NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/7/6


丸窓 Marumado Round Window

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 西洋では、住居は自然から人間を隔てて守るもの、と考えるが、日本人にとって住居は、自然の延長であり、自然と一体化し、共に生きるところ、と考える。
 その考え方は建築様式にも及び、窓にもその特徴は現れる。
 建築物が自然と一体化して生きていく場所であれば、窓は外と内をつなぐもの、自然と人間を結びつけるもの。庭の緑や花が見え、風が吹き込み、昼は日差しの照り返りがまぶしく、夜は月光が忍び込んでくる。そのような自然を楽しむため、窓の形に工夫を凝らしたうえで、さらに自然との一体化を図る。その代表的な窓として、丸窓がある。
 丸くくりぬかれ、文様が施された窓は、月のようでもあり、宇宙のようでもあり、人の手が加わりながらも、さらに外の自然を美しく見せる。
 自然と共に生きる、その考え方が形となった、ひとつの美しい例である。
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2007/2/8


岡邸 Oka-tei 

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 愛知県名古屋市有松にある江戸末期に建てられた重厚な歴史的建造物。名古屋市指定有形文化財。
 有松は幕末期当時の歴史的な町並みが残る場所で、岡邸は有形文化財では、一番古く、また一番大きいといわれる。 
 主屋1棟、作業場1棟、蔵2棟の構造で、街道沿いに並んだ絞商(しぼりしょう)の町屋の典型である。
 間口は連子格子、なまこ壁、虫籠窓、塗りこめ造りをよく残している。
 この家にだけある、2階のひさし裏の塗りごめ造りの「波状」も特徴的である。
 明治頃に改良され設置された「電話」がまるで「電話ボックス」のような透明の囲いの中に取り付けられているところが、なんともレトロであり、観光客の間でもちょっとした話題になっている。
 有松の観光コースとして、桶狭間古戦場とともに紹介されている。
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小塚邸 Kozuka-tei 

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 愛知県名古屋市有松にある江戸末期に建てられた重厚な歴史的建造物。名古屋市指定有形文化財。
 有松は幕末期当時の歴史的な町並みが残る場所である。当時、東海道一の美観とうたわれ、390年の歴史のある、有松絞りの発祥の地でもある。
 小塚邸は有松の街道で一番大きいとされる「岡邸」の横に並ぶ。
 塗籠造の中では、小塚邸は最も古いもののひとつといわれている。
 主屋1棟・蔵2棟・茶室1棟の構成で、街道沿いに並んだ絞商の町屋の典型である。
 連子格子・なまこ壁・虫籠窓・塗ごめ造り・卯達が整った建物であり、外柱に残る駒止めの環が往時を物語る。
 有松の観光コースとして、桶狭間古戦場とともに紹介されている。
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2006/12/15


九年庵 Kunen-an Kunenan 

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 九年庵は、佐賀の大実業家、伊丹弥太郎が明治25年から9年の歳月をかけて築いた6800平方メートルの別荘と庭園だ。佐賀県神崎町に位置する。
 別荘は入母屋葦葺の屋根に杉腰張りの土壁、竹格子の連窓や真竹を用いた周りの濡縁など、野趣に富む外観を持つ。広い庭園は多くのツツジやモミジ、コケ類が植生し、四季折々の美しい景色を描き出している。紅葉も見ものだが、庭一面に広がるコケはまるでビロードの絨毯を敷き詰めたかのような侘び寂びの趣を持ち、こちらも必見だ。
九年庵は平成7年2月、国の名勝に指定を受け、毎年紅葉の時期に9日間(11月15日から23日)、一般公開される。
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2006/11/29


開明学校 Kaimei-gakkou Kaimei School

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 1882年に愛媛県、西予市に建築された、当時としては珍しいドイツ製のガラスがはめられたアーチ窓がある擬洋風なモダンな校舎。1997年に国の重要文化財の指定を受けた。
 現在は貴重な資料約6,000点が収蔵された博物館としても利用されている。内部には江戸から昭和初期にかけての教科書や学校経営資料などが展示されている。年に1度、「遊べや学べ明治の学校」と銘打った1日体験入学もある。
 開明学校の外見は「小さな蔵」を思わせるような白壁造り。入り口は「唐破風」で、懐かしさが漂う日本の伝統的木造建築。
 開明学校の前身となった私塾「申義堂」(開明学校の右手に建つ)では、この地ゆかりの人物で有名な「シーボルト」、その弟子「二宮敬作」などが集まっていた。またシーボルトの娘「お稲」は14才から二宮に医学を学び、日本初の「女医」となった。
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2006/11/27


伏見酒造 Fushimi-syuzou Fushimi Sake Brewing

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 京都・伏見における酒造りの歴史は古い。大和時代、帰化豪族の秦氏が大陸の酒造技術を伝えたとされており、日本酒のルーツは伏見だという説もある。
 港町として栄えていた伏見は交通・流通の要衝であり、また、豊臣秀吉の時代、城下町として人の集まる消費地でもあった。さらに伏見の丘からは名水として名高い伏流水が流れていた。これらの条件が揃い酒造業が発展、現在では全国の約15%のシェアを占める大醸造地にまでなったのである。
 伏見酒は甘口で女性的な優しさ、やわらかさ、繊細さに富んでいる。伝統的に灘の「男酒」に対して「女酒」と呼ばれる所以である。
 時代とともに長い年月を歩み続けてきた現在、伏見には30の蔵元が酒造仲間の心意気を受け継ぎながら、それぞれに個性的な酒を造りつづけている。
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