村上城(臥牛山城) Murakami-jou(Gagyuuzan-jou)
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村上城(むらかみじょう)は、新潟県村上市一之町の臥牛山(がぎゅうざん)にあった平山城で、歴代の村上藩主の居城であった。またの名を「臥牛山城」とも言う。標高135mの「臥牛山」は、その山容が、草の上に伏した牛の姿に似ている。
戦国時代、この地の領主で上杉家家臣であった本庄氏が築城したとされ、当初は木柵がはりめぐらされた中世式の城郭であった。
慶長三(1598)年、上杉景勝の会津転封に伴い本庄氏も会津へ追従した。上杉転封のあとに越後には堀秀治が入封。このため村上城も堀秀治の家臣・村上頼勝が領主となり、その時に、城下町の整備と共に石塁が増築され、三層造りの天守閣も造営された。
村上氏以降、幕末まで約二〇回ほども城主が入れ替わり、幕末に旧幕府軍側にたった村上藩は新政府軍の攻撃を受け、城は自落。残った建物もすべて焼失した。
現在は石垣、門礎石などが残っており、散策コースが整備されている。平成五(1993)年に国指定の史跡となった。
戦国時代、この地の領主で上杉家家臣であった本庄氏が築城したとされ、当初は木柵がはりめぐらされた中世式の城郭であった。
慶長三(1598)年、上杉景勝の会津転封に伴い本庄氏も会津へ追従した。上杉転封のあとに越後には堀秀治が入封。このため村上城も堀秀治の家臣・村上頼勝が領主となり、その時に、城下町の整備と共に石塁が増築され、三層造りの天守閣も造営された。
村上氏以降、幕末まで約二〇回ほども城主が入れ替わり、幕末に旧幕府軍側にたった村上藩は新政府軍の攻撃を受け、城は自落。残った建物もすべて焼失した。
現在は石垣、門礎石などが残っており、散策コースが整備されている。平成五(1993)年に国指定の史跡となった。
- 住所
- 958-0000 新潟県村上市一之町
- 名前
- 村上城