NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/8


長等山園城寺(三井寺) Nagara-san-onjou-ji(Mii-dera) 

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 天台寺門宗の総本山である三井寺(みいでら)は 正式名称を長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)という。また、湖国近江の名勝・近江八景の一つ「三井の晩鐘」としても知られる。
 朱鳥元(686)年、天武天皇(てんぶてんのう)により建立されたという。俗に「三井寺」と呼ばれるのは、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井(みい)の寺」の厳儀・三部潅頂(さんぶかんじょう)の法水に、用いられたことに由来していると伝えられる。
 現在も、金堂西わきに閼伽井屋(あかいや)があり、三井の霊泉として崇められており、それを取り囲むように蓬莱の石積みがある。また、閼伽井屋は慶長五(1600)年に、建立されたものとされ、重要文化財に指定されている。
 ここは、大友皇子(おおとものみこ)の家居の跡とされ、現存する日本庭園の最古の遺跡と伝えられている。
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2007/12/6


石堂寺 多宝塔 Ishidou-ji Tahou-tou The Tahoto Pagoda at Ishidoji Temple

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 安房最古の名刹と呼ばれる、行基菩薩により開創された天台宗・石堂寺(いしどうじ)には、今も多くの貴重な文化財が残されている。
 天文一四(1545)年、戦国大名・里見義堯(さとみよしたか)によって創建されたと伝えられる、高さ一三mの多宝塔もそのひとつである。
 石堂寺の多宝塔は県指定の有形文化財になっており、桧皮葺の屋根や精巧な彫刻がとても美しい塔である。
 多宝塔は二重の塔と呼ばれ、一階が方形、二階部分が円形となっているものをいう。一階内部には四本柱が立てられており、須弥壇上には木造の千手観音像が安置されているといる。
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2007/2/1


西円堂・追儺会 Saiendou・Tsuinae Saiendo Tsuinae Festival

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 法隆寺の西円堂本尊薬師如来坐像の前で毎年2月1日から3日間行う法要が「西円堂修二会」と呼ばれるもので、これの後2月3日に行われるのが「追儺式」である。別名「鬼追い」とも言われる。
 追儺(ついなえ)式は、西円堂の基壇の上で、鬼役と毘沙門役が登場し、松明を振りかざして歩く鬼の後を毘沙門天が矛(ほこ・両刃の剣に柄をつけた、刺突のための武器)を使って追い払う行事。法隆寺の「寺要日記」では、弘長元(1261)年に始められたとあり、鬼追いでは、県内で最も古いとされる。
 松明の火の粉がかかれば、その年は無病息災との信仰が残る。毎年近隣の人々が何百人も訪れる恒例行事である。
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2007/1/23


椋本の大椋 Mukumotono-Oomuku The Giant Aphananthe Tree of Mukumoto

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 椋本の大椋(おおむく)は、三重県安芸郡芸濃町にある、国指定天然記念物の木である。
 樹齢1500年以上、高さ18m余、周囲8mの椋の巨木である。兵庫県、三日月の椋に次いで全国で2番目の大きさを誇る。
 かつては北側に更に大きな幹が生育していたが、明治初期の暴風により折れてしまった。
 この倒壊により、幹の大きさは約半分になったとも伝えられる。その頃の幹周りは、なんと14mほどもあったらしい。
 嵯峨天皇(809〜822年)の頃、征夷大将軍坂上田村麻呂の家来、野添大膳父子が伊勢路を流浪し、この地に逃れた時、巨大な「椋」の木を見つけ、その下に草庵を作って住んだと伝えられる。
 悠久の時と樹の生命力が作り上げた主幹はただならぬ姿であり、強烈な印象と風格を感じさせる。
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