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愛知県名古屋市にある城。徳川家康が、慶長15年、前田、加藤、福島、細川、黒田等の豊臣系大名に助役を命じ、3年の歳月をかけ完成させた。
江戸幕府の安泰のために、東海道の要所として、また大坂方への備えとして築城。その後、明治維新までの約250年間、徳川御三家の筆頭である尾張徳川家の居城として栄えた。
屋根を飾る金のシャチホコのある、5層5階の大天守閣は、一度小天守閣をくぐってから入るようになっており、加藤清正の考案した連結の天守閣である。
本丸御殿(昭和20年焼失)にあった狩野貞信たちの巨匠が描いた、襖絵や天井板絵など1049の面が現在も残っている。これらのほとんどが、国の重要文化財に指定されている。
江戸幕府の安泰のために、東海道の要所として、また大坂方への備えとして築城。その後、明治維新までの約250年間、徳川御三家の筆頭である尾張徳川家の居城として栄えた。
屋根を飾る金のシャチホコのある、5層5階の大天守閣は、一度小天守閣をくぐってから入るようになっており、加藤清正の考案した連結の天守閣である。
本丸御殿(昭和20年焼失)にあった狩野貞信たちの巨匠が描いた、襖絵や天井板絵など1049の面が現在も残っている。これらのほとんどが、国の重要文化財に指定されている。
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