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2007/10/12


信松院 Shinshou-in Shinshoin Temple

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 信松院(しんしょういん)は、東京都八王子市台町にある曹洞宗の寺である。本尊は、釈迦牟尼仏。八王子七福神のひとつで、布袋尊を祀る。
 天正一八(1590)年、信松尼が心源院より現在地に建っていた草庵に移ったのが創建とされる。
 信松尼は、武田信玄の六女である松姫である。
 松姫は永禄四(1561)年に生まれ、七歳の時に織田信長の嫡子で当時一一歳の信忠と婚約したが、その後、武田、織田家が不和になり、約束は果たされなかった。
 松姫は織田軍の侵攻から八王子に逃れ、二二歳の時、心源院に随翁舜ト山和尚を訪れ出家した。
 境内には松姫尼公の墓があり、市の史跡となっている。また、木製の軍船があり、毎年七月にはほおずき市が開催される。
 信松院は、武田信玄の娘・松姫ゆかりの寺である。
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2007/8/2


登米神社 Toyoma-jinja Toyoma Shrine

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 登米神社(とよまじんじゃ)は、宮城県登米市登米町寺池道場にある神社である。祭神は、応神天皇、田心姫命。
 康平五(1064)年、源頼義が賊徒征伐の時に戦勝を祈願した辺室山の地に、頼義の嫡子義家が、山城国の岩清水八幡宮から勧請分遷した八幡崎が創祠とされる。後に葛西氏が、八幡宮を七郡の総鎮守・葛西家累代の守護神とした。
 天正一八(1590)年、葛西家散亡の後に仙台藩の伊達相模守宗直が八幡宮を八幡崎から寺池道場山麓に遷座した。後に六代伊達村永が社殿を現在の山上に移築し、歴代領主の守護神として尊敬した。
 弘化三(1846)年、登米神社として改称・改創される。
 境内には明和七(1770)年に建てられた松尾芭蕉の句碑があり、毎年9月の祭日には山車・御輿・武者行列などが町内を練り歩き、一大絵巻が繰り広げられる。
 登米神社は、今でも篤く尊崇されている古刹である。
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2007/2/1


彦根城 Hikone-jyo Hikone Castle

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 彦根城は、滋賀県彦根市金亀町にある井伊家の城である。別名・金亀城。国宝であり、国の特別史跡に指定されている。
 関ヶ原の合戦後、彦根藩初代藩主井伊直政の嫡子・直継と、二代藩主・直孝によって約20年の歳月をかけ、元和八(1622)年に完成した。
 白亜三層の天守は、今もなお気高い雄姿を誇り、姫路城、松本城、犬山城とならび国宝四城のひとつに数えられている。
 城内には国宝の天守のほか、天秤櫓や太鼓門櫓など重要文化財が数多く現存し、桜、新緑、紅葉、雪景色など四季折々の情緒を感じさせてくれる。
 また、月明かりに浮かぶ彦根城は美しく、琵琶湖八景の1つに数えられている。
 彦根城は、気高い雄姿を誇る、天下の名城である。
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2007/1/23


本覚寺 Hongakuji Hongakuji Temple

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 本覚寺は、富山県「丘の夢牧場」の麓にあり、富崎城主・神保氏の菩提寺と伝えられている。
 開基は平安時代の天台僧、明雲。鎌倉時代の康永二(1343)年に飛騨国(現岐阜県)に寺を建て、法覚寺と称したのがはじまり。室町時代の文明九(1477)年、兵火にかかったのをきっかけに7世住職無雲が越中に来訪、現婦中町袋に移住し、富崎城主神保氏の帰依を得て現在地に建立したと伝えられる。
 本覚寺には、織田信長に敗れて滅亡した神保家最後の嫡子、神保長職(じんぼうながもと)ゆかりの古文書が多く保存されている。
 また、この寺の梵鐘は、鐘の音が富山城のものより素晴しかったことから佐々成政の怒りに触れ、内側に砂を焼き付けさせられたと伝えられ、富山市の有形文化財に指定を受けている。
 堂内には国の重要美術品に認定されている銅像・揚柳観音像も安置されており、こちらも見ものだ。
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