NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/12


半天 Hanten 

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 「半天(はんてん)」は、「半纏・袢天」とも表記する。袖の長さが通常の羽織と比べて半分しかないため、その名がついたといわれている。
 種類も豊富で、「綿入れ半天」「祭り半天」の他、江戸時代に町火消しが羽織っていた粋な半天などもある。
 日常的に使われる半天は、羽織って着る綿入れの仕事着・防寒着で、丈の短い上着で胸ひもをつけず、襟を折り返さないで着る。江戸後期から庶民の日常着となり、一部の地域では「どてら」と呼ばれている。
 首から背中にかけて温かいので、現在ではお風呂上りの湯冷め防止などにも重宝されている。また、袖がないヤッコ半天と呼ばれるものは暖かさと羽織の軽さを兼ね備え、家事や机に向かう際など袖がじゃまにならない。
 町火消しが羽織っていた半天は、腰に白筋を入れて区を表し、襟に組名・役職を記していた。さらに肩の赤筋で指導者の階級を示したり、襟の文字で中級幹部まで識別していたという。
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2007/12/26


角隠し Tsunokakushi 

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 神前や仏前式の結婚式において、文金高島田(ぶんきんたかしまだ)と呼ばれる髷(まげ)を結った髪を飾る帯状の白い布を「角隠し(つのかくし)」という。素材は白絹である事が多い。
 髪の毛の不浄を隠す為とされ、花嫁の恥じらいを包み隠し、神秘性を演出してくれる。
 元々は塵よけや防寒具として使用されていたが、女性が嫁入りする際に怒りを象徴する「角」を隠す事で、従順で淑やかな妻になるという事をあらわしたり、またかつては女性は嫉妬に狂うと鬼になる、と言われたことから、それを防ぐまじないとして結婚式において使われる様になった。
 角隠しは入家を意味する「入」の形に見立て、右端を上にして後ろでまとめている。
 また、「挙式が済むまで新郎以外の人に顔を見せない様に」という意味で、挙式で装う白無垢では綿帽子(わたぼうし)と呼ばれる大きな楕円状の帽子を、色打掛には角隠しを用いる事が多い。
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2007/6/11


丹前 Tanzen Tanzen

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 丹前(たんぜん)とは防寒用の着物のことで、厚手のウール生地のものや、綿入りのものがある。
 特に、綿入りのもののことを関東では「どてら」とも言うが、関西では丹前と言う。
 浴衣の上から着ることが多く、細帯で締め、柄は縦縞のものが多く丹前縞と呼ばれる。
 江戸初期に、西神田雉子通りの堀丹後守屋敷前にあった、女性が昼間は髪すきや垢すり、夜は売春宿として営業していた湯女風呂「丹前風呂」で人気の湯女、勝山が変わった格好の着物が好きだった。
 そのため、彼女の目を引こうと男たちが綿の入った広袖に、広幅の帯を締めて風流をきどっていたのが由来とされている。
 後に武家につとめる使用人の間で流行し、その後一般にもひろがった。
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2006/11/27


ふすま Fusuma Fusuma (sliding door)

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 襖の起源は8世紀から9世紀頃。几帳、衝立、屏風、明かり障子など、寝殿造り内部の調度品から、日本独自のものとして生まれてきた。
 11世紀には日本で大和絵が盛んになり、襖や屏風に表現され、初期の防寒の役目から室の装飾的要素が加わり、当時の貴族の風俗に深い関わりを持つようになった。
 やがて16世紀、安土・桃山時代に武家階級の書院造が完成すると、襖は寺院・城郭に絵画芸術の発表の場として役割を果たすことになる。江戸時代には数寄屋造りが住宅様式に入り、襖は広く町民階級にも普及することとなる。襖絵も豪華絢爛さから淡白で質素なものへと単純化されていった。
 現在では、伝統を受け継ぐ表具店の高級襖から気軽に使える壁紙式のカジュアルな襖まで、様々なバリエーションの襖が広く愛用されている。
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