NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/2/14


熱田神宮 Atsuta-jinguu Atsuta Shrine

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 愛知県名古屋市にある「熱田大神」(あつたのおおかみ)を祀る神社。
 三種の神器のひとつである、草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の鎮座を創始と伝えられている。日本武尊(やまとたけるのみこと)が没した後、その奥方が小社を建ててこの剣を祀ったとされる。
 創建時ははっきりとしないが、まもなく1900年を迎えるというのだから、その歴史はかなり古い。信仰の歴史は皇室を初め、庶民に至るまで多くの崇拝者からの奉納品(4000点余り)の数からも納得できるものである。
 樹齢1000年を超える楠や、織田信長が桶狭間の戦いの際に勝利を祈願し、勝利したのち奉納した信長塀、西行法師が腰をかけたという言い伝えのある二十五丁橋などが見所である。
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高鴨神社 Takakamo-jinjya Takakamo Shrine

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 高鴨神社は奈良県御所市、鴨神に位置する神社である。
弥生時代からの歴史を誇る日本最古の神社の一つ。全国の賀茂神社の元宮であり、京都の上賀茂神社、下鴨神社の本家にあたる。
祭神は阿治須岐高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)、古代の豪族、鴨氏の祖神とも言われる。
本殿は天文十二(1543)年建立の三間社流造り。国の重要文化財に指定されている。
神社としては珍しく境内に鐘楼が建つ。これは御所市の金剛寺より移築されたもので、田植えの際の水分けに使われ、現在でも使われている。
ニホンサクラソウの名所でもあり、四月末からの一般公開には多くの観光客が訪れる。
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2007/2/1


法起寺(世界遺産) Houki-ji Hokiji Temple

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 法起寺(ほうきじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の寺院。
 斑鳩の里には、世界遺産・法隆寺をはじめ法輪寺、中宮寺など、聖徳太子ゆかりの古代寺院が存在し、この地が早くから仏教文化の栄えた地であったことがわかる。この地は聖徳太子が法華経を講じた「岡本宮」の跡地と言われ、舒明(じょめい)天皇十(638)年、太子の遺言により、子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)が岡本宮を寺に改めたのが法起寺の始まりとされている。
 伽藍は、金堂と塔の位置が法隆寺と逆になった方式で、「法起寺式伽藍配置」と呼ばれる。なお、創建当時の建築で現存するものは三重塔のみ。現存する三重の塔の中ではわが国最古のものである。
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吉田寺 Kichiden-ji Kichidenji Temple

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 吉田寺(きちでんじ)は、奈良県斑鳩町小吉田集落の北に位置し、俗に「ぽっくり寺」の異名を持つ。
 創始は、天智天皇の勅願で、天皇の妹・間人皇女(はしのひとのひめみこ)の御墓を建てたが、永延元(987)年に恵心僧都源信がこれと別に堂を建立し、寺を創建したとされる。
 「ぽっくり寺」の名前の由来は、恵心僧都が、母の臨終の際に除魔の祈願をしたところ、苦しむことなく往生したところから付けられたとされる。
 見どころは本尊の阿弥陀坐像。約4.85メートルもあり、木造では県下最大、国の重要文化財にも指定されている。この像の前で祈祷すれば、天寿をまっとうできるとの信仰が古くから残る。また、奈良県下でも保存数が少ない多宝塔は、寛正四(1463)年建築の重要文化財である。
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2007/1/26


古代の丘 Kodai-no-oka Kodai-no-Oka and Jomon Village

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 山形県長井市にある発掘された遺跡の博物館。西山山麓、縄文村の中にある。
 長井市は縄文時代の遺跡が多い。昭和52年からの調査によって、この地が旧石器時代から弥生時代までの古代人の暮らしの場であったことがわかった。
 各遺跡から発掘された土偶や考古資料を縄文村で保管、村の中にある「古代の丘」には、土偶の巨大なオブジェななどが置かれている。
 復元された「竪穴式住居」では体験キャンプもできる。
 古くから残る、山、川、丘や森を大切に考え造られた施設でもあり、
 周囲にはめずらしい動物や植物なども生息している。
 秋などは、紅葉が綺麗でキャンプなどもできる。
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2007/1/25


こうもり塚古墳 Koumoriduka-kofun Koumoriduka Archeological Site

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 国指定史跡、「こうもり塚古墳」。六世紀後半に自然の丘陵を利用してつくられた全長約100メートルの前方後円墳だ。
 「こうもり塚古墳」の名は、こうもりが棲みついたことから付けられた。横穴式の石室は全長19.4メートルと、奈良県の石舞台古墳の石室に匹敵する大きさだ。長い羨道とその奥の玄室とから成っている。玄室には家の形の大きな石棺が納められている。この石棺は井原市野上町産の浪形岩(貝殻石灰岩)を材料とした、くり抜き式の石棺。ほかにも陶棺や木棺が納められており、後期古墳に一般的な、複数埋葬であったことが窺われる。
 この古墳は、大きな墳丘や内部の石室、石棺などに見られるように、多くの労働力を集められるほどの勢力を誇った支配者層の墳墓であることを示しているといわれる。
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志賀島 Sika-no-sima The Island of Shika-no-Shima

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 志賀島は、福岡県福岡市東区にある島で、博多湾の北部に位置し、砂州により本土と陸続きになった陸繋島である。
 志賀島は、周囲約11km、全戸数約790戸、人口約3000人余り。このような形態の島は、全国的にも珍しい。
 天明四(1784)年、2人の農民がこの島の田んぼで偶然「漢倭奴国王」の金印を発見した。
 中国の後漢書に、57年、光武帝が奴国の使者に金印を渡したと書いてあり、これがその金印だと言われている。歴史的にも貴重な品で、国宝である。
 この金印は日本の歴史の始まりを示す品であり、今は福岡市博物館に展示されている。金印がなぜこの志賀島に埋没していたかは今でもよく解っていない。
 志賀島は、古代日本の大陸・半島への海上交易の出発点であり、古から続く歴史的舞台である。
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金隈遺跡 Kanenokuma-iseki Kanenokuma Ruin

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 金隈遺跡は、福岡県福岡市博多区にある墳墓遺跡である。
 標高30mの丘陵上に、甕棺墓348基、土壙墓・木棺墓119基、石棺墓2基が発見された。
 甕棺墓では小児用の数が圧倒的に多い。残された人骨の一部には抜歯の風習がみられた。
 金隈遺跡は、紀元前2世紀頃から西暦2世紀頃まで、約400年に渡って使用された弥生人達の共同墓地の跡である。しかも、副葬品や埋蔵物に、鏡などの権力者が保有していたと見られるものが全くないことから、一般弥生人、つまり庶民達の墓地であることが確認された。
 現在史跡公園として整備され、展示館内では、弥生時代の甕棺墓や土壙墓が発掘された姿のまま見学できる。
 1972年、国の史跡に指定される。
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