NIPPON Kichi - 日本吉

記事数8件: 1~8 件表示          

2008/2/6


仕込み刀 Shikomi-gatana 

Jp

 仕込み刀(しこみかたな)とは、刀とわからないように細工された武器のことである、多くは杖や扇や煙管(きせる)に刀が仕込まれており、大きさも大小さまざまであった。
 仁侠映画などで見る白鞘の短刀も、木刀に偽装した仕込み刀と言えるだろう。
 もともとは、敵の不意をつくための武器、または、狭い場所で能力を発揮するために考え出された、という説もある。また、扇や煙管に細工された仕込刀は、敵に対する武器というより、実際には自害などの最後の手段のための武器であったと言われている。
 特に戦国時代に入ると、相手国や軍の情勢を探ることは戦に勝利するためには重要なことであった。そのため、敵地に進入する場合、武器を隠す必要があったとう。そのため、仕込み杖など様々な形の仕込み刀が考案された。
 江戸時代に入ると「忍び」と呼ばれる密偵のような人々が、全国の大名の情勢を探っていたと言われる。この場合も、外見から武器と気づかれないよう、色々と偽装がほどこされていたという。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/10


いかざき大凧合戦 凧踊り Ikazaki-oodako-gassen Tako-odori 

Jp

 県無形民俗文化財に指定されている四〇〇年の歴史を持つ伝承行事。
 もともと大凧合戦は、生まれてきた子どもの健やかな成長と幸せな将来を願い大凧に子どもの名前を書いて空高く舞いあげたのが始まりといわれている。毎年五月五日の「初節句行事」として、また内子町最大の伝承行事として引き継がれている。
 合戦は町の中央部を流れる小田川の豊秋河原で五十崎側と天神側に分かれて行われる。
 「ガガリ」とよばれる凧糸に仕込んだ刃物一つでそれぞれ相手の糸を切り合う、という約千統の大凧が空中に乱舞する勇壮な光景はまさに圧巻である。
 また奴の化粧をした若者たちによるユーモラスな「凧踊り」も合戦には欠かせない祭事である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/7/11


龍神火まつり Ryuujin-hi-matsuri Ryujin Fire Festival

Jp En

 岐阜県下呂市。温泉街として有名なこの町で、八月の第一土曜日から三日間催される「下呂温泉まつり」。
 その祭りの初日を飾るイベントが龍神火まつり(りゅうじんひまつり)だ。
 この地方では昔から飛騨川にある渕で村人が願うと、そこに棲まう龍神が祝い事や神事に使うための豪華な椀や膳を貸してくれたという伝説があり、あるとき、その貸してくれた椀を村人が返却せずに自分のものとしてしまったことに腹を立てた龍神が大暴れし、最後にはその椀を取り返した事で静まったという「椀貸せ渕」の逸話に基づいて昭和四五(1970)年に始まった祭りである。
 そんな大暴れする様子を見立てた祭りだから、椀神輿の後を追いかける長さ20m、重さ250kgにもなる龍五頭が追いかける様は、まさに勇壮そのものの乱舞だ。
 また、龍の乱舞に合わせて太鼓やドラ、爆竹などが鳴り響き、地元の男衆に担がれ、花火を口に仕込んで火花を吐く豪快な動きを、よりエネルギッシュに魅せてくれる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/6/6


寿都 鰊御殿 Suttsu Nishin-goten 

Jp

 北海道寿都郡寿都町にある鰊(にしん)御殿は、明治十二(1879)年に仕込屋である橋本与作が建てたと言われる建物である。釘を1本も使っていない見事な建築物である。
 一般的に鰊御殿は網元や漁師たちが寝泊りする建物を指すが、この建物は、ここの漁場で「仕込屋」として商売をしていた橋本家の居宅である。仕込屋とは、網元や漁師に金品を貸し、代金を数の子や身欠鰊、鰊粕などで返済してもらい、これを売る商売のことを指す。
 創業者の橋本与作は、自分の出身地・福井県の本家の庄屋宅を模し、全建材を集めるのに3年、建築に4年の歳月をかけたという。総工費は当時で7万円を要した。
 床下には防湿のために6百俵もの木炭を敷きつめ、窓は当時ギヤマンと呼ばれたガラスをオランダから取り寄せるなど、贅を尽くした造りになっている。鰊漁に沸いた当時の繁盛振りが偲ばれる建物である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/4/13


露木啓雄 Tsuyuki Yoshio Yoshio Tsuyuki

Jp En

 神奈川県箱根地方に伝わる伝統工芸品「箱根寄木細工」の伝統工芸士。
 1985(昭和六十)年伝統工芸士に認定。
 全国伝統的工芸品公募展、日本伝統工芸士会作品展、入選、入賞多数。
 箱根寄木細工は江戸時代末期、箱根町畑宿で作られたのが始まりとされる。
 様々な色合いの木材を組み合わせて模様を描き加工する。木工品にはからくりを仕込んだ「秘密箱」などもあり人気が高い。
 「木の持ち味をどのように生かすか」で、同じ木でも場所により様々に色が異なり、それを組み合わせることで同じ柄もまるで異なる表情を見せる。
 無数の色と柄を生かし生み出される露木氏の作品は、今もとどまることを知らず、新たな模様を描き出している。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/4/2


大慈清水 Daiji-shimizu 

Jp

 大慈清水(たいじしみず)は、岩手県盛岡市大慈寺町に湧く名水である。御田屋清水、大慈清水、青龍水を合わせて「盛岡三清水」と呼ばれている。
 「平民宰相」原敬の墓所がある大慈寺の境内から清水が湧き出で、木管を通して共同井戸の水源とした。これが大慈清水である。
 この清水は雛壇形式の箱で造られており、
 一番井戸 飲料水
 二番井戸 米とぎ場
 三番井戸 野菜食品洗い場
 四番井戸 洗濯物すすぎ場
 と、決められている。
 現在でも日本酒の仕込みや生活用水として使われており、居住地域にこのような飲用も生活用水利用も可能な水をたたえる井戸は、全国的にみても非常に貴重な存在とされている。
 大慈清水は、今も人々の生活を支えている庶民の名水である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/3/16


大梅山 興禅寺 Taibai-san kouzen-ji Taibai-san Kozenji Temple

Jp En

 興禅寺は、徳川三代将軍家光の乳母、春日局(幼名お福)が生まれた屋敷の跡。
 春日局は、美濃に守護代を代々務めた名門、斉藤家の生まれ。戦国時代、興禅寺一帯は、後背の山城黒井城の下館だったが、天正七(1579)年、明智光秀の丹波攻めで落城。その後、統括のためにここに入った光秀の重臣藤の内蔵助利三が春日局の父である。この年の暮れ春日局(幼名お福)が生まれた。
 山崎の合戦で父は捕らえられ、処刑されたがお福は女であることから追われることなく、興禅寺で養育された。公家の素養である書道、歌道、香道などの教養を徹底的に仕込まれた。これが後に、乳母として活躍する基礎となったと言われる。
 寺の境内には、お福が遊んだとされる「腰掛け岩」や「産婆井戸」があり、幼い日の春日局を偲ぶことができる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/1/25


手筒花火 Tezutu-hanabi Tezutsu Hanabi Fireworks

Jp En

 手筒花火とは、円筒形の手持ち噴出花火のことである。竹筒の中に黒色無煙火薬が仕込まれており、上部の開口部から燃焼噴出させるものである。
 直径約10センチ、長さは70〜80センチの青竹の節をくりぬき、周囲を麻縄で巻きつけた手筒を使用する。
 手筒花火の元は、戦国時代に通信連絡用に使用された「ノロシ」と思われる。鉄砲伝来と共に伝わった黒色火薬によって一段と進歩し、元禄十三(1700)年の頃には「大ノロシ」と称された。
 当時すでに煙だけでなく、花火として鑑賞に耐え得る形が出来上がっていたと考えられる。後に、五穀豊穣を願い手筒花火が祭礼に奉納されるようになった。
 手筒花火の噴き上げる巨大な火柱はスリルと迫力に満ち、音と光の浮世絵として、見る者を魅了してやまない。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数8件: 1~8 件表示          
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter