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2008/7/9


八戸 八幡駒(馬) Hachinohe Yahata-koma(uma) 

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 八戸の八幡駒(はちのへのやわたこま)は、青森県八戸市に伝わる伝統の木馬である。正式には八幡馬(やわたうま)といい、日本三大駒のひとつに数えられている。
 八戸地方は、鎌倉時代から軍用馬「南部馬」の産地であり、この地の馬は農耕馬としても庶民の暮らしを支え、古くから踊りや民話の題材にされてきた。
 約700年程前、京方面から一人の木工師が南部八戸の天狗沢に流れ着き、木工および塗り物業を営む傍ら、余暇を見つけては馬の玩具を作っていたという。
 その後、一鉋一鑿(いっぽういっさく)の木彫りの馬の玩具が、櫛引八幡宮(くしひきはちまんぐう)の流鏑馬(やぶさめ)の儀式の際に、参詣者の土産として売られるようになった。それが、今日の八幡駒の起源とされている。
 八戸の八幡駒は、福を呼ぶ馬として結婚、新築、卒業、出産、落成などのお祝、記念品として広く親しまれている郷土民芸品である。
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2008/3/31


柳沢の焼け八幡 Yanagisawa-no-yake-hachiman Yakehachiman in Yanagisawa

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 「柳沢の焼け八幡(やなぎさわのやけはちまん)」は、宮城県加美郡加美町の柳沢地区に六〇〇年前から伝わるとされている、小正月行事である。祭りは一月一四日・一五日と、二日間に亘って行われる。
 一四日夕方、若者たちが八幡神社に集まり、神社の前に藁と竹竿で小屋を作り、木に吊した一二束の藁灯ろうで、その年の天候を占うという。
 翌日早朝、若者衆は集落を訪れ、家々を回って、嫁や女性の顔に「かまどの炭」を塗りつける。これは神の加護を願うとためだといわれている。そして空が明るくなり始めたころ、藁と竹で作った小屋を燃やし、当年の作柄を占う。
 県の無形民俗文化財に指定された、地方色豊かなこの行事は、五穀豊穣・防火・家内安全を祈願して毎年行われ、受け継がれている。
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2007/10/22


村雲御所 瑞龍寺 Murakumo-gosho Zuiryuu-ji Murakumo-gosho Zuiryuu-ji Temple

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 日蓮宗唯一の門跡寺院である村雲御所瑞龍寺(むらくもごしょずいりゅうじ)。今は滋賀県の八幡山の山頂にある。
 文禄五(1596)年、豊臣秀吉より切腹を命じられた、わが子秀次の菩提を弔うために、秀吉の姉、日秀尼(にっしゅうに)が創建したのが始まりである。
 この時、日秀尼は後陽成天皇から京都嵯峨の村雲の地と瑞龍寺の寺号を賜るのであるが、その後も宮家や摂関家からの入寺があったため、門跡寺院となり、村雲御所とも呼ばれるようになった。江戸時代には、嵯峨から西陣に移り、今は西陣織会館前に「村雲御所跡」の碑が立っている。
 昭和三七(1962)年、この寺の復興に生涯をかけた一二世貫首・日英尼は、秀次ゆかりの近江八幡城本丸跡への移転を決意し、現在の地に移った。
 遠くに鈴鹿連山の美しい山並み、南は近江の町並み、そして東には琵琶湖を一望できる。移築された本堂や庭園は、その後門跡たちの手によって整えられ、開かれた寺として、人々を迎え入れてくれる。
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2007/9/13


田尻 大崎八幡神社 Tajiri Oosaki-hachiman-jinja Osaki Hachiman Shrine in Tajiri

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 田尻にある大崎八幡神社(おおさきはちまんじんじゃ)は、仙台市八幡町の大崎八幡神社、古川江合の八幡神社、岩出山の八幡神社の本家で知られ、一千年の歴史を持つ由緒ある神社である。
 神社から北に続く丘陵地は、奈良時代から平安時代にかけて大和律令国家が設けた新田柵(にったのさく)の跡とされている。
 天喜五(1057)年の前九年の役で、源頼義、義家の父子が奥州征伐の際、安倍頼時、貞任を攻め、田尻八幡北部にある天狗ケ岡で石清水八幡を祀り勝利を祈願した。その後、安倍氏を滅ぼし凱旋の途中、この地と胆沢、栗原の三箇所に石清水八幡を勧請したのがはじまりとされている。
 この神社は大崎氏の崇拝が厚かったため、正平一六(1361)年に社殿を再興し、大崎八幡と名のるようになった。
 その後、伊達政宗が大崎八幡神社を敬い、岩出山に移し、さらに仙台城下に華麗な権現造りの社殿を造営した。尚、神社は伊達家によって元のこの地に再建された。
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2007/7/20


弘前八幡宮 Hirosaki-hachimanguu 

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 弘前八幡宮(ひろさきはちまんぐう)は、元々、岩木町に建てられていたが、二代藩主弘前信枚が築城の後、陰陽道で鬼が出入するとされている方角「鬼門」をおさえるために移転を行った。
 門は、唐風と呼ばれている屋根のカーブや、四辺の反りなど、屋根の形態が特徴的であるため、唐門と呼ばれている。また、天井は細かい格子の組み合わせで作られており、小組格天井(こぐみこうてんじょう)と呼ばれ、弘前では珍しい造り方となっている。
 本殿は正面が三間社流造(さんげんしゃながれづくり)となっており、屋根の側面の妻が、左右非対称であり、片方の軒が前方に延びており、アシメトリックなデザインとなっている。
 本殿及び唐門は、桃山時代の様式として貴重な資料となっており、重要文化財建造物に指定されている。
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2007/7/19


久礼八幡宮大祭 Kure-hachimanguu-taisai The Grand Festival of Kure Hachimangu Shrine

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 久礼八幡宮大祭(くれはちまんぐうたいさい)は、高知県高岡郡中土佐町の久礼八幡宮にて毎年9月に行われる秋の大祭である。高知県の三大祭りにも数えられる。
 通称・御神穀さん(おみこくさん)と呼ばれ、太鼓と太鼓をぶつけ合って競う「けんか太鼓」など、漁師町らしい勇壮な祭りである。
 起源は戦国時代までさかのぼり、飢饉に五穀豊穣を願って祈願したところ、豊作を迎えた事から、そのお礼祭りとして始まったとされている。
 頭屋と呼ばれる祭りの主役を中心に進められる祭事様式や、大祭中に「御神穀様」「御神幸」などの祭事が行われ、新穀で酒、もちをつくり、神に供える。
 初日の夕方からは境内に露店が軒を並べ、夜には花火大会も開催される。
 久礼八幡宮大祭は、地元に密着し、親しまれている大祭である。
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飯坂けんか祭り Iizaka-kenka-matsuri Iizaka Kenka Festival

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 飯坂(いいざか)けんか祭りは、福島県福島市にある八幡神社の祭礼で、大阪・岸和田の「地車(だんじり)」、秋田・角館(かくのだて)の「飾山(おやま)ばやし」とともに「日本三大けんか祭り」のひとつに数えられている。
 毎年10月1日から3日まで開催されるこの祭りのハイライトは、2日の宮入り。午後7時半の花火を合図に、鮮やかな提灯に彩られた6台の太鼓屋台が、御旅所(おやすみどころ)を出発。勇ましい太鼓の音と掛け声とともに、町を練り歩く。神輿が境内に入り乱れると、神輿の宮入りを阻止しようと、屋台が激しくぶつかり合う様は迫力満点だ。絶え間なく乱打される太鼓の音と夜空を焦がす提灯の灯りが、祭りをさらに盛り上げる。
 飯坂けんか祭りは、300余年の歴史を持つ、勇壮・豪快な祭りである。
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2007/6/5


函館西部地区の街並み Hakodate-seibu-chiku-no-machinami 

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 函館西部地区(はこだてせいぶちく)の街並みとは、北海道函館市の西部地区の事で、和洋をたくみに交えてデザインされた商家や住宅が建ち並ぶ街並みは、北海道遺産に選定されている。
 安政六(1859)年、函館は横浜、長崎とともに最初に開港した。近代日本の幕開けを告げた町であり、西欧文化に開かれた玄関口として栄えてきた。
 函館西部地区には、ベイエリアの赤レンガ倉庫群、函館ドックのような歴史的港湾施設、旧函館区公会堂やビザンチン様式のハリストス正教会復活聖堂に代表されるハイカラな洋風建築や旧英国領事館など、数々の華やかな建物が並んでいる。
 前には海、後ろには深い緑の函館山で、二十間坂、大三坂、八幡坂、基坂のロケーションを誇る。
 函館西部地区は、函館独特の異国的な空気を漂わせた、ロマンチックな街並みである。
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