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2007/10/31


奈良 柿本神社 Nara Kakinomoto-jinjya Nara Kakinomoto Shrine

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 奈良の柿本神社は、奈良県葛城市柿本にある神社である。祭神は三十六歌仙の一人、柿本人麻呂で、島根県益田市にある柿本神社本社の摂社にあたる。
 万葉の歌人、柿本人麻呂の生地ともいわれ、各地に散在する人麻呂伝説の一つとなっている。
 石見国で没した人麻呂を宝亀元(770)年に改葬して、社殿を建てたのが始まりという。
 柿本人麻呂は宮廷歌人であり、格調高い作風で万葉集中随一の叙情歌人と言われた。後世、歌聖と称される。
 社殿左側にある墓は江戸時代の造営、また神社隣の影現寺は別寺で、通称柿本寺と呼ばれている。
 本堂には、紀僧正真済作といわれる木造の人麻呂像が安置されているが、非公開とされている。
 奈良の柿本神社は、人麻呂死後数年で創建された、由緒ある神社である。
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2007/9/13


箟峯寺(箟岳観音) Konpou-ji (Nonodake-kannon) Konpoji Temple (Nonodake Kannon)

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 箟岳山(ののだけさん)は、古くから信仰の山として広く知られており、この山の山頂にあるのが別名・箟岳観音と呼ばれる箟峯寺(こんぽうじ)である。奥州三十三観音第九番札所に数えられ、松島の富山・石巻の牧山と並んで奥州三観音の一つでもある。
 光仁天皇の勅願により宝亀元(770)年に草創され、延暦二〇(802)年、坂上田村麻呂が蝦夷討伐の後に観音堂を建立した。
 最初、この山は非常に霧が深いことから霧岳山正福寺(むがくさんしょうふくじ)と呼ばれていた。その後嘉祥二(849)年、慈覚大師が布教のためこの地に来たとき、堂宇を増建し、無夷山箟峯寺(むいざんこんぽうじ)と改称した。
 境内の石段を登ると八脚門の山門がある。山門の中にある朱塗りの仁王像が笑みを浮かべている。また、本尊は十一面観音で、観音堂は二度焼失したが、現在の建物は嘉永四(1851)年に再建されたものである。

 
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2007/8/31


室生寺 五重塔(国宝) Murou-ji Gojuu-no-tou 

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 室生寺(むろうじ)は、奈良県宇陀市室生区室生にある真言宗室生寺派大本山の寺院である。本尊は、釈迦如来。仏塔古寺十八尊第18番、西国薬師霊場第8番札所とされる。
 宝亀年間(770~781)に賢璟(けんけい)によって開基された寺で、女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」の別名がある。
 五重塔(ごじゅうのとう)は、延暦一九(800)年頃の建立とされ、高さは16mほどで、屋外にある木造五重塔としては日本で最も小さく、また法隆寺塔に次いで日本で2番目に古いもので、国宝に指定されている。
 塔は三間四方で、檜皮葺の屋根や丹塗りの組物が、奥深い樹林に包まれて格別の風情を醸し出している。
 室生寺の五重塔は、長い歴史を感じさせる建築物である。
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2007/8/22


清水寺 三重塔 Kiyomizu-dera Sanjuu-no-tou 

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 正式名は音羽山清水寺(きよみずでら)といい、宝亀九(778)年の開創。清水寺の宗派は北法相宗(きたほっそうしゅう)といい、単立の一寺一宗である。本尊の十一面千手観音は、国宝となっている本堂内々陣の厨子の中に秘仏として祀られているために、厨子前に本尊の姿を表したお前立ち仏像を安置している。
 清水寺にある三重塔は、日本最大級の三重塔で高さ三一メートル弱。平安初期の承和一四(847)年創建と伝えられる。現在の塔は古様式に則って寛永九(1632)年に再建され、重要文化財に指定されている。
 昭和六二(1987)年に解体修理をし、総丹塗りや桃山様式を示す各重横木の極彩色文様を復元した。一重内部に大日如来を祀り、天井や柱などが密教仏画や飛天・龍と各種文様らの極彩色で作られている。
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2007/7/30


岩木山神社 Iwakiyama-jinja 

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 青森県弘前市百沢(ひゃくさわ)の岩木山(いわきやま)の南東にある神社。
 宝亀一一(780)年、岩木山の山頂に社殿を建築したのが起源とされている。
 岩木山大神の加護によって東北平定ができたとして、延暦一九(800)年に室町時代の武官であった坂上田村麻呂が山頂に社殿を再建した。その際、十腰内(とこしない)に下居宮(おりいのみや)を建て、山頂を奥宮とした。
 寛治五(1091)年に、十腰内地区から岩木山東南麓の百沢に写したのが、現在の岩木山神社となっている。
 藩政時代には、津軽家の厚い信仰をうけ、現在の社殿のほとんどは江戸時代初期のものであり、桃山時代の精巧な彫刻が彫られており、奥の日光とも呼ばれる。
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2007/5/29


空海 Kuukai Kukai

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 空海(くうかい)は、中国から密教を伝えた日本真言宗の開祖である。書道家としても、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆の一人と言われる。
 宝亀五(774)年、四国の善通寺近くにて生誕、奈良の大学で学ぶが、儒学では社会の矛盾を解決できないと悩み、空海と名乗り修験者となる。
 延暦二三(804)年、最澄らと中国へ渡り、文化・宗教などを学び、翌年、密教の頂点に立つ青龍寺の恵果を訪れ、密教を継承。二年後に帰国、高雄山寺にて真言宗を興し、中国で学んだ知識を活かして各地で土木工事の指揮を取り、書道や絵画・彫刻の才能を発揮し、宗教家・社会事業家・芸術家として精力的に活動したが、承和二(835)年、3月21日に高野山にて病死する。
 天安元(857)年、文徳天皇は空海に大僧正の号を遺贈する。
 延喜二一(921)年、醍醐天皇が空海に弘法大師の諡号を贈る。
 弘法大師空海は、平安以後の日本仏教に多大な影響を与えた、数多くの伝説を持つ高僧である。
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2007/3/20


粉河寺 Kokawa-dera Kokawadera Temple

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 粉河(こかわ)寺は、和歌山県紀の川市粉河にある古刹。宝亀元(770)年に創建され、「枕草子」にも登場することで有名だ。正式名称は風猛山(ふうもうざん)粉河寺。
 粉河観音宗の総本山で、西国三十三ヶ所第3番札所として名高い。
 最盛期には七堂伽藍、脇寺550坊、寺領4万石を有し、高野山、根来寺に次ぐ勢力を誇ったが、豊臣秀吉の紀州攻めの際に焼失。江戸時代に再建された。
 約35000坪もの広大な境内、200メートルも続く参道、大小20余の宝塔伽藍は往時の名残を色濃くとどめる。大門、中門、本堂、千手堂はいずれも重要文化財。寺の紙本著色(しほんちゃくしょく)(国宝)は、鳥羽僧正筆である。
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2007/3/8


紀三井寺 Kimii-dera 

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 紀三井寺は和歌山県和歌山市紀三井寺に位置する寺社。救世観音宗総本山、紀三井山金剛宝寺護国院が正式な名称。西国三十三箇所第二番札所。
 宝亀元(770)年に唐僧、為光上人が建立。紀州徳川家の祈願寺として栄えた。
 本尊は十一面観世音菩薩、為光上人の手によるものとされる。
 紀三井寺の名の由来は境内に沸く清浄水、楊柳水、吉祥水の三井水からと言われ、霊験あらたかな水として尊ばれており、日本名水百選にも選定されている。
 楼門前の階段には結縁坂の名が付き、青年時代の紀ノ国屋文左衛門が草履の鼻緒が切れたことが縁で妻と出会った場所として、縁結びのご利益を求める参拝客も多い。
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