NIPPON Kichi - 日本吉

記事数3件: 1~3 件表示          

2007/10/1


猿投神社 Sanage-jinja Sanage Shrine

Jp En

 猿投神社(さなげじんじゃ)は、愛知県豊田市猿投町大城にある神社である。祭神は大碓命(おおうすのみこと)。三河国の三宮とされる。
 創祀年代は仲哀天皇元(192)年とも伝わるが、実際にはよく分かっていない。記録に残るはじめでは、仁寿元(851)年、従五位下に叙されたとある。
 標高629mの猿投山麓に鎮座し、猿投神社を本社として猿投山東峯に東宮、西峯に西宮があり、古来、猿投三社大明神と称された。
 祀られている大碓命は日本武尊の双子の兄であり、日本書紀では景行天皇による東征の命を拒み、古事記では悪行の後に日本武尊に殺されたと伝えられる。
 社記によると、大碓命は猿投山中にて蛇毒の為に死亡し、山上に葬られたという。
 左鎌を奉っており、毎年一〇月に「棒の手」が披露、奉納される。
 猿投神社は、日本書紀・古事記にも関連する古社である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/14


比木神社 Hiki-jinja Hiki Shrine

Jp En

 西暦660年、唐と新羅の連合軍によって滅ぼされた朝鮮の古代国家「百済」、その王族や武官の多くは日本に亡命したと言われている。
 その王族のひとりである福智王(ふくちおう)は、現在の高鍋町蚊口浦に流れ着き、木城町に住んだと伝わる。
 福知王が住んだ場所は火棄(ひき)と名づけられ、王の亡き後は火棄大明神として祀られた。仁寿二(852)年、火棄は「比木」と改められ、現在の比木神社へと至る。
 言葉こそ通じなかったが、福知王をはじめ、高い文化を持った百済の人々は、多くの住民達に崇められ、その地に神として祀られたとされる。
 福知王の比木神社と父・禎嘉王(ていかおう)が祀られている神門神社の間で、年に一度二人が対面する儀式が行われている。異国の地で王を守り続け、亡くなった百済の人々を慰める儀式でもある。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/11


青麻神社 Aoso-jinja Aoso Shrine

Jp En

 青麻神社(あおそじんじゃ)は、全国の青麻神社の総本社で、太陽・月・星を一緒に祀っており、名水の名所としても知られる。
 仁寿二(852)年に、現社家の遠祖・穂積保昌が京都からこの地に来て、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、月読神(つくよみのかみ)の日月星の三光神を清水湧く岩窟の中に奉祀したのが始まりとされている。あわせて里人に麻の栽培を教えたといわれ、これが神社や地名の由来となっている。
 この神社は昔から中風病退除のご利益で知られ、また創健者である穂積一族が水運に携わっていたことから海上安全の神として崇められており「三度詣でれば生涯中風の難よりのがれる」と伝えられている。
 現在境内には名水「おすず」が湧き出ており、清らかな水を求めて多くの参詣者が訪れる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数3件: 1~3 件表示          
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter