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2008/8/28


神鏡 Shinkyou 

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 まだ、科学の発達していなかった古代の人々にとって、自らの姿を映し出す鏡は神秘的なものであり、また、神の不思議な力が宿る畏敬の存在であった。
 日本でも弥生時代や古墳時代の有力者の墓から多くの青銅の鏡が出土している。また、邪馬台国の卑弥呼の時代には朝鮮半島を経て多くの銅鏡である方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)が日本に入ってきた。
 その後、鏡は、呪術や祭りでの神の権威の象徴として取り扱われるようになり、天皇の時代には神鏡は権威の象徴の一つとなっていった。
 天皇家に伝わる三種の神器の中の一つに八咫鏡(やたのかがみ)がある、この鏡は天照大神(あまてらすおおみのかみ)が天上より御くだりになった時、天照大神自身だと思って祀るようにと伝えられている鏡である。
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2008/8/13


高機 Takahata 

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 高機(たかはた)は、日本に伝わる手機織のひとつである。
 織手の座る位置が、最も原始的な織機である居坐機(いざりばた)より高くなっている構造の手織機で、腰板に腰掛け、足で踏み木を踏んで綜絖(そうこう)を上下させて織る。
 地機(じばた)より丈が高く、構造・機能の進歩した織機で、錦・綾などを織るのに用いる。別名・大和機(やまとばた)とも言われる。
 居坐機と異なり、経糸(たていと)が機に固定されているため、体を前後に動かして糸の張りを調節する必要がなくなった。従って、地合が均一したものが織られるようになり、能率も高くなった。
 平織はもちろん、紋織りや高度な錦を織ることもできた。織る速度は普通の人は2日で1反、達人は1日で1反織ったと言われる。
 高機は、弥生時代には使用されていたという伝統の手織機である。
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2008/4/11


丸透かし入カップ(辰砂赤) Marusukashi-iri-kappu(Shinsha-aka) 

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 西日本では弥生時代のおわり頃から赤色の顔料として辰砂(しんしゃ)が多く使われるようになり、古墳時代はじめには辰砂が古墳の石室に多く振りまかれるようになったという。
 陶芸で用いられる辰砂釉は、美しい赤色を発色する釉薬で、水銀ではなく銅を含んだ釉薬を用い、還元焼成したもの。
 この、丸透かし入カップは、辰砂の赤が美しいオリジナルの手造りカップである。
 透かし柄が入っており、とても素敵な仕上がりとなっている。
 素朴で麗しい辰砂の赤と、丸く柔らかなカップの形が解け合い、独特の魅力を生んでいる。
 丸透かし入カップは、手造りの味わいが器の姿にも現れている、美しいカップである。
 
サイズは
高さ9.5cm
直径6cm
底径5cm
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2007/11/22


辰砂(シンシャ) Shinsha 

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 辰砂(しんしゃ)とは、硫化水銀からなる鉱物である。
 銅紅釉(どうこうゆう)と呼ばれる事からも解るように、銅分の酸化によって得られる織部釉(おりべゆう)などの銅緑釉(どうりょくゆう)に対して、還元されて得られる様々な色合いを言う。
 辰砂という名前は、中国の湖南省辰州産のものが質が良く有名であった事による。
 日本でも弥生時代から産出され、古くは「丹(に)」と呼ばれ、水銀の重要な鉱石鉱物とされていた。
 魏志倭人伝の邪馬台国にも「其山・丹有」と記述されており、古墳の内壁や石棺の彩色、壁画に使用されていた。
 日本画などの岩絵の具の原料であり、陶芸ではこれに似た色の釉薬を「辰砂釉(しんしゃゆう)」というようになった。
 辰砂は、水銀の精製や赤色顔料として重宝される原料鉱物である。
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2007/11/12


比都佐神社 Hitsusa-jinja Hizusa Shrine

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 滋賀県東南部に位置する日野町は昭和時代半ばに旧日野町や東桜谷、南比都佐、北比都佐などの村が合併して誕生した町である。比都佐(ひつさ)の地名は古代の郷名である必佐郷に由来すると伝えられている。
 「比都佐神社」のある辺りは、弥生時代にはすでに開けていたと伝えられており、古くから「久野」と呼ばれていた。久野の鎮守神として久野大明神が祀られたという。
 比都佐神社は、高さ二三七cmの石造宝篋印塔(ほうきょいんとう)が建っていることで知られている。これは嘉元ニ(1304)年に造られたもので、日本有数の優れた石造物として重要文化財に指定されている。
 古いものだが、彫刻の線もはっきりと残っており、格挟間(ごうざま)内にはニ羽の孔雀が向かい合っている姿も見られる。
 鎌倉時代から伝わる、バランスの美しい優れた美術品である。
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2007/9/18


橋牟礼川遺跡 Hashimure-gawa-iseki 

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 橋牟礼川遺跡(はしむれがわいせき)は、鹿児島県指宿市十二町にある縄文時代~平安時代にかけての遺跡である。国の史跡に指定されている。
 縄文時代は弥生時代よりも古く、縄文土器と弥生土器を使っていた人々は部族が違うのではなく、時代が違うという、今日では当たり前のような事を初めて立証した遺跡として有名である。
 先史時代のポンペイとも呼ばれ、5~6世紀の遺跡とは別に、貞観一六(874)年に開聞岳が大噴火した時の、火山灰で倒壊した建物跡や畑の跡、道の跡など、当時の集落がそのまま眠っている。
 現在、約2ヘクタールが史跡公園として整備されており、8世紀後半頃の竪穴式住居が4棟復元されている。また、貝塚や地層を見学できる展示施設も存在する。
 橋牟礼川遺跡は、古代日本を知ることが出来る貴重な遺跡である。
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2007/5/2


志度桐下駄 Shido-kirigeta 

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 香川県高松市志度町で作られる桐でできた下駄。県の伝統工芸品に指定されている。
 下駄の歴史はかなり古く、弥生時代の遺跡から下駄状の木製品がみつかっている。志度町での下駄作りは、明治40年に「砂山房太郎」という人物が18歳のとき開業したのが始まりである。
 当時「書生下駄」や「日和下駄」が作り出され全国に広がった。現在では全国の60パーセントの生産を占める。
 自然乾燥させた「桐」を素材に使い、約40もの工程を経て作られる。そのほとんどが手作業である。
 現在ではさまざまな種類の下駄があり、そのひとつひとつに木の温もりが感じられるものとなっている。
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2007/2/6


芦ノ湖 Ashino-ko 

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 芦ノ湖は、神奈川県足柄下郡箱根町にある湖である。最大水深43.5m、平均水深15m。
 神山が約3000年前に水蒸気爆発と火砕流を起こした際、山の一部が大崩壊を起こす山体崩壊が発生し、その結果誕生したカルデラ湖である。
 神奈川県南西部にある県内最大の湖で、早川水系に属し、北部(箱根町仙石原)から流れ出る早川の水源になっている。
 春は新緑とつつじ、夏は湖上遊覧や花火が上がる湖水まつり、秋は紅葉、冬は湖面に映える富士山と、見所には事欠かない。
 ブラックバス、ワカサギ、ニジマスなどの釣りスポットとしても知られ、特に、ヒメマス目当てに遠方からやってくる人も多い。
 芦ノ湖は、リゾート施設が数多くある観光地であり、四季折々の眺めも素晴らしい景勝地である。
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