町千波湖畔で花火大会が開催される。創作花火などが夜空と湖面に映え見応えがある。そのほか、市民参加のパレードやコンテストが行われ、神輿や山車も繰り出し、町は大いに盛りがる。
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2008/7/28


小田部庄右衛門 (御鋳物師) Kotabe Shouemon (On-Imonoshi) Shouemon Kotabe (Metal Worker)

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 小田部庄右衛門。昭和46(1971)年、茨城県生れ。
 御鋳物師(おんいものし)として八〇〇年以上の伝統を守り続ける。小田部家三七代。
 父である先代の元、子供の頃より梵鐘作りを手伝う。国立高岡短期大学(現富山大学)金属工学科卒業後、盛岡の鉄瓶工房で修行。その後、小田部鋳造に戻り、25歳で御鋳物師を継ぐ。
 筑波山の麓にある工場では梵鐘、半鐘、天水鉢の鋳造を行っており、全国から注文の他に、外国からのベルの製作依頼もある。
 文字と模様を相談し、地元の砂と粘土で鋳型を作り1200度の銅と錫を流し込む。小田部鋳造では鐘に着色しないので、鋳型にとても手間をかける。一つの梵鐘を作るのには、4ヶ月~半年、さらには一年かかることもある。鋳型から取り出された鐘はオレンジがかった赤銅色をしており、しだいに赤、紫、青緑を帯びてゆく。時とともにその土地の空気が色を変化させるのだ。
 イメージの先にある梵鐘の響き。心を震わせる音を求めて小田部さんは試行錯誤を続けている。
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2008/7/25


茨城 八溝川 Ibaraki Yamizogawa 

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 茨城の八溝川(やみぞがわ)は、茨城県久慈郡大子町を流れる河川である。
 県内最高峰を誇る、標高1022mの八溝山の山腹から涌き出た水が集まった川で、全長124kmの久慈川の支流のひとつである。
 弘法大師が山頂に立ち、谷が八つに分かれ、山水が八方に流れ落ちるのを見て、八溝の嶺と名付けたのが名前の由来という。
 源流の沢には、清流でしか生きられないとされているサンショウウオが棲んでおり、下った八溝川には、天然のヤマメやイワナが生息している。
 久慈川と八溝川が合流する渓谷には、古くから安産の神・二十三夜尊(にじゅうさんやそん)の信仰の場として知られている、落差15m、幅10mの月待の滝が存在している。
 八溝川は、川幅が狭く流れも急な、釣り好きで賑わう清流である。
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